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ブラジリアン・トップチーム/イノサント・アカデミーへの道 〜思い立ったきっかけと語学、資金の準備〜

琉球大学在学時代、宮古島トライアスロン完走という、人生の一大イベントを終えてしまった私は、しばらく夏場はビーチでライフガードしながら、空虚な日々を過ごしていた。

ロングのトライアスロンを完走するのは、青森に住んで高校に通っていた頃からの夢であったし、それによって何か最強の自分に生まれ変われる気がした。

しかし、何も変わらなかった。

ライフガードの仕事も、警備会社の都合で何の理由もなしに解雇されるなど、自分にはどうすることもできない負の連鎖が続いていた。

ちょうどその頃、UFCの最初の大会が開かれ、私も大道塾の空手を始めた。

大道塾の空手は、ライフガードをしていた頃の先輩からの紹介。昔からブルース・リーに憧れ、格闘技を始めるならば何か総合に近いものをと思っていた矢先のことである。まだこの頃は、MMAという概念はなく、UFCの闘いは「No Holds Barred」と呼ばれていた。

その頃の大道塾は、スーパーセーフをつけてすべての突き、蹴り、膝、肘、頭突きが有効なルールで、それに投げと関節技まで認められていた。

ただ大道塾は、緑帯までは基本ルールと言って、いわゆる極真ルール。基本稽古や移動稽古、各種ドリルで顔面ありの技を学ぶものの、スパーリングは顔面ありをやらせてもらえず、極真ルールになる。

私は痛いだけの極真ルールはどうしても好きになれなかったせっかく大道塾で学んでいるのに、顔面ありのスパーのできない悶々とした日々。

そんな時、伝説のNumberブラジル格闘技特集が発売された。

そこにはまだ見ぬブラジルの格闘技の道場の様子が掲載されていた。主な記事は、リオの格闘技事情とシュートボクセの取材記事。そしてなんとブラジリアントップチームの住所までが掲載されていた。

Windows 95がようやく出始めた頃のダイヤルアップ回線で、遅いインターネットを駆使して、リオまでの道筋やイノサントアカデミーのあるLAまでの道筋を調べ思いを馳せていた。

ちなみにイノサントアカデミーとは、ブルース・リー直系の弟子、ダン・イノサントの主催するLAにあるアカデミーのこと。

そこではジークンドーのほかに、修斗、カリ、シラット、ムエタイ、サバットなどを学ぶことができた。

渡伯に向けて、ポルトガル語の習得に着手した。

沖縄に住んでいたこともあり、英語は米兵などを相手に既に話していた。ところが身近に話し相手がいる英語と違い、ポルトガル語はそもそもの話者が沖縄にいない。

1番近くのブラジル人は、その当時那覇の平和通りにあったパスティス高良という、ブラジル日系3世の営む、ブラジルのスナック・軽食店のオーナーだけであった。

ブラジリアン・トップチームに行って練習したいという思いの丈を、ただよくパスティスを買いに来るだけの私のお願いに、高良さんは答えてくれた。立派なポルトガル語の手紙ができた。

さてどうやって身近なブラジル人を見つけたかと言うと、琉球大学では南米に散らばった沖縄県系の子孫を県費留学生として招く制度があった。その中にブラジルからの留学生もいた。ウェルカムパーティーでその留学生と知り合い、語学の交換をしないかともちかけた。

しばらくして、国費留学生の中にもブラジルからの学生がいることがわかった。この学生とウェルカムパーティーで知り合い、色々と留学の世話をすることになった。

この時はわずかばかり覚えたポルトガル語と、英語で会話していた。

こういった環境で約1年経った頃、ポルトガル語は簡単な日常会話ができるようになっていた。

国費留学のブラジル人は、留学生会館と言う留学生のための寮に住んでいたが、そこでいろんな国の友達がいた。その中に加わって会話していると、彼女の友達の南米系の学生は皆、英語とポルトガル語、スペイン語を流暢に操っていた。

「ああ、これって当たり前のことなんだ。」

何か確信線を越えた瞬間だった。

教科書も学校のクラスも1度も受けたことのないポルトガル語は、たったそれだけのことで上達した。

ポルトガル語を覚えたら、その留学生の紹介で、ポルトガル語を使うコールセンターの仕事が手に入った。

日常会話ほどのポルトガル語で、いきなり電話対応するのは無謀。でも若さって素晴らしい。無謀が挑戦になってしまう。電話口に出てくれる優しい日系ブラジル人のおかげで、何とかそつなく仕事をこなし、さらにポルトガル語まで上達した。

またさらに、そこで3年ほど働いたところ、アメリカとブラジル行きの資金もできた。何と運命の女神様に愛されていること。

様々な幸運を引き寄せ、旅の準備は整った。

2022/04/16追記
このお話をもとにFacebookライブで喋らせていただきました。よろしかったら、ご覧ください。

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Posted by Tomoko Nagayasu on Tuesday, April 12, 2022

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