読む価値が無いしょーもないハナシを書いてみた件。

久々にnoteを開けたら、「7月31日までに記事を書けば云々...」ってお知らせがあったんですが、今日は8月某日ですね。
あれですね、「3日でタバコがやめられる」という本を4日かけて読んだのと同じk(違います)

さて、せっかく「おい、書けよ。」ってメッセージを見かけてしまったので
書いちゃいます。
・・・・何を書きましょうか(そこ?)

そうですね、
私の話を書きます。
どこかに書いた事も、普段口にすることすら無いことを1つ書きますね。
今から書くことはうちのスタッフも知らないことです。
ああ、そうなんですよねー、余談なんですが、本店のスタッフは私がTwitter、あ、エックチュ(X)ですね、を、やってることは知ってるんですが
誰も見ないんですよ。
何故か。
「通常運転じゃないですか」だそうでして。
直に会話してるスタッフたちはもっと深くもっと濃く私と話をしているので、その極々一部中の一部どころか氷山の一角と言っても過言ではない話を切り取ったSNSは、読んだところで「あー、はいはい。」なのだそうです。
・・・明日から寡黙になってやろうかしら。(ムリ。)

さて。

若い時分は「なぁーーーんも考えず」生きておりまして。
薬剤師と言う職業はプロの自覚を以て臨んでまいりましたが、それ以外特段目標も何もなく日々今日が楽しかったからそれでいい、という性格でございました。
気を抜きますと今もそういう傾向があるんです。
江戸時代なら良かったんですかね?
宵越しの金は持たない典型的タイプですよ。困ったもんだ。
だけれども、いつの頃からでしょうね、常時「3年先に着地点」を置いて動くようになりました。
人それぞれではありますが、まぁ、1つの指標として示しますと、
「3年」って色んなことの一旦の終着点だったり結果が出る時期だったりするものなんでしょうかね。
今からやろうと思ってるコレは、3年後にはこんな感じになってるといいね。とか
今やってるコレは再来年辺りには結果を出しておこうか。とか。
その、「3年後のナニか」を常時持ってる、という感じです。
ハッキリクッキリ持ってる着地点もあれば
ヌルっとフワっとした着地点もあります。
前者の場合は、途中で変更を余儀なくされても一本の筋だけ持ってればブレないので無問題で、
後者の場合は進んでいくうちに着地点に確信を持ち鮮明になる感じ。
どっちも融通と柔軟性を失わなければ決して曲がることは無いです。

あとは「10年後」ってのもあります。
これは、3年とは違って10年そのものがフワっとしています。
10年後にこんな感じで。と思ってる事に関しては、短縮されて5年で達成してもOKだし11年かかっちゃったね。でもいいんです。

これ以外だと「来週」「来月」などの直近の着地点も常時持ってますし、「来年」も持ってます。

では、常時頭の中ぐるぐるぐるぐるモノを考えているのかと言われれば、
そんなことは無いんですよね。
実は「案外ナニも考えてない時間」のほうが圧倒的に長かったりもします。
ナニも考えてないんだけど、
アンテナを張ることと、
「何かに興味を持つ自分」は前線に立たせてあります。
だから、不意に思いつく「とある事」に対して素直に、そしてフットワーク軽く動こうとするんでしょうかね?

上記を遂行するに当たり1つだけ、絶対に譲れないことがありまして、
「自分のペースをなるべく崩さないこと」です。
他人と何かを進める事がある場合、こっちのペースをナチュラルに崩してくる人って一定数いらっしゃって、
運悪くそういう人にカチ合ってしまうとその着地点は辿り着けないことが多い。
なので、出会う人も重要ですよね。
今の所はずっと、概ね恵まれています。

着地点に向かう感じは、
すごく大きなパズルを解いていってる感じでしょうかね。
このパーツ入れてみたけど、あ、角だけ少し違うんだ、じゃぁあっちのパーツかな?ってな感じでハメていって作り上げる感じ。
足元だけはブレないように。
何か思いついたことを実現させるために頭と体を使う生活、
結構面白いですよ。
思いついたことに対する優先順位も都度変わったりしますので、
自分が常にライバルです。
だからかな、誰かに嫉妬するとか、誰かと比べてしまうとかは殆どしたこと無いです。

ナニ言ってんだこいつ?ですかね😓スミマセン

いま一番思ってて、考えてて、実現しようと思ってる事が
いつかお伝え出来たらいいな。

ではではおやすみなさいませ(つ∀-)オヤスミー