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満員電車の静けさに驚き、慣れない外国人

どこに行っても人が多い東京は、数時間の滞在でも自分のスピードが加速する。急いでるわけではないのに、マラソンのような気分になる。歩くというより、走る。このような気持ちはおそらく、東京の特徴だと言えるだろうか。

でも、大変さはこれだけじゃない!今、考えるだけでも冷や汗が止まらない。

地下鉄の出口は、まさしく迷路のようなのだ。ラスボスとの対峙シーンに出てきそうな最強のプレイングゲームだ。都内を回るたびに、ドンキーコングのゲームを思い出す。負けないように、壁があっても体当たりで壊しながら進む無敵感。ドンキーコングの気持ちがよく理解できる。
途中からはなぜここに来ているのかわからなくなる時もある。国籍にも関わらず、この感覚は共通点の一つになる。

この中で、日本人は既に慣れているから当たり前かもしれないけど、外国人に
とっては、地下鉄の静かさに驚くことが非常に多い。止まらない東京、1日中に輝いている東京は、一番の人混みに入ると一気に音が消える。周りの存在は薄くなる。この体験をしたことがある外国人によると、人の多さと静けさを同時に見れることが信じられないと言う。満員電車でも迷惑をかけないように配慮して、国民性が出てくる。

寝たりスマホを見たり本を読んだりしている人がほとんど。一方、自分のことしか考えてないイタリア人や欧米人は、まるで自分の家にいるように大声で話したり動いたりしている。つまり、すぐ目立つ。周りの環境を考えずに自分らしさはそのままで行く。

日本では電車内で静かに過ごすことが当たり前で、通話や大声でのおしゃべりはマナー違反という共通認識があるから、電車内は別の世界になる。外国人にとっては驚きを抑えられない。

静かな電車に乗って我慢して話さない外国人がいれば、やり放題の外国人もいる。
イタリア現地の電車に乗ったことがある人はわかると思うけど、非常にうるさい。電話したり仲間同士で盛り上がって声がどんどん大きくなったりするのは迷惑ではない、という社会になってしまった。「電車内=公共の場所」と「騒がしくする=近所迷惑」の感覚がないのか、イタリア人の僕でさえ不思議に思う。マナーの問題より、マナー感覚の違いが原因のような気がする。外国人にとって日本の静かな満員電車に乗ることは、観光体験の一部になると言っても過言ではない。

文化の壁はもちろんあると言えばあるだろうけど、今いる国の文化を理解しようとしない外国人もいる。わざと迷惑をかけたい気持ちはもちろんないだろう。でも、自分を中心にしてしまうと、どうしても迷惑をかけてしまう。これを見て冷静に考えた時に、日本は島国ということで数百年をかけて仲良く生活するため、この近所迷惑の感覚が自然になる。どこにも書いていないマナーは知らず知らずに全員が知っていて、多くの日本人はしっかり守っている。

外国人が日本に住むことの大変さの原因は、日本の文化と社会だけではなく、自分のマナーを切り替えできないことだろう。そもそも「近所迷惑」自体が理解しづらい異文化だ。日本の本心を引き出したいなら、まず自分の鎧を外さなければならない。

都内の満員電車の静けさは、ある意味日本人のシールドだ。毎日この静けさの中で社会的なバトルが始まっている。

Massi


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