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メディア化における原作者・マンガ家の問題を考える(中編)


かつて有吉さんが「アメトーーク!」で、品川さんにおしゃべりクソ野郎というあだ名をつけ、再ブレークしたように、

はたまた福岡ドームでグレートムタ(武藤敬司)がアントニオ猪木相手に、ほとんど見せ場を作らせず、試合を乗っ取ってしまったように、

押井守監督は高橋留美子先生の国民的人気作品を踏み台にしたのです。


そして有吉さんやグレートムタ(武藤敬司)が、その後お笑い界やプロレス界のトップまで上り詰めたように、押井守監督もまた、ビューティフル・ドリーマーをきっかけとして、一気に駆け上がっていき、アニメ界の巨匠と呼ばれるまでになります。

アニメファンの間では、うる星やつらを好き勝手に扱ったことに、高橋留美子先生は大激怒なんてことがささやかれていましたが、高橋留美子先生と交流の深い椎名高志先生は、別に怒ってないし、なんなら「面白い」と言っておられたというのです。

高橋留美子先生は他媒体で自身の原作をどう取り扱われようと、私はマンガで表現するだけと、割り切っているのかもしれませんね。
アニメはアニメ、マンガはマンガと。

まぁもし仮にブチ切れていたとしたら、高橋留美子先生なら「ビューティフル・ドリーマー」の存在そのものをなかったことにできるでしょうからね。

「ビューティフル・ドリーマー」は今でも購入できますし、現在アマプラで視聴することができます。

これはアニメ好きの友人から聞いた話で、本当かどうか知りませんが、
同時期に公開していた「風の谷のナウシカ」を観た押井守監督は「勝った!!」と思ったとかなんとか。 ええ、単なる噂話ですw
しかし、仮にその話が本当だとしても、さもありなんと納得してしまうような出来栄えです。


原作に準拠することが条件という約束が取り交わされてなかったにしても、ここまで原作とかけ離れた作品にしてしまうならば、それなりの覚悟を示す必要はあるでしょう。

たとえば、興行的に成功に達しなかったら、今後うる星やつらはもちろん、高橋留美子先生の作品には一切関わらないとか、それくらいの覚悟がなきゃ、命懸けで作品を作っている原作者に失礼です。

基本的にマンガ家なんて連載を打ち切られたら、即無職な訳です。そんな命懸けで作っている原作を好き勝手いじって、メディア化したけど失敗しちゃいました(テヘペロ)なんて許される訳がない。

押井守監督はビューティフル・ドリーマーを作った後、うる星やつらを降板すると同時に、以後はフリーとして活動します。予め退社することを決めていて、どうせだから最後は自分の思うように作ろうということだったのかは分かりませんが、いずれにせよ何の覚悟もなく作ったとは思えません。


翻って、セクシー田中さんのドラマの脚本を手掛けた相沢友子さんは、そういう覚悟があったのだろうか?

自らのインスタグラムを削除し、なんの説明もない状況を鑑みると、強い覚悟なるものは正直感じられません。

もし私が脚本家なら、記者会見を開いて、「あの場面はこれこれこういう意図で作りました」ときっちり説明します。

いや、普段描いているマンガでも、「どういうことかしっかり説明しろ!」と言われたらきっちり説明しますよ。


言葉や表現というのは、いとも容易く人を殺してしまう程、強い力があります。気づかぬうちに誰かを傷つけてしまうかもしれません。あるいは、傷つけてしまうことを承知の上で表現することだってあります。
だから表現する者は、強い覚悟が必要なんです。それがなきゃ表現なんてするべきじゃない。

最後に原作を好き勝手いじるなら、これくらい覚悟しとけよってことを表現したマンガをどうぞ。



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