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【お金について②】 豊かさのエネルギーを欠乏のエネルギーで扱うことはできない。

「豊かさのエネルギーを欠乏のエネルギーで扱うことはできない。」

これは最近わたしに降ってきたメッセージ。

この前の記事で私はお金の二つの側面について書いていた💰

【お金について①】 お金とは、花を咲かせるエネルギーと同じもの。
https://note.com/matsurika_1995/n/n2877dd54a72e

お金は使う人の教養(許容)によって「ある一定の成果を指し示す単位」にもなりうるし、お金は「無条件の愛の流れ」にもなりうる。ということ。

私を含め、多分大多数の人がその両方の使い方を内在させている気がしてる。最近はその感覚の違いが体感でわかるようになってきたので書いてみる。

お金を払うとき、
例えば私は、スーパーで明日食べるほうれん草を買う、とかそういう生活必需品やサブスク、税金みたいなものは、機械的に”一定の単位”的にお金を払っている。
またある時は、たとえば、家族にお土産買ってこ〜!みたいな時ってそれとは別の、”愛の流れ”的な回し方をしてる。
こういうお金を使うときの感覚の違いみんなの中にもきっとあると思う☺️

私のイメージの世界では、
お金の行く先を見ながら前に送るようなイメージでお金を回すのが愛のエネルギーを使う時のイメージ。
単位的に使うのは裾からお金が落ちていくように支払うイメージ。

前回ノートに書いたようにお金その物質やエネルギーは豊かさの一種として存在しているというだけであって、それ自体はポジティブもネガティブもなくニュートラルなものだけれど、
お金に投影している私たちのマインドには、いろ〜〜んな想念のフィルターが存在する。
だからそれを整理するため、一旦「お金」というものと「お金に対して自分の投影しているマインド」を分けてかんがえてみる。

そして、きっと本当に豊かな人って前者で回す(投影する)お金の割合が大きい人なんだと思う。
きっと本当に豊かな人は生活必需品やサブスク、明日食べるほうれん草にすらその愛の気持ちでお金を回してる。


最近ホテルで働いてたんだけど、一泊に数万かけてさらにちょっといいフレンチのコース食べてるような人に毎日出会うようになった。わたしがあまり出会ってきたことのない人たち。
その中でいろんな人のお金へのマインドに触れることができたんだけど、
その中で私の求めていた”本当に豊か” ”本当のお金持ち”だと思った人はたった1組のカップルだけだった。


そのカップルはもうホテルに入ってきた時からオーラが違ってた。

喜ぶ!喜ぶ!とにかく喜ぶ!
感動する!感動する!とにかく感動する!

ちょっとオーバーじゃない?くらいにいちいち感動して喜んでいる。
私たちスタッフ側の意図にないものまで勝手に受け取ってとにかく喜ぶ。(笑)

そして、他のお客さんと何が違ったかというと、もう予約している日のタイミングからミラクルだった!
ホテル側の事情で予約のコントロールしていたこともあり、その日の予約は丁度、そのカップルのみの日程だった。
その日すべてのホテルのスタッフ、清掃員、キッチンのシェフたち総勢でその二人のためだけに動いていた。
ディナーはその二人のために、レストランの1番の特等席で、1番の景色を見ながら、二人のためだけの空間の中、シェフはその二人のためだけにいつもより余裕を持って出来立ての一品を素早く提供する。

すべての料理を美味しい!美味しい!と食べて、「心のこもった料理ですね」「作り手の気持ちが伝わる料理ですね」、とサーブする私に伝えてくれた。後にも先にもそんな表現で感想を言われたのは初めて、そのカップルの彼女だけだった。
何度も何度もありがとう、といい、すべての環境に感謝し感動し、それを表現していた。
そんな二人に私はもっと喜んで欲しいと思ったし、このカップルに提供するこの仕事ができて嬉しいと思ったし、幸せでいてほしいなといつものサービス内ではかけないようなポジティブな言葉をかけたくなったし(実際かけたし!笑)その日の仕事を気持ちよく思ったし私の仕事の有用性を感じた。

私は、この二人は”豊かさに慣れている”と思った。
それは物質的な意味ではなく、”豊かでいる”ことを自分たちのデフォルトとしている、豊かさエネルギーの扱い方に慣れている。
だからこそこのミラクルが彼らの豊かさの器に相応に起きている、必然だとわかる、って感じ。
そのカップルを見て確信したのは、豊かさとは、感じるものなのだということ。豊かさの享受とは物質的なことももちろんだが、本質的にはマインド、受容する能力のことを指すのだということ。そして感じるというと受動的なイメージがあるけど、むしろ能動的に取りに行くぐらいでいい気がする。

私が求めていた豊かなお金持ち、というのは、ただ単にお金を多く所有している人ではなく、お金の本質である豊かさのエネルギー(生命エネルギー)を圧倒的に上手に享受している人のことを指す
という解をその人たちの中に見つけて、私が見たかった真のお金持ちはこれだよ〜〜これこれ!っていう感じの気持ちの良いほど本物の「豊かさマインドの豊かさ扱い上手」さんだった。

そしてそのマインドで生きているからこそ、そんな人のもとにミラクルは訪れるのだ。

ホテルってきっとバケーションのために使ったりとか、記念日やお祝いのために利用したりだとか、誰かとのんびり楽しむためにだとか、ものすごく豊かさを最大に享受できるチャンスの宝庫と言ってもいい場所。だけど、
300円を多く支払う手違いがあっただけで、ホテルに300円を返せ、とわざわざ振り込ませるお客さんもいれば
美味しいご飯を食べながら、悪口を言っている人たちもいれば、
少し返答に困っただけでここぞとばかりに詰めてきたり、
ホテルを出てから有る事無い事口コミに書き込んだりする人もいる。

働きながら人という生き物の初めてみるそんな側面に私はひょえ〜って感じだった。
せっかく日常を離れ素敵なロケーションで非日常を過ごしていても、心が欠乏マインドであれば、目の前にある豊かさを享受できずむしろどこまで行っても足りない、足りない、なのだ。あのスタッフがこうしてくれなかった!こう対応しなかった!これがなかった!あれがなかった……!!!

そういう意味で、豊かさというエネルギーを欠乏のマインドで扱うことは不可能なのだ。
自分が豊かさのエネルギーにチューニングしない限り、
欠乏に囚われていると豊かさがたとえ目の前にあったとしても気が付かず、欠乏は欠乏しか生まない。


これはまた違う機会に知り合った人との欠乏とはと考えたエピソード。

ある人と知り合った時、その人のことを知ろうと思って、どんな仕事をしてるんですか?って軽い気持ちで聞いた。

そしたらその人は自分がどの大学を出てどんな資格があってどんな上流階級の人たちどんな仕事をしててるかって話し出して止まらなかった。
私のことなんて何一つ質問してくれなかったの!笑

聞いてないのに話す内容が、この人は学歴やお金の多さに価値を見出す人なんだなあっていうことがわかるんだけど、(それはその人の価値観なので自由と思う)でももしもその人がその全てを持っていて満たされてるのだとしたら、聞いてもないのにペラペラ〜とそんなこと話さないと思うの。

自分はこんなに価値がある人間ですって言わなきゃいけないって、自分は満たされてないんですって言ってることだと同じだと思う

自分の欠乏から行動して自分を大きく見せようとすれば、たとえばその人のパートナーになる人はその人が私の何かを満たしてくれる、と思って近づく、その人も欠乏を持っている人だと思う。
そしたらその子供だってああじゃなきゃダメ、こうじゃなきゃダメって条件付きでしか自分を満たせなくなる、そういう連鎖が生まれるだろうな、、、
とその人の話を聞きながら私は妄想していた。

欠乏のエネルギーは欠乏の連鎖しか生み出さない。
豊かさを享受できる人のもとに豊かさは見出される。

あの本当に豊かなカップルのように、今あることに感謝して全てが奇跡だと思って生きる、というのがきっと真の豊かな人だ。
だから豊かさのエネルギーに自分のチューニングを合わせてその領域を増やしていくことが豊かさを自由自在に扱うプロフェッショナルになる第一歩なんだとわたしは思う。

たとえば私の場合だったら、
自分が食べるほうれん草が誰が作ったほうれん草かがわかるとポジティブな気持ちになりやすく、愛のエネルギーをお金に投影しやすくなるようなマインドがある。
このほうれん草、このおばちゃんが作ったんだ〜愛しいな〜!って思うとハッピー度が上がる🌸

愛と豊かさのエネルギーを回すことに重点を置いたとしたら、値段がどうあれスーパーより直売所でつながりがわかりやすい形の場所で買ってみる、と言う行動をしてみるのは私にとって豊かさの扱いプロフェッショナルになる練習になるかも。

いつでも豊かさを享受できるいつもハッピーな私になっていくぞ🤩
目指せ!豊かさ受け取り上手🍀💖




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