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ゲームの遊び方(ポピュラーカルチャーへのガイド)読書ノート(前篇)


イントロ

この本は、ゲームが「一つのメディアとしてどのように機能し、社会にどれほどの意味を持つかについて」考察した論文集です。
読んでいる中で私の興味を引いたいくつかの点がありますが、現在日本語訳版がないため、私はこの本の面白いポイントを日本語でまとめることにしようとしています。これは私自身の読書ノートとしても使えるし、興味を持っている方々にシェアすることもできるなら幸いに思います。

How to Play Video Games (User's Guides to Popular Culture)-Matthew Thomas Payne

『ポケモンGO』はグローバリゼーションについて我々に何を教えてくれるのか?『テトリス』はルールについて何を教示しているのか?『Kim Kardashian: Hollywood』はフェミニズムを推進しているのか、それとも非難しているのか?『BioShock Infinite』はどのようにして我々にワールドビルディングをナビゲートさせるのか?

Matthew Thomas Payne

本のタイトルである「ゲームの遊び方」は、「ゲームをクリアするためのコツ」を意味するのではなく、本質的に「ゲームをプレイすることに対する見方はどのようになされるべきか」に近い。ストーリー、メカニクス、キャラクター、作り手、没入感を与えられる技術やプレイヤーの行為、いろんな要素を含み哲学概念での探索になるかもしれません。

魔法円(Magic Circle)

バーナード・スーツは『キリギリスの哲学 ゲームプレイと理想の人生』でゲームプレイを「不必要な障害を克服するための自発的な試み」と定義されました。すなわち私達は自発的に、敢えて自分を、あるルールに閉じ込められることがあるこそ遊びを楽しめるのです。
ルール、人間を作った聖なる円。「魔法円」という、ヨハン・ホイジンガ(Johan Huizinga)が提唱した有名な哲学概念があります。彼はビデオゲームの発展を予言していなかったが、1983年に書いたこの『ホモ・ルーデンス(Homo Ludens)』(遊ぶ人)は、遊びについて本格的に語る名著として知られていて、現代全てのゲーム研究理論の元とみられています。

ヨハン・ホイジンガはこの本で遊びを組み立てる基本的な要素は物質ではなく、想像だと断言しました。当時は彼を唯心論者として位置付けましたが、この考え方から「魔法円」という理論が導かれました。

あらゆる遊びは、物質的であれ、頭の中だけのことであれ、区別されたあそび場の中で行われ、その中でだけ存在するものだ。(中略)競技場、カードテーブル、魔法円、寺院、舞台、スクリーン、テニスコート、裁判所等々。こうしたものはいずれも遊び場の形と機能を備えている。すなわち、禁じられた場所、遊離されたり囲いを施されたりした輪や聖域であり、そこでは特別なルールが通用する。これらはいずれも日常世界の中に出現する一時的な世界であり、特別な行為を行うために用意されたものなのである。

Johan Huizinga

ホイジンガは遊びの属性を特定するためにいくつの標準を挙げました:自由(自発的)、他のものに無関心(生理的欲求と現実利益を求めない)、有限(限られた空間と時間でやる)、繰り返し(限られた時間内で遊びを繰り返す)。
これらの属性は揃っている時、平凡なものでも非凡な意味を与えられることがあります。
サッカー場で、選手たちは自分の手が存在しないと想像せざるを得ない、圧縮空気が入っているサッカーボールは世界で一番貴重なものかのように見える、そして、全ての権力をある黒と白のストライプの服を着たおじさんに委ねます。
そこで、魔法円ができました。会場の人は全部何かの「ふり」をして、同じ幻想をシェアする一方で、この噓を暴く人がいません。
端的に言えば、遊びは幻想に誓う。

ルールと調整(Regulation)

Rolf F.Nohr氏が『テトリス』を例に挙げ、明確な内部ルール(Rule)とゲームに彩を添えて潜む外部の調整(Regulation)について本で紹介しました。

テトリス

1989年、任天堂Gameboy版「テトリス」パッケージの後ろに、こういう使用説明が載っています:
「I形、O形、Z形とL形のブロックが狭い通路の下に落ちていきます。ぴったりと合わせるために回転させたり、移動させたり、整列させたりするとき、あなたの脈拍が速くなるのを感じます。それは挑戦的で、瞬時の判断が求められます!」
一見古臭いマーケティング表現に捉えるかもしれませんが、テトリスを楽しんで遊ぶためにはそれ以上の情報がいらないと言われています。「ブロック達は重力によって落下する」「ゲームの難易度は徐々に高める」みたいな同じく大事な情報を載せていません。

構築性ルール(constitutive)と調整性ルール(regulative)が存在しています。構築性ルールは行動の基準、捨てると遊ぶと競争の意味はなくなります。このルールは「契約」を基づいて明確なものである。
一方で、調整性ルールは漠然として潜んでいるもの、コミュニティの「常識」に絡んでいます。通常の場合では、調整性ルールは目に見えない自然なもので、当然のこととして認められています。
ヨハン・ホイジンガ:「ゲーム(およびスポーツ)は、ルールを守る(通常は審判が判断する)と構築性ルールを破って何らかの競争上の優位を得ることの間で揺れ動きます」

アバター

アバター(化身)、この用語は長い歴史を持っています。インド神話のアヴァターラ(avataara)から派生して1992年にSF小説「スノウ・クラッシュ」のおかげで現代用語になりました。ゲーム文化で、アバターはプレイヤーが操作できるキャラクターであると同時に、細部にまでカスタマイズ可能な「代理人」(proxy)でもある。

アバターはバーチャルワールド内の身代わりで、プレイヤーのゲーム行動の結果や影響を、自らの後の感情や行動を通じてプレイヤーに伝え、プレイヤーがバーチャルワールド内で存在し、ゲームに与える影響を示すフィードバックループを形成します。

グランド・セフト・オートV

アバターのカスタマイズはストーリーテリングにも効きます。
犯罪シミュレーションアクションゲーム「グランドセフトオート V」では、プレイヤーは物語中の三人の主人公(アバター)を操作して、仮想都市ロスサントスを探索できます。
裕福な地区に住み、すべてに対して倦怠感を抱いている中年の引退した銀行強盗マイケル。自分の人生に不満を持つ有望視される若い黒人の車泥棒フランクリン。そして、暴力と堕落の象徴である麻薬ディーラーのトレバーは、毎日アウトロー生活を送っています。三人の運命が予想外に絡み合い、冒険が展開します。 3人のキャラクターは、完全に異なる階層からの出身です。ゲームの物語のボリューム感は、3つの異なるアバターがいて、いつでも切り替えることができる点に大きく由来しています。
3人のキャラクターはプレイヤーによって服装や髪型をカスタマイズすることができますが、彼らが住む地域や購入可能なアイテムは、この仮想世界の階級差を常に示唆し、批判しています。

(つづく)

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