※6月10日分
最近、岸政彦と柴崎友香の『大阪』という本を買ってみた。
こういうエッセイを買うことはあまり無いのだが、私の関心のある「大阪」がテーマになっているので、買ってみた。以前、家から一番近いBOOKOFFで見て買おうかなと思ったが、その時買わなかったらしばらく店の棚から消えてしまった。そして、先日また棚に現れていた(売り戻しか陳列の都合?)ので感動の再会ということで購入。
この本のおもしろいところは岸政彦という社会学者と柴崎友香という小説家が交互の章立てでその人から見た「大阪」について書くという構成である。社会学者のだけの本は堅苦しくて専門的になるし、小説家だけの本ならフィクションが入りすぎて飛躍しがちであるが、この本は書き手がミックスされているのでその辺が調和されている。こういう本がもっといっぱい出ればいいのにと思う。
それでは気になった部分や印象に残った部分をかいつまんで書いてみたいと思う。柴崎氏は大正区という特定の地域に関する記述が多かったため、引用は岸氏の部分が多くなってしまったがそこのご了承いただきたい。
大阪は広く、大都会であるが、大阪の「左半分」、特に大阪市で言えば此花区や大正区、港区は記述の通り、寂しく静かな感じがする。それは交通の便が少ないとか工場や会社が多いといった現実的な理由もあろうが、そこは「埋め立て地」であり「古く昔から続く大阪の陸地では無いという潜在意識」があるからではないかと思う。古来よりその陸地・土地に染み付いた風情や人情味というモノがまったく感じられない。それがそういった無機質的な感覚を覚えさせるのだろう。言わば、それらのエリアは、意識下においては、大阪の外様と言えるかもしれない。
「住めば都」と言うし、どんな都市や町にもそれぞれの顔や風情がある。ただ、それでも、個人的には、大阪で過ごす時間というのは特別だと感じる。大阪には数多くの店やスポットがあって、そういった表面的な充実感ももちろんあるが、それ以上に、見えない、無意識的な魅力があるように感じられる。
大阪が好きということは、実際は単純に「大阪という物理的な空間」が好きということなのではない。大阪で過ごした自分の時間や人生に対して感情や選好としての「好き」なのである。自分の人生や生活を肯定できる空間、それこそが大阪で過ごすことの魅力なのだと感じた。
大阪環状線は大阪市内をぐるっと一周するように走っているが、各駅やエリアによってその雰囲気は全く違う。オフイスビルや都市的な装いをするエリアもあれば、下町やどこか異国情緒漂うような雰囲気のエリアもある。環状線を一周するということは、大阪を単に一周することでもあるが、さまざまな「大阪」をその目で見ることができるチャンスでもある。
私も上記のような話や噂話に出くわす時がたまにある。それらは普段は、語られることなく人々の心の中に閉じ込められているが、ある時、あるきっかけで聞こえてしまう時がある。「〇〇という苗字は・・・」「〇という漢字が入る地名は・・・」「あの辺は・・・」という風に。それらは大っぴらに語られることは少ないけれど、人々の心の中には今も確かに存在している。半ば、都市伝説的というかおもしろ半分に語られるような場合が多い気はするが、それは逆にいえば適当な、憶測的な話でもあるということだ。
引用の通り、大阪にはコリアンタウンや被差別部落、遊郭がある。だが、それらは完全に何事もなく大阪の一部と化しているということはなく、しばしばそういった都市伝説や噂の的になる時がある。それらはこれからもそう語り継がれていくのだろうか。
社会学者と小説家の書いた「大阪」はとてもおもしろかった。それは2人が著名な人物であるということももちろんあるが、同じ大阪での生活といっても、そこには全く違う人生やストーリー、見方が存在する。当たり前だが、同じ土地で生活しても、見えるセカイや人生は一人一人全く違うモノになる。人の数だけ人生やドラマがあるということだ。そのことに改めて気付かされた。
それと同時に、大阪の魅力や広大さ、多様性を再確認した。ここには東京や名古屋にはないモノがたくさんある。この本のシリーズ化を是非してもらって他の人の「大阪」も読んでみたいと思う。