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おもいつくままの散文

 賑やかさとは程遠いその公園のベンチに春松は腰かけて、米の入った風呂敷を地面に投げるようにおろした。
「大変でしたね」東屋から何かの商店のおかみのような女が出てきて、彼に話しかけてきた。春松の姿を見て、哀れだと思ったのだろう。東屋を指さして「こっちへどうぞ」と言った。
「雨にでも降られたら、散々ですよ」年とった亭主も出てきて「どちらから?」と春松に尋ねる。
「三郷から」
「三郷?」
「神奈山の向こうの村です」
「そんなところからですか」
 春松はおろしたばかりの風呂敷を抱え「ええ」と答える。そして、夫婦に促されるように東屋に入っていく。
「こんな事になるなんてねぇ」
「仕方ないよな」地震の被害を呑気に話す二人は、公園前の床屋を営んでいるようで、その店舗兼住居は地震で壊れてしまったようだ。
「三郷というのは、村ですか?」
「ええ。まぁ」返事が曖昧になったのは、自分だけでなく村そのものが人々の記憶から消えてしまったのではないかと春松は疑ったからかもしれない。
「ここで生まれ育ったのですが、三郷なんて初めて聞きましたよ。いや、気を悪くしたらすみません」亭主はおかみさんに確認するように目配せするが、彼女は「さぁ」というような顔でそれに答える。
「小さな村ですからね。仕方ありませんよ」
「そちらの方も揺れましたか?」
「ええ」
「で、これからどうされるんですか?」亭主は、春松に尋ねた。「とりあえず、十二社まで歩いてみようと思います」
「歩いて?」
「ええ。十二社の若松という家に行かなければならないのです」春松はそう答えながら、自分が楽観的なことを口にしているのに驚いた様子だ。
「でも、その恰好では」と亭主が言うと、おかみさんもそれに同意したように頷いた。確かに春松の靴はボロボロだった。「どこかで、新しい靴を手に入れます」
「でも、十二社まで歩くのは大変ですよ」
春松は、亭主の心配そうな言葉を軽く受け流す。
「まぁ、何とかなるでしょう」
「お急ぎですか?」とおかみさんが尋ねた。
「ええ」と春松は頷く。
「ちょっとお待ちになってくださいな」おかみさんはそう言い残して、店の中に消えた。そして、すぐに戻ってきた彼女の手には、新品同様の靴があった。「これを」と、おかみさんは春松にその靴を差し出した。
「これは、新品では?」春松は驚きながら尋ねる。
「いいえ、違います」おかみさんがそう答えたので、春松は首を傾げた。「この靴の持ち主は、もう亡くなっていますから」
「亡くなった?」
「ええ。だからもう誰も履かない靴ですので」
「どなたの物だったのですか?」
「まぁいいじゃないですか。使ってやって下さい」
「でも……」と、春松は戸惑い遠慮しながらも春松は靴を受け取った。そして、彼はその靴を履いた。
「ぴったりですね」おかみさんが笑う。

一日延ばしは時の盗人、明日は明日…… あっ、ありがとうございます!