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孤独。声。救済。

小さな頃、色々な「○○ごっこ」でよく遊んだ。

「家族ごっこ」、「おままごと」。
「ヒーローごっこ」
「お姫様ごっこ」
「(アニメの作品)ごっこ」
「(職業)ごっこ」

なりたいものに、自由になれる。

今思えば、なんて夢の広がる楽しい遊びだろう。


ドラマ『石子と羽男−そんなコトで訴えます?−』を久しぶりに全て観た。

その中で流れる主題歌。
RAD WIMPSさんの『人間ごっこ』。

この手すり抜ける数えきれない未来を
眺め続けることを「生きる」と呼ぶの?

届かぬ声をいくつ押し殺せば 僕の身体突き破り
全世界中にはじけ飛ぶのだろう

人間ごっこ / RAD WIMPS 歌詞抜粋

なだめるような、穏やかな低音から始まるこの曲のメロディーと歌詞が、とても心に響いている。

頭に浮かぶワードは

孤独。声。救済。

曲もドラマの内容も含めて、こんな言葉がふわっと浮かぶ。


孤独を抱えたら、声を上げる


リーガル・エンターテインメントドラマ。
会話のやり取りが楽しいだけでなく、“正しさ”についても考えることがたくさんあった。

その中で印象に残っているのが、「声をあげること」。

生きていれば
我慢したり、言葉を飲み込んだりすることは多いだろう。


それでも、抱えきれない孤独を抱えて、色々なものが壊れてしまう前に
誰かに「助けて」という声を上げること。

それは“自分自身の救済”だ。

弁護士の立場から、どんなに助けてあげたいと思っても、
「声をあげていただかなければ、お手伝いができない」というシーンがあったけれど、法律も、人間関係も同じだな、と思った。


…そんな風にドラマを見ていたからだろうか。

『人間ごっこ』を聴いていて、

「誰も知らない」という言葉から始まる低音で穏やかなメロディー

誰にも言えていない孤独を抱えたところから、
少しずつ脈打つようなドラムを感じる。

サビに向かって少しずつ、太陽の光が差し込んできて

最後には押し殺していた声が、ついにパーン!と弾けるようなイメージが浮かんだ。


なんだか苦しくて、寂しくて、ずっとひとりぼっちで。
でも顔を上げたら少しずつ光が見えてきて
ちょっとだけ勇気を出してみたら
ああ…救われた。

そっか、もともと一人なんかじゃなかった。
早く声をあげてみれば良かったんだ。

…こんなストーリーを頭の中で勝手に描いては、救済されたかのように心が温かくなっていく。


「〇〇ごっこ」が終わる時間。


魔法が解けるように、本来の自分の姿にふっと戻る時間がいつも、少し切なかった。

遊びの中では誰にだってなることもできるし、
いくつもの世界を持つことはできるけれど

今生きているこの現実は、紛れもなくたった“ひとつ”だ。

この現実で、この世界線で

この世界で、なりたい自分になりたい。


「あの時こっちを選んでいたら…」とか
「もしかしたらこんな未来もありなんじゃないか」とか

そんな風にいくらたくさんの“可能性”や“期待”を想像しても
それは「〇〇ごっこ」で遊んでいるようなものであって

それは「今を生きている」とは言えないのかもしれない。


「〇〇ごっこ」遊びは、一人ではできないわけじゃないけれど、
つまらない時がある。
誰かと一緒に遊ぶと、より楽しい。
その世界観が、よりリアルになるからだ。


人間ごっこじゃなくて
人間として生きているからこそ

いくら孤独を抱えても
声をあげて
誰かと関わって、誰かに救われながら

生きているんだなあ、と思った。



2024.2.28


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