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自分を知ることは相手からより良く理解されること

・おはようございます〜。

・今朝発語のない自閉症の子供が初めてお父さんに「I love you」と言った動画を見て感動したんですが、自分にも世界にも疑問が湧いた、、、。

・この子はきっと普段からお父さんを愛しているんだと思うんですよ。だけど、言葉にできなかっただけで、彼のお父さんに対する愛は別に今までと変わりがないわけですよね。だけど、なんで私たち「発語ができる人」はこの「言葉にすること」でずっとそこにあったはずの愛を初めて認識するんだろう?と。シンプルに疑問。それって「言葉」や、「言葉じゃなくても何らかの共通の言語」がないと「愛」をそこまで認識できない、もしくは疑いを持ってしまう、ということなんだろうか?愛はあるとは思えるけど、確信的なレベルには落とし込めない、というか。共通で認識できる言葉や行動がないと「ないこと」にされたり「軽く見られる」ということなんだろうか?

・もちろん私たちの大半は言葉を使うので言葉で伝えられた方がいいのは確かだけど、それがないといけない、ということもないんじゃないかなと思いますが、まんまとわたしも感動しちゃったのでわたしも「言葉で伝える方が価値が高い」と思い込んでいるタイプなんでしょう。そんな自分に「なんでやねん」が出た朝でした。

・あ、今日は先日コメントいただいたDaddy Issueの切り出し方(完全なわたしバージョン)をお送りします。

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