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「仕事は楽しく」 こうありたい

「仕事は楽しく」の始まり

「仕事は楽しく」。これが今まで自分に培ってきたの最強のモットーである。

永らくサラリーマンを続けてきたが、これを信条としたのは入社して間もなくのことだった。

以来、
忙しいときも暇なときも、
大勢のときも一人のときも、
新しいことに取り組むときも毎度おなじみのことをやるときも、
これまでこの言葉はいつも自分の胸に刻み込まれてきた。

こんなキャッチフレーズみたいなことを考えるようになったのは、
ある先輩の仕事への向き合い方に影響を受けてのことである。

同じ業務にあたるにしても、多くの先輩は眉間にしわを寄せ難しい顔をし、周りにプレッシャーをかけながら堅実にこなしていく。

一方その先輩はというと、同じような仕事でありながら余裕の表情とともに明るいムードをかもし出し、周りをほど良い緊張感といごごちの良さ、そして不満の無い結果へと導きまとめあげるのだった。

どうせ同じことをするなら、楽しいに越したことは無い。
せっかく縁があって仲間になるのなら、おもしろおかしく時間を共有したい。
そして達成感と向上心を持ってキャリアを積んでいきたい。

まだ決して一人前とは言えない当時の自分は、そんなセンスを持った人間になりたいと、いつしか思うようになっていた。

最低レベルのスキルが必要

「仕事を楽しく」。これは業務の工程にばかり目を向けるのではなく、その結果が問題なく遂行されることも必須となる。

終わってみれば出来上がりは最低だった、これでは楽しい気持ちなんか生まれるはずもなく、周りはみんな不幸になってしまう。

つまり、成果を生み出さずして、「楽しさ」などを語ることはできないのである。

“眉間にしわの先輩”のやり方は、失敗を犯さないという点では決して間違いではない。
それが業務の目的なのだから。
凡ミスを避ける上で気持ちの緩みを生じさせない。集中力を切らさないという意味でも、これは王道である。

失敗を生まないためには、そこに携わる者たちが皆最低ラインをクリアしなければならない。
つまりそれ相応のスキルが必要になる。
指示を出す側も出される側もそれなりの実力が伴わなければ、それなりの成果は生まれないわけである。

だから経験の浅い当時の自分は、「楽しく」を実現させるためにまずは仕事を覚え、一刻も早くスキルを向上させなければならなかった。
そして必然と楽しむなんて余裕がなくなってしまうのであった。

「学び」の中にも楽しさを

仕事を身につけるには、
できる人の行動を観察しノウハウを吸収する、いわゆる「盗む」、
そして書物や資料から理屈や論理をインプットする、
などのやり方が考えられるが、

最も有効な手段は、
ノウハウを持っている人から直に説明を受けて上達へと導いてもらう、
これに尽きるだろう。

このとき教えてもらう立場である“弱い側“は、教える側がどのような人間なのかによって、運命が大きく変わってくる。

“強い側”である教える側が「楽しさ」を意識しているかどうかで、その伝達という仕事が「楽しい」ものなのかが決まってしまう。

レクチャーや引継ぎというものは新人に限らず、生涯永遠に付きまとう大切な業務である。そこに「仕事を楽しく」という要素は、大方の部分で取り入れることが可能となる。

だから自分はコントロールができる伝達する側に就いたときはいつも、「分かりやすく」を前提としながら「楽しく」を忘れてはならないと強く意識してきた。


「楽しさ」とは?

「楽しさ」を求めるきっかけは、余裕と明るいムードを兼ね備えた先輩の影響だった。
しかしその「楽しさ」とは何なのか、なかなか一言で言い表すことができない。

仕事において「ワハハ」と笑うことがそれに該当するのかといったら、実はちょっと違う。
ゆるい雰囲気の中で和気あいあいとなるのが良いかといえば、あまりそうでもない。

ある程度の緊張感も必要になるし、誰もが認める完成度も求めたい。

そうなると自分一人では実現することがなかなか難しくなる。

だからこそアウンの呼吸でそれなりのレベルの作業をある程度の効率の良さで進められるパートナーと出会えたら、それはもうとても嬉しくなる。
その時点である程度の目指すべき到達点は見えているといっても良い。

達成感と充実感とともに、
「楽しい」時間の経過と「楽しかった」結果が生成される。

だらだらと緩い時間を過ごすよりも、時間外手当が無くても気がつけば終電の時間になっているような状態の方が、喜びを感じたりする。

やりがいや充実度があること、それこそが「楽しさ」を体感できるのである。

つまり、「楽しさ」とは「ココロの充実感」なんだと、改めて思ってしまう。


自分一人だけではいけない

人間なんだから、普通であれば常に成長は続いていく。
自分にとっての充実というものは、年を追うごとに変化をしていく。
そしてそれは、周りも一緒である。

ことを進める上での大抵の場面では、経験値の違うメンバーと携わるのがほとんどであろう。
よって
若い相手には当時の未熟だった自分を振り返り、それに合わせてあげる。
長けている相手とは好奇心と向上心をもって吸収に努め、勉強をさせて頂く。

こんな基本的なことが、改めて、
高学年のお兄さんお姉さんが低学年の児童に接するのと同じように、
目の当たりにすると本当に微笑ましいし、人として必要なことなんだとしみじみ実感する。

「楽しむ」という価値観がお互い一致できたら、
それだけで、
形はどうであれ「楽しむ」を享受できるのではと信じている。

「楽しむ」方向に向かうベクトルを共有できたら、
その時点ですでに「楽しむ」ことがほぼ実現できているのではないだろうか。

こんな些細な考えを一緒に感じることができたら、
こんな価値観も持つ人と一緒に仕事ができたら、
本当にこんなに嬉しいことはない。


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