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『ソウルフルワールド』は生きる意味を失った現代人へ送る哲学映画

最近『レミーのおいしいレストラン』を観てあまりに良かったのでピクサー映画観よう!とのことで『ソウルフルワールド』を鑑賞。

この映画は、
決まった生きる意味などなくていいし、せっかく感覚を愉しめる「身体」を持っているんならそっちも全力で愉しんで人生過ごさねぇ?
というメッセージの自己啓発的映画。

この前、友達がこんなことを言っていた。
「今、毎日なんの楽しみもなく、苦しみながら何時間も勉強をして仕事をしているのはその先に待っている『本当の人生』のためである。

今は辛くても他の人より辛いことをした分、『本当の人生』がよりよいものになる。

と、ずーっと思っていたのだけれど、それは間違いかもしれない。遠く離れた花畑を思い浮かべてそればかり見つめていたら、実は近くにいくつも花が咲いているのにそれらを見逃してきてしまった
(随分ポエマーな友達)
、と。

主人公のジョーは、自身の憧れの人とバンドを組んで最高のステージに立ったにも関わらず、「ここから人生が変わる!」というずっと思い描いていた気持ちにはならず困惑していた。

あれほど夢だと思っていた舞台が、明日も明後日も何年も続くと考えると、それは次第に日常となり新鮮さは薄れる。

何か大きな目的や目標を立てると、それを達成した瞬間に人生が薔薇色になり全てが鮮やかでうまくいくようになると思い描く。が、実際には明確な境界はない。

ある目的を達成したらその次を立てて、また直向きに努力するだけ。薔薇色のその先の人生を求めていた人にとっては、終わりの見えない道に感じる。

で、この映画が薦めるのは、そういう「論理」で人生を突き進むのもいいけれど、「感覚」をフルに使って今目の前のことを一つ一つたのしんでいってみたら?ということ。
目的のために直結するものだけで日々を満たして、他を全て排除している人って、あんま魅力的じゃないし実は効率悪いよと伝えている。
でも今の社会じゃそうなっちゃうよね。

肉体のないソウルたちには感じられない、木漏れ日のきらめきやピザの香り、ケーキの食感、路上の歌声、地下鉄の風、歩く地面の感触などに目を向けてみると、同じことの繰り返しに感じられる毎日がこんなにも変わってくるよ、と。

先ほどの友達は、最近ランニングを始めて、自然を感じるようになったら毎日の楽しみになって生きがいになったと言っていた。自分も自分の身体感覚というものをもっと大事にして生きたい。

最近サウナが流行っているのも、論理ばかりの都市という空間にぶち込まれている現代人による、感覚の世界への逃避なのであーる。
間も無く、身体の感覚への回帰をうたう「感覚ルネッサンス」が訪れるかもしれない。


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