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去勢映画「フォードVSフェラーリ」ネタバレ 考察 実話

お前はもう死んでいる

アニメとかで敵が勝ち誇ってる時、真っ二つになって死ぬシーンがある。実はもう死んでたってやつ。
いつの間にか死語になった言葉もある。
現代で「男らしい」なんて言わない。具体的な死亡年は分からないけど誰も使いたがらない。「女らしい」も同じ。
そもそも「男らしい男」ってどんなの?
昔、世間で言われたものを思い出す。
・宵越しの金は持たない。
・自分の美学を持っている。
・勇敢でタフ。
色々ある。シンプルで規則や打算なんて無視して生きてる男。
そんな男はいない。昔いたのかも怪しいけど現代にはいない。
何故なら絶滅してるからだ。男らしい男なんてもう死んでいるんだ。

対戦相手は現代社会

同じ値段ならスポーツカーよりベンツの方がモテる。
スポーツカーは街乗りに向かない。
ケンの工場でそんな会話をしてる。
荒々しく乗れと。街で?何のために?
意味なんてない。そう乗るものだから。
速く走るための車。それがスポーツカー。
この映画での「男」はその速さを追い求めるやつらの事を言う。
フォードVSフェラーリってタイトルだけど、戦ってるのはスーツ組だ。
レース後フェラーリの創業者エンツィオとケンはアイコンタクトをする。
採算、売り上げなんて気にせず速さを追求するエンツィオはケンやシェルビーの同類だ。
二代目フォードと副社長のレオは現代的な男。
打算と規則を駆使して生きる男。ウソ泣き、演出、圧力、お世辞。
男の邪魔しかしない男。
彼らはスポーツカーに乗らないし乗れない。荒々しいのは手に余る。
荒々しいと言えば、荒馬なんて言葉があって、ロデオはそれを乗りこなす競技だ。カウボーイがやってるイメージがあるし、発祥もカウボーイの説がある。
ケンもシェルビーもなぜかカウボーイハットをかぶっている。
カウボーイハットをかぶったシェルビーが
「7000+ GO LIKE HELL」と書かれたボードを掲げる。
7000回転の世界は男の世界。一つだけを追い求め、死がすくそこにある。
そんな世界では生きられないのがスーツ組。

適者生存

スーツ組は現代に適応した人々だ。荒馬を乗りこなすより楽だから。
ケンも速さを追求するあまり職を失ってしまう。
現代ではお客様が一番。つまりお金が必要だ。
だから「老いて、太って、庭の世話」をしないといけない。乗る車は秘書が乗る車。つまり、去勢された男だ。
他にも様々な理由もあるけどこの映画の「男」は現代では生きれない。だから死んだ。
シェルビーもハット被らずラストに現れる。
去り際に公道で荒い運転をするシェルビー。
スーツ組ならそんなことはしない。行儀よく乗るだろう。
公道に適応した男がスーツ組。要は今の僕らだ。
ケンとシェルビーはチームワークだとか経営だとか協調とか言う言葉で邪魔される。まるで印籠のように押し付けられる。
日本でも和を乱せば犯罪者扱いになる。
レオはケンを「ビートニク」と読んだ。
「はみ出し者」と訳されてる。
wikiを意訳すると「アメリカの主流な文化に適合せず、消費社会を否定し芸術で自分を表現する人」だ。
7000回転の世界は芸術って言える。スポーツカーの美しさを芸術に例える愛好家もいる。いわゆる機能美ってやつ。
その世界の住人が死んだ。
フェラーリは負けた。ケンも勝利を奪われた。スーツ組が掲げる商業主義に敗れ去る。
エンツィオとケンのあいさつは7000回転の世界の終わりを意味する。
「よくやったよ。これでもう終わりだな」そう聞こえる哀愁が感じられた。
現代に男らしい人なんていない。だから使われない。
僕が悲しく思うのは「男らしい」と言う言葉さえ自己PRのためのアイテムに成り下がっているところだ。
もしあなたがこの先、自分は「男らしい」「女らしい」と言う人に出会ったら気を付けた方がいい。
そいつはきっと嘘をついてる。
僕達現代人にそんなタフな奴はいない。

備忘録

ケンの家族がおかしい。
妻、夫の夢を理解して支える良妻賢母。いわゆる女らしい女。既に絶滅してる。
息子、父の背中を見て育つ。父を尊敬してる。そんな子供いない。ツチノコと一緒。

ケンとシェルビーのケンカ中。シェルビーが缶詰を投げずにパンを投げる。
「これは危ないか」っていう配慮。=現代的リスク管理?優しさっていうには変かも。

スポーツカーに入れ込む男が絶滅しても別問題ないけど、これを科学とかに置き換えるとちょっと怖い。熱量で生きる人がいないって問題じゃない?

男らしさに憧れる男。アイアコッカ。憧れるけど企業に属する人。一番僕らに近い存在。

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