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【ショートショート】夕陽は朝日で、地の果ては海の始まり

 崖っぷちだった。比喩ではなく、文字通りの崖っぷち。一応柵はあるけれど落ちたら絶対助からないであろう断崖絶壁。それでも観光客の多くは柵を乗り越えた先で写真を撮っている。私も柵を越えて突端まで近づいてみるけれど怖くなってすぐにひき返し、安全圏から景色を眺める。もうすぐ日が沈む。その瞬間を他の観光客と共に待つことにした。
 
 崖っぷちだったのは人生も同じ。仕事を失い恋も失い、ついでにビザも切れそうになっていた。「ついで」という割にこれが一番の大問題だったんだけど。でも心情的には失恋の痛手の方が大きかった。
 帰国。
 一番考えたくなかった選択肢が現実味を帯びてきた。そんな時にふと、いや、ほとんど破れかぶれに、ここまできたらユーラシア大陸の最西端のロカ岬まで行ってみようと思い立った。ユーラシア大陸の東の果て、さらにその先の小さな島国からこんなに遠くまで来たんだと実感したかったのかもしれない。
 スペインから夜行列車に乗り込みリスボンへ入った。駅で地図をもらい街中の観光案内所でロカ岬までの行き方を聞いた。ガイドブックも、地図すら持たずに来てしまったけれど、とりあえずなんとかたどり着けそうでほっとした。
 
 観光客の多くはここで夕陽を見ようと待機している。日没まではまだ時間があった。私は土産物屋で絵葉書を買い、日本にいる友人に送ることにした。
「行き当たりばったりの旅。たどり着いたのは崖っぷち。まるで私の人生のよう。でもそれはそれは美しい崖っぷちだったよ」
 そう書いて投函した。
 
 ロカ岬の夕陽は海の向こうのアメリカで朝日になるだろう。反対を向く。「ここに地果て、海が始まる」というカモンイスの有名な詩の一節が刻まれた石碑が建つ。この石碑の遥か向こうに私は帰るのだ。
 
 旅から戻って、アパートで帰国に向けた荷造りを始めていた頃、絵葉書を送った友人から返信のポストカードが届いた。そこには「あんたも私も、そんな崖から突き落とされたくらいじゃ死なないから大丈夫」と書かれていた。
 思わず吹きだす。確かに、突き落とされても這い上がってきそうだよね、あんたも。私も。
 
 あれからずいぶん経った。お互いに色々あったけれどふたりともまだ図太く生きている。崖から突き落とされることも自ら足を滑らせて落ちてしまったこともあったと思う。でも何かで傷つくたびに友のあの言葉にはずいぶん助けられた。
 
 今もそう。また崖から落ちてしまったようだけれど、はたと思う。
 ここで地は果てるけれど、海はここから始まる。
 もうこの崖を這い上がらずに今度は海を渡る方法を考えてもいいのかもしれない。

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