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ザ・クリエイター/創造者 考察 

はじめに

「インスパイアされた映画」や「差別と分断」の話は他の方にお任せして、僕はこの手のSF映画ある「ロボットに心はあるのか」を中心に話そうと思います。ネタバレは最初からしていくので注意して下さい。

何故、西側はAIを敵視するのか?

未知の存在だから。監督は日本が好きな理由を聞かれて「わからないのが楽しい。看板に何て書いてるのか。わからない異世界に来たようで楽しい」と答えた。知らない、わからない事に好感をもてる人は多くないですよね。
知らないから管理したくなる。映画の中盤から映像がベトナム戦争っぽくなる。ベトナム戦争の原因の一部に(東南)アジア初の社会主義国ができたからっていうのがあると思うんです。
映画内ではロサンゼルスの核爆発事故が原因だけど、ジョシュアを服役させるプールでの会話の時、ハウエルは「ネアンデルタール人は今の人類のずる賢さよって絶滅した」って言います。
この時点でAIを新しい種としてみちゃってるのがおかしい気もするけど、この発言から西側は事故を言い訳にして、AIを再管理しようとする。AIの発達が自分たちの理解を越えたから。
西側の人々は理解できる範囲でしか観ないっていうレベルになってきてる。
たとえば、
ハウエル達は車の中で死んでいた仲間の脳をスキャンして破壊したシミュランに記憶データの様なものをコピーして一時的に仲間を復活(復元)させる。
ハウエルは仲間を再度殺す事になんとなく嫌悪感を抱いてるように見える。時間を計っていた男は何も感じてない。記憶データを引っ張り出しただけという感じがします。
戦車戦で特攻兵器Gー13が「お役に立てて光栄です」と兵隊に言うが、彼らにとってはプログラムされた言葉なので心が動かされない。雑に扱う。これが人間だったら大騒ぎですよね。泣きながら抱擁ですよ。
こういった脳スキャンしコピーすること、AIの自己犠牲に対するアジア側と西側の反応がAIに「心」が宿っているか、種として認めてるかの差になってる。次は「ロボットに心はあるか」っていうよくあるテーマを話します。

何故ロボットは仏教を信仰するか?

霊魂を認めないから。これだけだと「何言ってんだ?」ってなりますよね。短く言うセンスなくてすいません。説明します。
現実の仏教徒は9割がアジア圏にいます。だからニューアジアも仏教が流行ってる。これが「AIに心がある」と考えれる下地になってる。
仏教は霊魂を認めません。認めるところもあります。特に日本は、認めないと葬儀とか供養とかできないですから。
ネットの素人投稿の怖い話に寺に行って霊を成仏させる、とか呪物を寺で供養するとか、霊魂認めてないのでネタにされてもいいし、呪いのアイテム持って行っても預かってくれたりするわけです。
基本、死んだら転生するので。後半のマヤをどうするかってときも転生って言葉出てきたと思う。
で、なんで霊魂認めないと心があることになるのかって事だけど、心の哲学に機能主義」って考え方あるじゃないですか。
僕は哲学詳しくないけど、誤解を恐れずに映画内でどう使われるかを言うと
「感情は出来事(原因)に対する結果だから、感情がプログラムであっても人間のそれと一緒」だと言う事です。
例えば、
「恋人が死んだ」という出来事が起こって、その結果、「悲しく」なって「泣く」ことになった。人間の感情を機能主義で考えるとこうなります。
[恋人の死]が入力、[悲しい]と処理され、[泣く]が出力された。こう考えるとロボットと同じですよね。
人間の「悲しみ」に「魂」って考え方を含めないならロボットの「悲しい」も人間と一緒じゃないですか?
「ターミネーター2」のラストで「俺には涙は流せないが人間がなぜ泣くかがわかった」っていうのもこれと同じような話をしてます。
この映画は別に宗教批判をしたいわけじゃないからあえて出さなかったと思うんだけど、西側はキリスト教などの一神教が流行ってるはずです。
キリスト教では魂は不滅の存在として認めれてる。魂が最後の審判を受けて復活するかが決まる……はず。
魂を認める以上は心の機能主義は認めることができない。「恋人が死んで悲しい」は「魂の叫び」だから。
そもそも機能主義を信じてロボットの心を認めてしまうと、ロボットの製作者は神と同等になってしまうから。チャプター2の民家で老人のシミュラントが「子供のシミュラントを作ったのか」と感動したのはそういう事だと思います。
長くなりました。だからAI、ロボットは魂の存在を認めてない仏教を信仰し、死後転生するために荼毘(火葬)に付されてるわけです。
現実、機能主義には反対論も多いんですけど、この映画ではそう考えられてる。というかそう考えるとしっくりきませんか?
そうすると魂の見解の違いある西側の人にどうやって認めてもらえばいいんでしょ?最後はそこについて語ります。できれば短めに。

大人は皆わからず屋

チャプター3は「友」
友達のドリューは潜入捜査というよりはもうアジアに帰化してる感じがする。彼は女シミュラントと一緒に生活していたみたい。彼は西側の人間だったのにもかかわらず、壊された彼女を抱いて泣いていました。
共に過ごす間にAIをモノではなくて人として認識するようになったみたい。
共に過ごすと言っても戦っている状態ではそれも難しい。
今までの生き方を強制されずに変えるって大人になると難しくないですか?

なので子供に、未来に期待する事にする。
生まれながらにAIと接すれば、要は異質なものと同居してればそれって異質じゃなくなるはずですから。
アルフィーの力の発現させる合掌は、手をぴったりと合わせない「虚心合掌」だった。これは子供の純粋な心を表現するものなんだそうだ。
この映画のポスターに「守ると誓った」と書いてました。映画の邦題やキャッチコピーには首を傾げることが多い。これも観終わった後「誓ってなくね?」と思いました。誓ってましたっけ?どっかで。
そもそも最初から、対ノマド兵器が子供のシミュラントとわかってからジョシュはずっと動揺してました。破壊しろと言われてもかなり躊躇してます。マヤの入れ墨と同じ柄を描いてたのが旅するきっかけですが別にそれで守るって決めたわけじゃないと思います。
この映画ではなぜかみんな子供を特別視します。
戦車にロックオンされたロボット兵士は逃げる先に子供がいたので引き返しました。死ぬとわかっていながら。
アルフィーに対しての西側の処置も変です。ここを「ご都合主義」と怒ってる視聴者もいました。
結局誰も、子供(の形をしてるもの)を殺したくないんじゃないでしょうか?
子供が好きじゃない人はそれなりにいそうですけど、子供が死んでいくのを見過ごせる生命体っていますかね?
もはや本能的に守ってます。そういう意味ではみんなが子供を守ると「誓って」ますね。

強権的なノマドが落ちた後、これからの未来はアルフィーと子供たちの「純粋な心に」よって変わっていくと思えます。そんな楽観視がちょうどいいじゃないでしょうか。

終わりに

結構、無理やりにこじつけてる気がしないでもない。上記のように結論付けたのは「子供殺すのに躊躇する割に大人は派手に殺すな」って思ったのがきっかけでした。エンタメ的にそっちの方が面白いってのが正直なところでしょうけど。犬のグレネード返しのシーンが好き。

人物メモ

ハウエル:アバターの軍人がモデルだと思う。闇落ちしたジョシュア的存在。
ドリュー:これまでの常識と現状の板挟み。アイスガールの死で自分の気持ちを自覚したんじゃないかって妄想してる。
ハルン:「AIは人を傷つけない」殺してますけどね。多分自衛はOKかつ子供限定って事だね。死なないのかよ賞、受賞。


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