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岸政彦 柴崎友香『大阪』

※6月10日分

最近、岸政彦と柴崎友香の『大阪』という本を買ってみた。

こういうエッセイを買うことはあまり無いのだが、私の関心のある「大阪」がテーマになっているので、買ってみた。以前、家から一番近いBOOKOFFで見て買おうかなと思ったが、その時買わなかったらしばらく店の棚から消えてしまった。そして、先日また棚に現れていた(売り戻しか陳列の都合?)ので感動の再会ということで購入。

この本のおもしろいところは岸政彦という社会学者柴崎友香という小説家が交互の章立てでその人から見た「大阪」について書くという構成である。社会学者のだけの本は堅苦しくて専門的になるし、小説家だけの本ならフィクションが入りすぎて飛躍しがちであるが、この本は書き手がミックスされているのでその辺が調和されている。こういう本がもっといっぱい出ればいいのにと思う。

それでは気になった部分や印象に残った部分をかいつまんで書いてみたいと思う。柴崎氏は大正区という特定の地域に関する記述が多かったため、引用は岸氏の部分が多くなってしまったがそこのご了承いただきたい。

 私が初めて書いた小説は「ビニール傘」という短編で、此花区や大正区や港区が舞台になっている。私はこの小さな作品のなかで、あの大阪の「左半分」の、埋め立て地に特有の、すこし寂しく、静かで、だだっ広い感じを書きたかった。そして柴崎さんもこのあたりのご出身で、だから私の小説の書評で、ここに描かれた風景には少し見覚えがある、と書いてくださった。
 私はあの、少し寂しく、静かで、だだっ広い大阪が好きだ。あの風景が、三十年のあいだに私が見てきた大阪だ。(岸政彦 P8 )

大阪は広く、大都会であるが、大阪の「左半分」、特に大阪市で言えば此花区や大正区、港区は記述の通り、寂しく静かな感じがする。それは交通の便が少ないとか工場や会社が多いといった現実的な理由もあろうが、そこは「埋め立て地」であり「古く昔から続く大阪の陸地では無いという潜在意識」があるからではないかと思う。古来よりその陸地・土地に染み付いた風情や人情味というモノがまったく感じられない。それがそういった無機質的な感覚を覚えさせるのだろう。言わば、それらのエリアは、意識下においては、大阪の外様と言えるかもしれない。

  私も柴崎さんも、大阪を書くことを通じて、大阪で生きる自分の人生を書いた。大阪とは、あるひとつの、「そういう空間」のことだが、私と柴崎さんにとってはそれは、暮らしていた街、暮らしにきた街ということでもあり、だからそれは、「そういう時間」のことでもある。大阪とは、単なる地理的な位置や境界線のことを指すのではなく、そこで生きている時間のことでもあるのだ。  
 大阪という空間、大阪という時間。
 だから、街は単なる空間なのではなく、そこで生きられた人生そのものでもある。ただ単に空間的に人びとが集まっているだけではなく、人びとの人生に流れる時間が、そこには集まっている。 (岸政彦 P8 )

  大阪が好きだ、と言うとき、たぶん私たちは、大阪で暮らした人生が、その時間が好きだと言っているのだろう。それは別に、大阪での私の人生が楽しく幸せなものだった、という意味では無い。ほんとうは、ここにもどこにも書いてないような辛いことばかりがあったとしても、私たちはその人生を愛することができる。そして、その人生を過ごした街を。
 そういうことが、大阪が好き、街が好きということなんだろうと思う。(岸政彦 P9)

「住めば都」と言うし、どんな都市や町にもそれぞれの顔や風情がある。ただ、それでも、個人的には、大阪で過ごす時間というのは特別だと感じる。大阪には数多くの店やスポットがあって、そういった表面的な充実感ももちろんあるが、それ以上に、見えない、無意識的な魅力があるように感じられる。

大阪が好きということは、実際は単純に「大阪という物理的な空間」が好きということなのではない。大阪で過ごした自分の時間や人生に対して感情や選好としての「好き」なのである。自分の人生や生活を肯定できる空間、それこそが大阪で過ごすことの魅力なのだと感じた。

 大阪環状線は、一周すると四十分弱。乗っていると、予想していたよりもそれは短い時間だった。人の少ない大正駅から、外回りに乗ると西九条あたりから少しずつ人が増え、大阪駅から京橋、鶴橋までは夕方のラッシュ前の前でもそこそこ混んでいた。鶴橋を過ぎても乗っていた人たちは、天王寺でごっそり降りる。そこから大正駅までの三駅分(当時は今宮駅はなかった)は、一両に数人しか乗っていないような、さびしい区間だった。鉄橋を渡り、川を過ぎ、車両には西日が射した。わたしは、紙の切符と小銭以外はなにも持っていなかった。ただ座っていた。窓の外で近づいては遠ざかっていく家やマンションやビルや倉庫と、乗って来て、降りていく人を、ただ眺めていた。(柴崎友香 P106)

大阪環状線は大阪市内をぐるっと一周するように走っているが、各駅やエリアによってその雰囲気は全く違う。オフイスビルや都市的な装いをするエリアもあれば、下町やどこか異国情緒漂うような雰囲気のエリアもある。環状線を一周するということは、大阪を単に一周することでもあるが、さまざまな「大阪」をその目で見ることができるチャンスでもある。

  大阪に住んでいると、いろんなひとがいろんなことを言うのを聞く。
 二〇〇九年ごろに、大阪市内の被差別部落に調査に入ることになって、ある夜、「近くの大きな駅からタクシーに乗ってその地名を言ったら、そこはちょっとした盛り場にもなっていて、特段マイナーな地名でもなかったのだが、そして運転手もまだ三十代か四十代の若い感じのひとだったのだけれども、彼は小さな声で、「あそこは普通のひとは行くとこちゃいますよ」と言った。
 私は。おお、そうきたかと思って、わざと「ああそうなの。どういうとこなん?」と聞いた。彼は「いわゆる同和と言って・・・・・・」と言い出した。横をみると、被差別部落専門の研究者である、私の連れあいのおさい先生が、ぐっと手を握りしめて下を向いている。
「あ、そうなのか。あのな、俺たちそこの関係者やから。あんまりそういうこと言わんとってな」と、なるべく穏やかに言った。私は普通に、そういうことを言うひとは何を思って、どう考えているのだろうかと思って、彼自身の言葉を引き出そうとしたのだが、私なんかよりもはるかに長い時間、部落問題に関わってきたおさい先生にとっては、その言葉は「他人事」ではなく聞こえただろう。下を向いて辛そうにしていた。私は会話を止めた。
 それにしても、ああこういう、夜の夜中のタクシーの、ほかには誰もいない空間のなかでひそひそとささやくように小さな声で。こういうことがいまだに言われているだなと思った。  (岸政彦 P118)

(中略)大阪には巨大な被差別部落もあり、在日コリアンの街もあり、戦前から沖縄出身者が集まって作られた地域があり、そして釜ヶ崎という場所がある。現役の遊郭すらある。そのどれにも「日本最大の」という修飾語が付く。東京に比べたらニューカマーの外国人は少ないけれど、戦前から戦後にかけての日本の「社会問題」がすべて揃っているような街である。だから私たちはつい、ここにはいろんな人びとを受け入れる、懐の深い、多様性を大事にする街だと思い込んでしまう。
 しかし当たり前だが、マイノリティが集まって暮らす街はまた、同時に、「朝鮮の学校あるやろ」という言葉や、「普通のひとが行くとこちゃいますよ」という言葉が、ときには小さく、またときには堂々と路上で大声で叫ばれる街でもある。
 つい先日、仕事の帰りに行きつけの小料理屋に行ったら、たまたま近所の知り合いのひとがいて、「やあやあ」「どうもどうも」みたいな感じで、隣に座ってその場で「ご近所飲み会」になった。こういうことは珍しいので。私はうれしかった。近辺のうまい店の情報や町内の知り合いたちの噂話に混じって、お互いの話もしていたのだが、連れあいも同業の社会学者なんです、ああそうなんですか、何を研究してはるんですか、部落差別です。と言ったとたん、ああこのへんでいえば〇〇とか〇〇ですね、ボクも若いときはあのへん自転車で通るの恐かったですわ、と冗談混じりに言い出した。あと、〇〇って、浮浪者多いですよね!
 こういう反応はほんとうに多い。ふだん私たちは、日常会話のなかでめったに部落とか同和とか、そういう話題を出すことはない。でも、こうやって、たまに出てくると、「あそこらへん、あれやろ」のような、根拠のない都市伝説みたいな話が出てくる。ずっと体のなかに閉じ込めてあったそういう話が、口から脱出する機会をうかがっていたのだろうか。(岸政彦 P120)

私も上記のような話や噂話に出くわす時がたまにある。それらは普段は、語られることなく人々の心の中に閉じ込められているが、ある時、あるきっかけで聞こえてしまう時がある。「〇〇という苗字は・・・」「〇という漢字が入る地名は・・・」「あの辺は・・・」という風に。それらは大っぴらに語られることは少ないけれど、人々の心の中には今も確かに存在している。半ば、都市伝説的というかおもしろ半分に語られるような場合が多い気はするが、それは逆にいえば適当な、憶測的な話でもあるということだ。

引用の通り、大阪にはコリアンタウンや被差別部落、遊郭がある。だが、それらは完全に何事もなく大阪の一部と化しているということはなく、しばしばそういった都市伝説や噂の的になる時がある。それらはこれからもそう語り継がれていくのだろうか。


社会学者と小説家の書いた「大阪」はとてもおもしろかった。それは2人が著名な人物であるということももちろんあるが、同じ大阪での生活といっても、そこには全く違う人生やストーリー、見方が存在する。当たり前だが、同じ土地で生活しても、見えるセカイや人生は一人一人全く違うモノになる。人の数だけ人生やドラマがあるということだ。そのことに改めて気付かされた。

それと同時に、大阪の魅力や広大さ、多様性を再確認した。ここには東京や名古屋にはないモノがたくさんある。この本のシリーズ化を是非してもらって他の人の「大阪」も読んでみたいと思う。

頂けたサポートは書籍代にさせていただきます( ^^)