見出し画像

表現するという意味

 皆さん、いかがお過ごしでしょうか?MUです。ちょっと落書きをアップさせていただきました。

さて、今回のテーマで取り上げたいのは下手なイラストにもならない画像と表題でお伝えしたく、  表現 についてです。

既にもう、かなり前からアートにアニメーション、映画にいたるまで、あらゆる分野においてCGを駆使して私達を楽しませてくれています。

大変見やすく、綺麗なディティール。当然、私達の目も肥えて、そして慣れてきて、これまでの凄いと思って胸躍らせてきた作品も、それこそ陳腐に思える感覚と印象になったなぁ・・と、感じるのは私だけでしょうか?

もっともっと綺麗に、よりリアルにと脳が刺激を求め、感動を欲しがるかの様です。

いえ、決して私はそれを良し悪しのたて分けで断ずる事ではありません。時代の趨勢とでも言いますか、そうやって世は移り変わるのも常なのだろうとも思っています。

表現にはまだいろいろ種類があります。ダンス、演劇、お笑い、パフォーマンス・・・ 

では、小説などの文章による表現は?と視点を移してみましょう。

チャットGPT・・・

理想的な文脈、文法による文章の構築をネット上に飛び交う膨大なデータから抽出し、完成させる・・・

多分、これまでの文豪と呼ばれた人々から辞書、理想的なリポート作成者に至るまでのあらゆるデータをテンプレート、規則化して、そつなく無難な文章に仕上げる・・

実に画期的です。いや、 画期的過ぎるのでは? と、個人的に思ってしまいます。

いやいや時短できるし、苦労もなくミスもないようにAIがやってくれる時代になったのさ。これ以上なんの不満があるの?・・と言う声が聞こえてきそうです。 

それでは仮の状況を設定してみましょう。

あなたは大学の卒論をAIで完成させ、見事卒業しました。・・そして就職活動です。履歴書の趣味や活動、そして学部等のプロフィールに意欲を含めたアピールを記入して応募します。
一次選考が通り、さて二次選考の面接の場まで残りました。

そこで面接官の方があなたにこう質問します・・

「〇〇大学卒なんですね?・・学部も私と全く一緒ですね。後輩だ。」

しめた!と思います。千載一遇のチャンス!

そして面接官は、こう質問しました。

「卒論はどういうテーマを?」

あなた・・「はい、私は〇〇の〇〇に対する影響とその〇〇について・・をテーマに評価をいただきました。」

「では、その〇〇についてのあなたの考察を端的に私にもわかり易く実際の事例を含めて述べていただけますか?」

あなたは困ってしまいます。
・・何故なら・・

あなたに提起された課題を、AIがあらゆる難解なデータを紐解き
、考えうる中での1番ベターな答えを提示しましたが、そこまで行き着く大切な、一見無駄とも思える過程を踏まずにそのまま卒論にして提出した・・
あなたは自分が知っている限りの知識をフル動員し説明します。

面接官「なるほど・・しかし、それ以外でも、影響の要因として〇〇のような事もありますが、それについてはどう考えますか?」

あなたは絶句します。・・・だって関連はうすうす解ってたけど、そこまで深堀りしてなかった!

4〜5秒の沈黙・・・

「はい、結構です。ありがとうございました。では、次の方・・」

バレました。結果は神のみぞ知る・・です。


これはいわゆる表現の範疇外かもしれません。脱線しました、申し訳ありませんm(_ _)m

でも、AIは理想的と言うか、汎用化と言うか、平均化にならざるを得ない宿命を持っているように思えてなりません。
先の寸劇まがいなものは、実は まだ 人は人を感じたい 世界なのかもしれません・・ 

実はまだ人の世界なのです。

でも、面接官が仮にAIになったとしたなら、もっと冷酷になるかも・・・


しかし、人とは1人1人


味がある。個性がある。隠しきれない・・・

アートだって、ダンスだって、音楽だって、パフォーマンスだって、芝居だって、小説だって、陶芸だって、リポートだって、この社会だって・・・

人間には間違っているところもあるし、稚拙な表現もいっぱいですが・・


愛着がある。憎しみもある。怒りもある。哀しみもある。笑顔もある。どうしようもない情念さえある。 

それがAIには、おそらく今の段階では理解できない、表現できない・・全く稚拙で不完全で・・

しかし、愛されるべきかもしれない・・表現の本質・・

人間ではないでしょうか?



さて、皆さんはどういう世界を待ち望んでいますか?

選択の時は既に・・・

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?