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仕事は自分で見つけるもの

あったら誰かの役に立ちそうな資料を作ってみる。
自分のスキルを上げるために空き時間を使って勉強をする。
誰も気に留めない後片付けやゴミの整理を何気なくする。

これらはみんな直接の収益に結びつかないかもしれないが、
ちゃんとした「仕事」としてとらえることができる。
そしてどれも自分で見つけ出すものである。

何かにつけて「仕事」という言葉をよく耳にする。

まず最初に頭に思いうかぶのは、生きていくために報酬を手に入れることを目的とした労働のことだろう。
生活のためにはお金が必要であるわけで、これを得るために持ち合わせている時間と体力を注ぎ込むことになる。

そして色々な人たちが様々な労働を行うことによって、経済が発達して社会が充実していく。自然と社会の必要とされるところが補われ、うまいこと世の中が回っていく。

資本主義とか社会主義とか、その仕組みは失敗だ成功だとか社会に詳しい先生方は論評を出すけど、世の中ほんと複雑でうまくできているなと、浅い知識でありながらそれなりに関心したりするのである。

仕事に対する取組みかたも人それぞれで、人生に仕事を最優先に考えそれをまっとうするために時間を注ぎ込んだりする人もいれば、趣味や道楽を楽しむために小銭を稼ぐ程度にとらえている人もいるようだ。

考えてみればとかく色々と批判の的にされる政治家の偉い先生たちも、24時間四六時中労働に生活の時間を費やしていることを考えれば、どっぷりと仕事漬けの毎日なんだろうと、同情はしないけど改めてそう気づいたりする。

労働の対価としての収入、いわゆる「お金儲け」を重きとする人もいれば、ボランティア活動に見られるような奉仕活動そのものに価値を見出す人もいる。

生きて行く上で「仕事」が絡む要素はなかなか大きなウェートを占め、その関わり方で生活様式もまったく別のものになってしまう。
生きる上での楽しみ方にも決して切り離して考えることができないわけだが、悲しいかな、実際に社会に参加してみないと気が付かないところが多分にあるのも事実である。

仕事を選択するために幼いころから勉学や訓練にいそしむなんてことも少なからず実際にあるわけだが、
こどものころからいろんな仕事についてもっと知識があったら、今の自分はきっと別の在り方になっていただろうと、ぼんやり夜空を眺めてみたりもする。

仕事というものは、収入に結びつくものに限ったものではないと思う。
町内会の道端のゴミを拾ったり、犬を散歩に連れ出したりするのも立派な仕事である。
ボランティアにいそしんでいる人を見ると、なんとも尊敬の念を覚えたりする自分がいる。

つまり自分の周りには行動を起こすだけで社会の役に立っていることもあるわけで、何らかのものにたずさわるだけで人様のためになっているのではないだろうか。

何をしていいのかわからないではなく、よくよく目を凝らしてみるとやるべきことはゴロゴロと転がっているように思われる。
仕事は探せばどこにでも潜んでいるわけで、逆に率先して探し出す人って人間力が高いのではと感じたりする。

趣味なんかにも共通するのだが、楽しみを感じたり充実感をおぼえたりしていると、時間が過ぎていくのがとても速く感じる。
やりたいことがたくさんあったり目的がはっきりしていたりすると、一日が終わるのがあっという間で、気がつけば何年も年をとっていたりする。

逆に新しい職場についたりすると時間が過ぎるのが結構重く、疲労感がじっとりと襲い掛かってくるものである。
何をすべきかという判断がおぼつかず、ペースをつかみ切れないのが大きな理由なのだろう。
新しいことを身につけるのも大変なのだが、からだを動かす要領を得られないのが特に苦しい。

ここで必要になってくるのが、いかにしてその場を充実させるか、どのようにして「仕事を見つける」か、そんな創造力と行動力なんだろうと思われる。

周りの流れをつかむために観察したり、スキルを上げるために勉強したり、誰も気づかない些細なところに目をやったり、なんなら自分の近くの空間を整理整頓をしたり、
探せばすべきことはけっこうあるわけで、仕事はなにも収益に直接結びつくものばかりではない。

職場でも身の周りでも、仕事は探せばどこにでもあるし、自分で作りだしたりできるものである。
と、立派なことを並べているが、自分はまだまだである。

改めて初心にかえり、じっと自分に言い聞かせたりする。


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