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「ひとは見たいものしか見ない」だけじゃない

今回は上記のテーマで書いていきたいと思います。


ひとは見たいものしか見ない

これは、古代ローマ帝国の支配者、
カエサル(シーザー)の言葉です。
また、
最近そのような題名のコラムを度々拝見します。
人は日ごろ自分が注意を向けているモノを認識する。
興味が持ったものを脳が探す。
きっと私自身、いまのマイブームのテーマを、
脳が探しているのかもしれません。

そもそも「見る」とは

見るという行動を実際に実行しているのは「目」です。
そして、目が動くためには、脳による命令が必要です。

つまり、本来の「行動」のメカニズムは、
そのようなシステムが働くことによって、
「プログラム」された行動を「実行」しています。
その「プログラム」の時点で、
自分に所縁のある、または興味のあるものを見るということを、
選んでいるということになります。


しかし、行動というものはそれだけではなくて、
いわゆる「反射的」な行動もあるわけです。
先ほどの「脳が起点になる行動」「アクション」だとすると、
これは「リアクション」にあたります。
つまり外部からの刺激がきっかけになることです。

レストランに入る前はオムライスを食べると決めていたが、
入ってみるとメニューのピザが美味しそうに見えて、
結局ピザを注文した。とか。

始めに想定していた「見たいもの」ではなく、
嗅覚刺激や、視覚刺激などの外界からの情報によって、
行動が変わる「リアクション」によって、
結果的に「見るもの」が塗り替えられることもあります。

しかしそれでも、
入念に「見たいもの」として塗り固められたものは、
いくら外部からの情報が強力なものであったとしても、
行動が覆ることは無いでしょう。


見たいものと、見えるもの

何が言いたいかというと、
場合によっては、
「見たいものしか見ない」のではなく、
その時の「見たいもの」の本気度と、
外部からの情報のギャップ
によって、
「見るもの」は変わるのだと感じています。

前者が強ければ「見たいもの」を見るし、
後者が強ければ「見たかったもの」以外を見るということです。

どちらがイイとかダメとかでは無いものですが、
個人的には、
外部にある情報を柔軟に受け入れる姿勢を持っていた方が、
あらゆる情報を知ることができるのではないかと思うので、
受け入れる柔軟性を持っていた方がイイんじゃないかなと感じています。

1年に1回スマホが進化する時代。
新しい情報は日々更新されています。
更新されるということは、
「それが良い」と考えるヒトが多く居るわけで、
その「良い」を知るのも楽しいと思うのです。

見たいものと、インプットに揺れるもの

そして、そもそもの情報量自体が
古代ローマ時代よりも爆発的に多い現代においては、
その概念自体の適用を現代風にした方がイイんじゃないか、
なんてことも思うわけです。


「ひとは見たいものしか見ない」ではなく、
この情報化社会においては、
ひとが見ているものは、見たいものと、
入ってくる情報にたいして、脳が魅力的に感じて選んだもの

その2つがあるということだと感じています。


今回は『「ひとは見たいものしか見ない」だけじゃない』について書かせていただきました。
今回の1枚は、michicusaさんにいただきました。ありがとうございました(^_-)-☆
それでは今回もご覧いただきありがとうございました。
また、あした(^^)/~~~


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