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私たちの生きにくさを作り出しているのは何?

私たち聴覚障害当事者は、聴者が多数の社会で生きていると、日常生活、学校、職場などあらゆるところで何らかの生きにくさを覚えることがありますよね。そうした生きにくさを作り出しているのは何でしょう。聴者でしょうか。しかし聴者であっても私たち聴覚障害当事者に対する考えや価値は一様ではありませんね。

私たちが感じている生きにくさは、聴覚障害から来るものではなく、私たちが持っている考えや価値を包括できない多数の聴者の考えや価値から来るものではないかと感じています。

それでは、その聴者の考えや価値は、何によって規定されているのでしょうか? 「聴こえるから?」。いえ、それは違うかもしれません。

ここで、歴史的な事実を2つ紹介しましょう。

1つ目は、アメリカ東海岸にある「マーサス・ヴィニヤード島」です。ことの起こりは17世紀に遡ります。この島では、およそ300年間、ろう者と聴者の人口比が半数程度でした。聴者は幼児期に自然に手話を身につけ、日常生活の中で当然のように手話を用いていたのです。ろう者は、自分の聴覚障害を「ちょっとした厄介事」と捉えており、ろう児の誕生は「大きな不幸」ではなく「小さな問題」と捉えられていました。つまり、聴者は、ろう者を機能的に欠損し、かつ能力的に劣った者として捉えていなく、かつろう者に対する差別や偏見の概念も持っていなかったわけです。ろう者の完全な社会参加も実現していました。しかしこの島は、産業革命以降の交通手段や通信技術の発展によって、米国本土から聴者を基準とした政治や経済の論理や優生思想が流入することで衰えていったのです。2006年に私がこの島を訪ねて1泊2日で調査したのですが、この島で生まれた最後のろう者はもう亡くなられていました。宿やレストランなどどこを訪ねても島の人々はこの島の歴史を大変誇りに感じていると語っていたのがとても印象的です。

この事例をあげると、このような人口比だったからこそ実現できたのではないかという指摘が出てくるでしょう。確かに人口比はマジョリティとマイノリティの力関係を決める要因ではあります。ところが、こうした指摘を否定できるような歴史的事例が実在するのです。

中東からアフリカ・欧州に勢力を拡大していたイスラム教のオスマン帝国です。そこでろう者は、15世紀から20世紀にかけて約200名がその帝国の宮廷で雇用され、さまざまな仕事(歴代君主の近習、武術の指導者、使者、宮廷処刑人など)をしていたのです。聴者の方が多数でありながらろう者の手話が音声言語よりも高い地位を獲得できていたことも確認されています。同時期に西欧ではろう者の教育や雇用などほとんど不可能と考えられていた時代に、オスマン帝国の宮廷ではすでにろう者が政治レベルで活躍していたわけです。すごいですよね。どうしてそれが実現できたのかについては現在も調査中ですが、イスラム教と関連しているのではないかというのが主要な仮説です。

さて、この2つの歴史的事実から、聴者の考えや価値は何によって規定されていると考えることができるのでしょうか? 人口? 宗教? 制度? 経済? 政治? いえ、違います。これらは目に見えるものです。目に見えるものに対して目に見えない力が働いているものがあります。もちろん神のように超越した力のことではありません。具体的に言えば、「ここでは、このようにふるまうのがあたりまえだよね」「このように考えるのが良いよね」といった暗黙の規則・基準のことです。これらは、ある社会を作ったり維持する「人々の対話による合意」によってつくられたものです。社会学では、人々の対話による合意によってつくられた暗黙の規則・基準を「ディスコース」といいます。この「ディスコース」には、「人々の対話による合意」で作られた思い込みや偏見も含まれています。例えば、「音声で話せるなら耳も聴こえているはずだ」という思い込みです。

マジョリティがディスコースを支配(コントロール)できると、マイノリティはそのディスコースに抑圧され、生きにくくなります。

例えば、マジョリティが「聴こえるのが当たり前だ」というディスコ―スを作り、社会やメディアなどがそれを支持するようになれば「特権的ディスコース」と化し、特権的ディスコースに基づいた制度、経済、政治などが実現されます。そうしてマイノリティである私たち聴覚障害当事者は様々な場面で、目に見えないマジョリティのディスコースに晒されて、「聴こえる方が良いことなのだ」と思わざるを得なくなります。マジョリティも、自分たち自身の背後にある「特権的ディスコース」があるということに気づきにくく、無意識のうちに抑圧してしまうことも少なくありません。

ですから、聴覚障害をめぐる歴史は、マジョリティとマイノリティの「ディスコース」の軋轢・衝突の歴史ということもできます。

現時点で確認されている範囲では、アリストテレスが生きていた時代から始まります。前述の「音声で話せるなら…」という思い込みのディスコースを最初に作ったのはアリストテレスです。その後に、ソクラテス、アウグスティヌスやレオナルド・ダ・ヴィンチなどの哲学者や芸術家が聴覚障害があっても顔や手で語り合えるのではないか、音声言語だけが必ずしも優位とは言えないのではないか、と肯定的な発言が出たわけですが、やはりアリストテレスのように否定的なディスコースが欧州には根強く続いていたようです。

一方で、マーサス・ヴィニヤード島やオスマン帝国のようにマイノリティもマジョリティと共生できる「ディスコース」を作り出していたわけです。最近は、人工内耳をめぐる議論で、聴者に近づけるための治療だと考えるマジョリティによるディスコースと、聴者であることにこだわらず自分自身の生き方を探求しようというマイノリティによるディスコースがせめぎあっているようです。

このように私たち聴覚障害当事者の生きにくさを作り出しているのは、「聴者」ではなく「聴者」の考えや価値を支配している「ディスコース」と考えることができるのではないでしょうか。そして、私たちも知らぬうちにその「ディスコース」に飲み込まれてしまっていることもあるのかもしれないのです。

それでは、私たち聴覚障害当事者は、生きにくさから抜け出すためにどうしたらよいのでしょうか。それは自分が関わる「聴者」の言動に隠れている「ディスコース」が何なのかを考えてみることでしょう。そして、自分自身が納得できるような「ディスコース」を探したり作ったりしてみることになるでしょう。

例えば、「生まれ変わるとしたらやはり聴者の方になりたいですか?」と質問する聴者の場合、その人の「ディスコース」は、おそらく<聴こえることが幸せであり、聴こえないことは不幸である>ということだろうと考えます。それなら、その「ディスコース」を無効化できるような方法を模索します。私ならこのように考えます。本当に聴こえることが幸せなら、聴者は皆幸せということになるけれど、現実は不遇の経験をしている聴者もいるから、それは成り立たない。あるいは、聴こえないことと比較して自分が優位になろうとしているのかもしれないが、機能の欠損は人間存在の価値を決めるものではないからそれは違うといえる。あるいは、現代社会が聴者にとって依存しやすい社会構造になっていることが結果として聴こえることが幸せと錯覚させるものになっているのかもしれない、それならどのような人に生まれ変わっても生きやすい社会に作っていくことを考えた方が有益ではないか。そのような考えを質問した聴者と共有することで合意し、新たな「ディスコース」へと変えていこうと試みるわけです。

「ディスコース」は目に見えないものなので、それを探っていくのはちょっと難しい作業かもしれません。しかし聴者の目に見える言動のみでなるべく動揺しないようにし、聴者の言動の背後にある「ディスコース」を捉え、それに対抗できるような「ディスコース」を考えてみれば、多少とも自分自身が納得し、生きにくさから抜け出す糸口を見いだせるかもしれません。