京都という街で過ごしたモラトリアム


 二月末日で京都市内のアパートを退去する。

 肉体的な拠点はもうすでに大阪にあるのだが、服や本や楽器などの荷物の大半は京都に置き去りにしていて、必要になれば阪急電車に乗って取りに帰るという生活を送っている。

 わたしの京都生活はちょうど5年で閉幕する。
 元はと言えば、毒親から逃げるための一人暮らしだったが、今となってはわたしの人生を語る上では欠かせないものとなっている。

 5年前の1月、毒親から逃げるために(実家から大学が片道2時間半かかることを口実に)週7の居酒屋バイトで20万円を貯めて引っ越した。
 20万円という額は、京都市内に引越すにはやや頼りない額である。
 はじめに住んだアパートは、家賃3.5万円の6畳1Kだった。1階部分は大家さんが夫婦で経営するうどん屋さんで、毎日嫌でも顔を合わせるので、家賃を滞納している期間は夜中しか外出できなかった。

 その頃のわたしはTinder中毒で、いろんな男性を家に呼んでいたので、大家さんに「最近知らん人の出入り激しいから気いつけえな」と言われたことがある。ごめんそれ全部あたしが呼んでるねん、と思いながら「怖いですねえ」と言った。


 ある時から急に、人を家に呼ぶスタンスをやめた。おそらく、家の場所を知られたくない男性に知られてしまったからだったと思う。
 Tinder中毒ではあったものの、別にセックスがしたかったわけではなくて、コロナ禍ということもあり、対人のコミュニケーションに飢えていた。
 しかし、心無い人が「家に上がった時点でそれはセックスの合意だ」と言うように、相手の家に行くとほとんどの確率でセックスに応じなければならなくなる。それがとても嫌だった。
 そんなとき、わたしを救ってくれたのは鴨川だった。

 鴨川は、コンビニでお酒と煙草を買ってくるだけで、一対一のコミュニケーション空間になる。横並びに座るので、初対面の人と目を合わせて話すのが苦手でも気まずくない。
 わたしは、何人ものTinderの男性と鴨川で集合し、どこか(カラオケやバーなど)に行こうと言われたら「ここでよくない?」と言い、事前に用意していたお酒を広げ、くだらない話をしまくってその場で解散するという、おちんぽ男子を殺す遊びをしていた。


 それからしばらくして、京都の大学生と鴨川で交流する機会が増えた。主にTwitterで知り合ったフォロワーと、楽器を弾いて歌ったり、フリマを開いたり、お誕生日会をしたり、さまざまなイベントをした。片手には常にお酒があった。

 Twitterと京都の大学生と鴨川という3つの親和性には目を見張るものがある。TwitterはテキストベースのSNSであり、京都の大学生(狭義)は議論や妄言ごっこが大好きで、そして鴨川のデカい河川敷は場所代や飲食代がかからないので(何なら煙草も吸える)いつまでも滞在できる。この3つが揃う空間は、日本全国を見てもまあないだろう。

 鴨川は特殊な都市機能をもっている。

 京都に住んでいると実感するが、京都は時間の流れがやや独特だ。確かに京都市は日本の行政地区で、国籍のマジョリティは日本人、会話をするのも日本語が中心。それでも、なんだか京都は現代日本のこの忙しない社会から切り離されているような錯覚に陥る。
 これには鴨川の存在が大きく関与しているのではないかとわたしは踏んでいる。
 

 そして、京都の冬は寒い。
 先日の全国的な大雪でJR京都線が止まり、乗客が5時間も閉じ込められたことはニュースにもなっていたが、1週間経ってもそのときの雪がところどころ残っている。
 さすがにそんな環境で鴨川に集合しようとは思わない。

 そんなときにわたしが主に入り浸っていたのが、四条大宮から後院通りを5分ほど上ったところにある、喫茶マーチだ。
 喫茶マーチは40年ほど前からママとマスターが2人で切り盛りしている喫茶店で、純喫茶というよりは、大衆食堂に近い。
 朝は地元のおじいちゃんおばあちゃんが互いに生存確認をし合う集合場所となっており、昼はサラリーマンが日替わり定食を食べる食堂となり、夕方はさまざまな人々が煙草をふかしてくつろぐ憩いの場となる。

 わたしはこの喫茶マーチで喫茶店魂を手に入れた。喫茶マーチがなければ今のわたしはないと言っても過言ではない。
 店員の老夫婦の口喧嘩。ママやマスターに気に入られて、たまに出てくるお茶菓子。注文の商品がゆっくり運ばれてくるまでの、煙草を2〜3本吸う時間。
 普通の飲食店のレビューでマイナスになる要素はすべて、その喫茶店を素晴らしくする。

 喫茶マーチの他にも様々な喫茶店を巡った。特にいい喫茶店が多いと感じたエリアは、円町周辺だ。
 まだまだ行けていない喫茶店がたくさんある。もっと開拓したいのだが、京都に帰ってくるとつい喫茶マーチにばかり足を運んでしまう。
 喫茶店を開拓するためだけに、毎週京都に来てもいいぐらいだ。


 こんなにも今のわたしを構築している京都を去るのは名残惜しい。
 でも、京都は永遠に住むべき街ではないということはわかっている。京都はモラトリアムの街だ。わたしはモラトリアムを6年も堪能したし、京都という街を十二分に愛した。
 だから、わたしは半ば無理矢理に、二月末で京都を出る。

 夜通し鴨川で飲み散らかした時間も、昼間の喫茶店で煙草をふかしてくつろいだ時間も、その他あらゆる過ごし方をした時間も、どれも本当に愛おしくて、京都という場所で出会った人々にやさしくされた記憶を思い返すと、なんだかほんのり泣きそうになる。

 京都の大学生特有の、京都生活大好き仕草は確かに痛くて気持ち悪いと感じることもある。それでもわたしは、京都での大学生生活を愛し切ったと胸を張って言いたい。

 大学生生活を京都で送ってよかった。この経験はわたしの一生の糧になるだろう。華々しいキャンパスライフは送れなかったが、これらはすべて確かに青春だった。


 ありがとう、京都という街で過ごしたモラトリアム。さようなら。どうかみなさんお元気で。


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