『劇場版 響け!ユーフォニアム〜北宇治高校吹奏楽部へようこそ〜』分析と感想
◆『響け!ユーフォニアム』はなぜ素晴らしいのか?
『響け!ユーフォニアム』は、中学の吹奏楽部でユーフォニアムを何となく担当し、府大会でいわゆる「ダメ金」止まりだった黄前久美子が、高校でも吹奏楽部に入部して、友人・先輩たちとともに有能な音楽教師の指導のもと、全国大会出場を目指す……という、直球ど真ん中の王道青春ストーリーである。
可愛い女の子ばかりの登場人物と、外から見れば華やかな世界に見える吹奏楽部というガジェットのせいで、製作会社である京都アニメーションがよく製作しているような別の萌えアニメと同列に語られがちだが、吹奏楽部の経験者ならわかるように、実はジャンルで言えば『ピンポン』や『ちはやふる』と同じくくりに入るほどに「熱い」アニメとなっている。
しかし、なぜ『響け!ユーフォニアム』はこれほどまでに我々の心を打つのだろうか?
これについて考えた結果、この作品の「テーマ」が「非常に共感しやすい」ものであるからだ、という結論に至った。
それでは、『響け!ユーフォニアム』という作品のテーマとは何なのか。
◆これは『本気』を追い求める物語である
久美子は凡人であり、高校の吹奏楽部に入部した当初は、特に音楽を続ける明確な動機も持っていない。そんな久美子に大きな影響を与えるのが、高坂麗奈、斎藤葵(映画には出てこないが)、滝昇といった面々である。
1話の冒頭は久美子が中学時代に「ダメ金」をとったシーンから始まる。「ダメ金」だったと聞いて泣いている麗奈を見て、喜んでいると勘違いした久美子は麗奈に話しかける。
◇
「よかったね……金賞で。」
「……悔しい……悔しくって死にそう。なんでみんなダメ金なんかで喜べるの?あたしら全国目指してたんじゃないの?」
「……本気で全国行けると思ってたの?」
◇
この(当時の久美子にとって)どうしようもなく理解しがたいギャップこそが、本作品のテーマである。『響け、ユーフォニアム!』とは、13話をかけて久美子がこのときの麗奈とのギャップを埋める物語なのだ。
では、そのギャップとは何か?
それは一言でいえば、『本気』なのだろうと思う。
『本気』というキーワードは作中幾度となく出てくる。上の導入のシーンはもちろん、4話で合奏を終えた後の滝先生の言葉を聞いた久美子のナレーションや、7話で葵先輩が部をやめるシーンでも。
◇
(その挑戦的で屈託のない笑顔を見て、私もみんなも気が付いた。この先生は、『本気』だと)
◇
「滝先生だけじゃなく、みんな『本気』だって。コンクール金賞とるつもりで頑張ってる。……わたし、そこまでできない」
◇
自分たちで決めた目標なのにどこか他人事のような部員たちの前でかくあるべしという『本気』を見せつける滝先生を見て、あるいは『本気』になれずに去っていく葵先輩を見て、久美子は我知らず少しずつ『本気』になっていく。
だが、何より久美子に最も大きな影響を与えたのは麗奈の存在である。
中学の「ダメ金」の時点で既に『本気』だった麗奈に対し、久美子は中学時代のギャップの正体を知りたいという欲求もあって無意識に惹かれていくのだが、しかし久美子の側には「たとえギャップの正体を知ることができても麗奈と同じ位置に立つことはできないだろう」という決めつけがあり、物語中盤に入るまで久美子は麗奈との関係に一線を引いている。
久美子にとって麗奈とはあくまで「自分とは違う人」であり、隔絶を感じていたのだ。
しかしその一線を越えるエピソードが、8話の山登りのシーンである。
◇
「私は、特別になりたいの。ほかのやつらと、同じになりたくない。だから私は、トランペットをやってる。……特別になるために」
「トランペットやったら、特別になれるの?」
「なれる。もっと練習してもっとうまくなれば、もっと特別になれる。自分は特別だと思ってるだけのやつじゃない。本物の特別になる」
◇
このとき久美子は、麗奈が自分と隔絶した遠い場所にいるのではなく、そうした場所に至るために必死で己を律している、自分と同じ一人の女の子だと知るのである。
このエピソードをきっかけに、久美子はまだ無意識ながらも「麗奈と対等に歩みたい」と思い始める。
この変化は9話、サファイアからの電話の中でも指摘されている。
◇
「久美子ちゃん、ちょっと変わりましたよね」
「えぇ?そうかなぁ」
「はい。ちょっと大人っぽくなった気がします」
◇
(たぶんそれは、あの麗奈との夜があったからで……自分でも処理しきれないような意味不明な気持ちと戦いながら、どんどん前に進もうとする麗奈の姿に……私は、感動したんだ)
その思いは11話、麗奈と中世古先輩との再オーディションで、開始前に弱音を吐きそうになる一面を見せつつも、誰もが納得するような毅然とした演奏を見せる麗奈を見たことで、意識的な目標へと変わる。
こうして「麗奈と並ぶ」という『本気』を獲得した久美子は、これまで以上に必死に練習に打ち込み、9話でオーディションに合格する。
そして12話。久美子ははじめて、麗奈に対して『本気』を見せる。
◇
「ねぇ、麗奈。わたし、うまくなりたい。麗奈みたいに。わたし、麗奈みたいに特別になりたい」
「じゃあ私はもっと特別になる」
◇
だが練習むなしく滝に一部パートにおける戦力外を通告され、久美子ははじめて「ダメ金」のときの麗奈の気持ち……「何かに『本気』で打ち込んでもなお結果がついてこないもどかしさ」を知るのだった。
◇
(……うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい。うまくなりたい、うまくなりたいうまくなりたいうまくなりたい……うまくなりたいうまくなりたいうまくなりたい……うまくなりたい、うまくなりたい!誰にも負けたくない!誰にも……誰にも!)
◇
ストーリーとしてはここで完結しており、あとの府大会(13話)はおまけである。
さて、ここまでで『響け!ユーフォニアム』のテーマが『本気』である、ということについては説明できたと思うが、では次に、ここでいう『本気』とは具体的にどういったものを指すのだろうか?
◆『本気』とは『特別』に近づこうとする内的なモチベーションである
中学時代の久美子と麗奈との間にあったギャップ、『本気』とはどういう状態を指すのか?
これについては、動機づけが報酬などの外界の事情ではなく、己の内にある状態……すなわち「内的モチベーション」を保持した状態である、と言うべきである。
麗奈がトランペットを吹く動機は「特別」でありたいため、と語られている。そしてここでいう「特別」とは、他人が定めた価値観によらない、自分の価値観における「高み」、上位の位相であると考えられる。
だから麗奈は、モチベーションが自分の内にあるので、滝に対する反発でまわりのやる気が下がったりしたときも、自分だけは黙々と練習を続けられるのである。
◆人生とは内的なモチベーションを獲得する戦いである
それでは、冒頭の疑問に立ち返ろう。なぜ『響け!ユーフォニアム』はこれほどまでに我々の心を打つのだろうか?
それは思うに、高校の部活動とはいえ、きちんと内的なモチベーションを獲得できた久美子のことが、どうしようもなく「羨ましいから」であると考えられる。
「内的モチベーション」の涵養はあらゆる組織における課題であり、学校での部活動や学校行事などは、いわばそれを獲得するための練習をする場、モデルである。
なぜなら「内的モチベーション」を持っている人間は、社会において大小問わず大事を成し、ヒトという種を次なる位相へと導く可能性が高いからだ。
だが、翻って我々は普段、どんなモチベーションで生活しているだろうか?
目の前の雑事に追われ、徒に過ぎていく時間。家に帰れば変わり映えのしない娯楽のルーチンが待っている。彼ら彼女らの年齢だったときに思い描いていた将来は、こんなものだっただろうか?
しかし結局、現状を変えられるのは自分の意志以外にはありえない。そして現実を変えるほどの意志とは、「内的モチベーション」に支えられた情熱に他ならない。
だから「内的モチベーション」は、現実を生きる我々にとっても、何よりも重大な関心事であるはずなのである。
人は何のために生きるのか。その答えはその人なり、すなわち70億通り存在する。「内的モチベーション」が示す上位の位相を目指すことこそが人生の目標だ。
その「内的モチベーション」を、我々が願っても易々とは手に入らないものを、久美子は麗奈との出会いによって獲得した。それが羨ましいのだ。
それが『響け!ユーフォニアム』に我々が惹かれる一番の理由である、と私は考える。
自分にも、麗奈のような存在がいたら。
そして自分もあれくらい、『本気』になれたら。
思わずそう願ってしまうほどに、久美子にとって麗奈の存在が与える影響力は大きい。
その意味で、これは久美子が麗奈と出会うシンデレラストーリーであるとも見ることができる。
そして麗奈もまた、久美子のおかげで「内的モチベーション」を保てている。11話、中世古香織とのオーディションに臨む麗奈と、久美子との会話からもそのことは明らかだ。
◇
「……でも、今わたしが勝ったら悪者になる」
「いいよ、そのときはわたしも悪者になるから!香織先輩より、麗奈の方がいいって!ソロは麗奈が吹くべきだって言う!言ってやる!」
「……本当に?」
「……たぶん」
「やっぱり久美子は、性格悪い……側にいてくれる?」
「……うん」
「裏切らない?」
「もしも裏切ったら、殺していい」
「……本気で殺すよ?」
「麗奈ならしかねないもん。それがわかった上で言ってる。……だってこれは、愛の告白だから」
◇
互いに対等な存在として影響しあい、より上位の位相にたどり着くために『内的モチベーション』を高いレベルで保ち続ける、理想的な友人。それが久美子と麗奈とがたどり着いた関係だ。
ちなみにこれに近い関係は、ほかにも同じく11話で、中世古香織と田中あすかとの間にも垣間見ることができる。
◇
「ねぇ、前から聞こうと思ってたんだけど……どうしてあすかなの?どうしてそんなにこだわるのかなって……」
「どうしてだろう……よくわからないけど。なんか、見透かされてるような気がするんだよね。私が思ってること、なんでも。だから……あすかを驚かせたい。あすかが思ってるわたしの一歩先を、本物のわたしが行きたい」
◇
中世古もまた、田中あすかに見られているということを通じて、自分にとってのより上位の位相へとシフトしようとしているのだ。
◆『本気』になりたい大人たちへ
このように『響け!ユーフォニアム』は、様々な立ち位置の人物が吹奏楽を通じて「内的モチベーション」を共有していき、そしてそれが肯定される物語である。
つまり『本気』=「内的モチベーション」を獲得することの素晴らしさを伝えてくれているのだ。
そしてそうであるからこそ、現実において「内的モチベーション」を獲得できずに苦しんでいる人ほど突き刺さる内容となっている。
既に「内的モチベーション」が十分ある人でない限り、この映画を見た後には、「何かをしよう」「新しく始めよう」「もっとよく生きよう」といった具合に、日々を生きる「活力」「やる気」が……『本気』が、心の底からわいてくるはずなのだ。
久美子が麗奈に感化されたように。
それはあたかも彼女たちの『内的モチベーション』が、スクリーンを通して現実の私たちへと伝播されてきたかのようでもある。
そして。
アニメがもし、それを見ることを通じて現実に生きる人の生き方をより良い方向に変えられるというならば、それ以上のことがあるだろうか?
その意味で『劇場版 響け!ユーフォニアム』は、『本気』をどこかに置き忘れてしまった大人たちのための、唯一無二の処方箋なのではないかと思う。
自分の『本気』を知りたい、もしくは、そういえば最近『本気』を出してないな、と思ったら。
ぜひこの映画を見て、彼女たちの演奏から『本気』を受け取ってみて欲しい。
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