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背伸び

 身の丈に合った文章とは何か。そんな事を考える。書き手の技量がないのに、気取った表現をする事が身の丈に合わないのか。
 こんな事を考えるようになったきっかけは、自分の文章が自分で書いたように思えなくなったから。そもそも文章は、自分の為の文章と、人に伝えるそれとに分けられる。
 読者の興味に合わせて、情報を適切な形で伝える文章が人に読まれるためには必要で、自分の為のそれならその限りではない。
 自分で書いた文章が自分で書いたように思えないのは、今までと書くスタンスが変わったという事にすれば安心できる。今まで、自分の為に書いていたのに、今は、自分は人に読んでもらうために書いていると思えば、楽になる。
 しかしながら、そんな楽観的な事ではない。
 なんか、パクリじゃないのかと思ってきた。実際に、人が描いた文章を参考にして、情景や心情を表現をする事が自分にはある。それに、今まで読んできた小説の感じが無意識に出る事もあるだろう。それらがパクリなら、何も書けなくなる。でも、パクリに思えてきた。誰かが描いた絵を模写しているのに、オリジナルだと主張するような気持ち悪さ。
 新しいモノなんて、そうそう簡単に書けない。突拍子もないモノを書きたい訳じゃない。とにかく、自分が小説を書けると自分で思いたい。
 読者の理解や興味に合わない、あるいは彼らの背景や知識に合わない文章を書きたくない。特定の文化や価値観に基づいた表現が、読者の文化や価値観と合わない場合、その文章は読者に受け入れられないだろう。
 自分が何者なのか、そんな事はどうでもいい。自分が何を書けるか、何を読者に与えられるのか、そこで背伸びをしてでも、パクリだと疑いながらも、とにかく書くしかないのだろう。しかしながら、愚図愚図とこんな事を考える。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!