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20240220 祭の衣装を売る是非

 つい先日どうしても欲しいものがあったのでメルカリを始めました。その際博多祇園山笠の出品も調べると,その後何回か「値引きされましたよ~」という通知がくるようになりました。
 その値引きの対象となっている出品は…山笠の当番法被(長法被)!レアもの!と書かれて10万という値付けがなされているので,値引きするとその値引き額が大きいのでシステム的におススメとして選ばれるのではと思います。
 ただ,当番法被については参加者のみが購入できるものであり,売買などの対象としてはいけないしきたりがあるように思えて,これまでオークションなどでみかけたことはありませんでした。また,これは昔の掲示板で読んだ記憶があるだけですが,販売していることについて「そんなことをしてはいけない!」と非難する書き込みをみた記憶があります。
 しかし,同時に博多どんたくと同時に行われる博多松ばやしの衣装も売られていて,こちらは31000円で袴,着物,法被,手拭いの全部がそろうようです。

 完全なる中年体型の私は山笠の衣装を着られる機会があったとしても似合わなくて恥ずかしくなるだけですが松ばやしの格好なら中年の方が似合いそうなのであれを着て襟に授けものも刺してGW前に授業とかするのもちょっといいかも…なんて思ったりしてしまいました。そういえば山笠の場合当番法被は6月に入ってからしか着てはいけなかったような気がしますが,松ばやしの衣装はそのようなしきたりはあるのかなあと。
 
 これはもうどちらの祭にも参加したことのない人間の完全なる感想なのですが,「山笠の衣装に関しては売買の対象とすることはすごくけしからんという禁忌的な雰囲気がある」のに対して,松囃子の衣装に関してはそこまで禁忌的な感じを受けないような気がして,もしそれが本当ならばその差はどこにあるのかなと。
 山笠の当番法被はそのデザインで流だけではなく構成町まで分かるので「アイデンティティ機能」が存在すると思います。しかし,しかし,松ばやしの衣装に関しても流は明確にわかりますし,裃のデザインは似ていても紋などで構成町は分かったはずなのでアイデンティティ機能の面では同じように思えます。
 もしかすると,祭を通じて神事に参加する時間が増えることで,衣装自体も神格化されていくというか,神様に触れていたものとしての価値が高まり,そのため衣装を売ること自体が神様に対する冒とくのように思われていく心理があるのかなあ?などと思ったりしました。
 
その辺のことを書いている可能性のある論文を見つけましたが残念ながら読めません。・゜・(つД`)・゜・。
大場あや 2021 冠婚葬祭における衣装・用具・施設を「共有」するということ : 石川県旧能美郡の事例. 論文集 : 冠婚編・葬祭編, 8, 29 – 42.

 まあでもよくよく考えたら日本のどの祭でも「一度来た衣装を売買することが嫌がられない祭」は存在しないですよね…ってもしかするとあるかもしれない…。

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