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笑う壁

塗壁の仕事、特に土壁というのはアバウトでランダムでノープロブレムなものである。アバウトであるということは、その仕事が水を用いて、太陽の熱や風によって乾燥し固まっていくということから起こることだ。これらの条件を人間の力でコントロールすることは叶わない。寒い日を避けようとか、あまりにもかんかん照りの日に外壁を塗らないなどの気遣いはできるが、その程度のことである。乾燥条件が変わるからこそアバウトさが内包されるのだ。

ランダムさは素材の多様性から生じる。先日中野区にある富澤建材を訪問した。そこには伝統左官に用いる様々な素材があった。これらは全て日本各地で採れる左官の素材である。本聚楽土、稲荷山黄土など誰でも知っているものや、白土などなかなか目にしないものまである。白土といえば法隆寺の金堂にある壁画の下地に使用されているのが起源であろう。法隆寺の時代から左官があったのかと驚く方もいると思うが、檜の木ずり下地に土を塗り重ね、白土のキャンパスを作ってそこに壁画を描いている。左官は遠く飛鳥時代から続く手法を今でも用いているのである。

泥だけではない。すさも海藻ノリもそれぞれ同じものは一つとしてない。粘土のように数万年から数百万年かけて岩が風化してできたものですら、そこに含まれる鉄分やアルミや腐食によるものたちは、白や青や黄色や赤の無限と言っていいほどの色を持つのである。

これらの素材を用いて、それをさらに職人の頭の中にあるイメージを膨らませながら混ぜ合わせ、壁に塗ることによってできる塗壁は、ノープロブレムな成り行きに任せて生み出される。ノープロブレムな成り行きというのは出鱈目ということではない。職人の経験に基づいて、さらにその先にある、風、人、太陽、土・・・の出会いの結果に委ねるということである。こういう自由さがあるからこそ私たちは左官の壁に魅了されるのである。ビニルクロスにはない表情、まるで笑う人の表情のように壁もまた笑うのだ。

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