見出し画像

妖怪堂の京都魔界エッセイvol3玄武神社

前項でお話したとおり怨霊を味方につけて都を守るシステムが構築されたわけだが、これは気持ちにケリをつけるということ。
つまりソフト面と考えられる。 ソフトがあればハードがある。

安易に長岡京に遷都を決めたのだから失敗したということだ。
この失敗を機にハード面も見直そうという考えになる。
では都を建てるのに、ふさわしい場所の選定からやり直そうということになった。
そこで良く出来ていると噂に名高い「中国の長安」の都を手本とすることにした。
その都は「四神相応」という考え方のもとに成り立っているということだ。

下等な陰陽師やいいかげんな風水師は「都を建てて その東西南北に四つの神様を祀って護ればよい」というがそうではない。
そういう絵空事ではなく実際には「四つの神様というのが地形にあたり、その条件に見合う土地に都を建てよ」ということだ。
その四つの条件に相応することが四神相応である。それが証拠に京都に四神の名のついた神社というのは見あたらない。

唯一の玄武神社でさえ、昭和になってから改められたもので、もとは惟喬の社である。
では実際に四神とは何なのか。

玄武 これは船岡山である。(本来は山というより丘)丘を背にして内裏を建てると水害に遭わない。

青龍 これは鴨川であるが、その水は分散され平安京の通りごとに川が流れていた。それは汚物やゴミを流すためだった。 

朱雀 これは巨椋池にあたる。 現在の池は小さいが当時は球場200個分くらいの巨大な池。鴨川・桂川・宇治川などが流れこんでいたため浄化漕の役目を果たしていた。

白虎 これは西の大道 すなわち山陰道。 「西」は特別な方角だ。何故なら「天竺」があるからだ。 西から「気」が流れてくるのは良いこと。これは 西方浄土の考えによる。

以上の条件を満たしていたのが 山背国葛野県(やましろこく かどのあがた)であったのだ。
そしてそこに都が建てられることになる。平安京だ。

この四神が唯一名前として使われているのが「玄武神社」である。
因みに玄武というのは「黒」を表す。伊達正宗が自軍の戦い装束を黒に塗ったのも玄武のチカラを得るためだった。

四月に行われる「やすらい祭り」は京都の三奇祭のうちのひとつであり、今宮神社・玄武神社・川上神社の三社祭である。
疫病退散の祭で古代京都には今宮御霊会と祇園御霊会があり、前者はやすらい祭、後者は祇園祭になっていった。
ルーツはほぼ同じなので類似点が多々ある。鬼や小鬼がクルクルと舞うのだが、鬼は赤熊(しゃぐま)、つまり赤い髪のカツラを被る。
祇園祭の綾傘鉾にも赤熊を被った人物が登場する。いわば渡来人を表した祭なのである。
船岡山の頂上で踊られた舞がやすらい祭のルーツである。

祭神には「惟喬親王」が祀られていて、彼もまた歴史の中の被害者であるといえよう。
この方は轆轤(ろくろ)を開発、盆や椀等を作る技術を人々に教えたという伝承は有名である。
近くで材木商を営む岩井さんは「木こりのルーツですよ」とほほ笑む。
この方は地元のガイドで牛若丸と弁慶の五條の橋はこのあたりであると言われていた。面白い!(^^

なんだかややこしい場所にあるので 行こうとしてもたどり着けないことがある。
訪れるならgoogleは絶対必要である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?