聴覚障害×当事者研究の話。
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聴覚障害×当事者研究の話。

2018年9月9日(日)。宮城教育大学のある青葉山では朝から小雨が優しく降り注いでいた。この日は日本初の開催となる「聴覚障害当事者研究シンポジウム2018」。

シンポジウム当日は、講師、実行委員、参加者などあわせて総勢約100名近く集まり、予想を超える大好評。聴覚障害分野でも「当事者研究」ができるのではないか、必要ではないかと共有できる機会になった。

ところで、「聴覚障害当事者研究」とは一体何だろうか。聴覚障害分野で聴覚障害のある本人が研究するイメージがあるかもしれないが、実際はもう少し深い意味がある。「聴覚障害当事者研究」には次の二つの側面がある。一つは、「聴覚障害当事者」が自分の困りごとについて「研究」するもの。もう一つは、「聴覚障害」とは何かが「当事者研究」によって解かれていくもの。

一つ目の「聴覚障害当事者」とは、どういう意味だろうか。

まず「当事者」の意味から。これまで他の障害や病気の「当事者研究」の流れを汲むと、「困りごと(生きづらさ)を抱えている者」ということ。世間では、障害や病気があるというだけですぐ何か困りごとを抱えているはずだ、助けてあげないといけない(あるいは、いつまで助けてもらっているの?)、とみなしていることが少なくない。障害や病気が先にあるのではなくて、困りごとが先にある。だからマジョリティである障害を持たない者(聴者、健常者)も困りごとがあれば「当事者」になる。「当事者研究」とは、困りごとを抱えた当事者がその困りごとはどのように起こっているのかを観察し、どのようなワザで対処していくか仮説と実践を行うものである。「当事者研究」を全国で初めて取り組んだ北海道のべてるの家では、困ったら「自分自身で、ともに」研究してみよう!という理念がある。

次に、「当事者」の上に「聴覚障害」を冠した「聴覚障害当事者」の意味について。これは、冒頭の聴覚障害当事者研究シンポジウムの開催趣旨で次のように書いてある。

聴覚障害を有する当事者というと、ろう者、難聴者、中途 失聴者、ろう重複障害者、盲ろう者、聴覚情報処理障害(APD)当事者、耳鳴りのある者などがいる。 これら、いわゆる医学的あるい社会的な分類(カテゴリー)で分けられている。これらを「当事者研究」の視点で見ると、カテゴリーで人を捉えること、一人ひとりの「困りごと」を捉えることをしないリスクがあると思われる。あるカテゴリーにいる聴覚障害当事者一人ひとりの「困りごと」共通していたり異なっていたりしているはずである。したがって、カテゴリーで聴覚障害当事者を分けず、聴覚障害当事者のことを便宜的に「聴覚機能(耳から脳までの経路)に障害がある者」と定義する。そして、 様々な聴覚障害当事者が「当事者研究」を進めることによって、お互いに新たなつながりや理解が生まれたらよいのでないかと考えている。 (聴覚障害当事者研究シンポジウム2018報告書, 3p)

もちろん、以下の通り、あるカテゴリーに固有の困りごとと考えられるような事例もあるが、これは中途失聴や進行性難聴に限らず、中途障害や慢性疾患などの当事者ともつながるものかもしれない。これは今後の当事者研究によってわかってくると思う。

聴力低下に伴って起こる「困りごと」の一つとして家族や親しい人々との「関係の紡ぎ直し」を挙げていた。(聴覚障害当事者研究シンポジウム報告書, 43p)

もう一つ、「聴覚障害」とは何かが「当事者研究」によって解かれていくということについて。「聴覚障害当事者」が抱えている困りごとのパターンや構造の解明や対処法の開発などは、これまで耳鼻科医、言語聴覚士、認定補聴器技能者、学校教員、社会福祉士、精神保健福祉士、大学教員など、いわゆる専門家が担い、研究し、当事者に還元するという流れで進められてきた。事実、専門家が自分を棚上げせずに真摯に取り組んでくださったおかげで、「聴覚障害当事者」が生きやすくなってきている。一方で、専門家でも対応が困難で、そうした局面におかれた「聴覚障害当事者」はどのようにしてきたのだろうか。結果として「聴覚障害当事者」自身の努力や姿勢に問題があるかのように当事者内の「医学モデル」が補強されていくことが多いように思う。あるいは、そのような認識を形成する抑圧、偏見や差別といった「公的スティグマ」によって、聴覚障害当事者の内にある「自己スティグマ」が強化、肥大化されていく、ということもできる。やはり聴覚障害のある自分が悪いのではないか…という結末を持つ自己物語になっていく。

しかしそもそも「聴覚障害」とは、他者や社会との関係性によって構築される概念である。例えば、ろう者と聴者がお互いに手話で対話している時や、難聴者と聴者がお互いに筆談あるいは聴きやすい発音や環境で会話している時、最初、聴者の側は「聴覚障害があるからやってあげる」といった意識はあるかもしれないが、関係性の進展によって「お互い共有するためにはこの方法でいこう(そして、それは自然なことだ)…」というふうになるだろう。ろう者や難聴者も「自分が〇〇だからやってもらっている」ではなく「それは自然なことだ」というふうになるだろう。

それでもなかなか解消されえない困りごとはある。しかも豊富に。そこで、聴覚障害当事者が専門家から困りごとを取り戻し、「当事者研究」で困りごとのパターンや構造を観察したり、困りごとへの新たな対処を発見する。すると、これまでに抱えていた「聴覚障害」の概念も解かれ、新たな視点を見出すだろう。長年の「もやもや」や「行き詰まり」や目に見えない呪縛から解放されるかのように。そして専門家との対話も「聴覚障害」が解かれていく方向へどう切り拓いたらよいのかも見えてくるだろう。

さらに、聴覚障害当事者と専門家との間だけでなく、ろう学校や難聴学級など学校教育で行われている「自立活動」や「総合学習の時間」、自治体、企業やNGO・NPOで行われる障害関連の「研修」の場にも、こうした「聴覚障害当事者研究」の視点や手法を取り入れることで、新たな対話関係が生み出されるのではないかとも期待している。

ともかくも「聴覚障害当事者研究」は始まったばかりである。今回のシンポジウムのように、今後も「聴覚障害当事者研究」に取り組み、共有の場を作っていきたい。

また、「当事者研究」とは何か、「聴覚障害当事者研究」でどのようなことができるのか、については、上記の引用箇所で紹介した「聴覚障害当事者研究シンポジウム2018」報告書(全46頁)が参考になる。以下のURLからダウンロードできる(無料)。「当事者研究」に関する基調講演(講師 綾屋紗月)と「聴覚障害当事者研究」の実践に関する話題提供(講師 志磨村早紀・松森果林・西垣正展・松﨑丈)の講演内容を掲載しており、読者にわかりやすく読みやすいように編集してある。

https://bit.ly/2Pi7o99



ありがとうございます。
宮城教育大学 特別支援教育講座准教授、しょうがい学生支援室副室長。 ろう者(先天性風疹症候群による重度感音性難聴)。主な意思疎通手段は手話と文字。 ここでは日々思索していることをしたためています。 本文の最初にある画像は、その風景に心惹かれる度に撮っておいたものです。