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窓にぶつかる雨の行方

どしゃ降りの雨が降っていた今朝。
カエルの声が聞こえた。

雨の強さの好みは、人それぞれだ。

音がほとんど聞こえないような、“静かな雨”が好きな人もいれば
雷の音も含めた、“嵐のような雨”が好きな人もいる。

私が好きな雨音は、ちょうど今。
静かすぎず、強すぎない、“生活のBGMになるような雨音”。
そんな心地よい雨音が、残念ながら止んできたようだ。


よく「窓を叩く雨」という表現があるけれど

それは雨がただ風に運ばれているだけであって、
雨には窓を“叩く”つもりなんてなくて

ただまっすぐ上から下に落ちているだけなのに、
勝手に風に運ばれて、窓に“ぶつかって”
むしろ痛そうだな、可哀想だな…。

なんてことを、ぼーっと考えていた午後。

…完全に、現実逃避中である。
やるべきことが進まないままだ。



ここまできたら
今日は思い切り、思ったことを気ままに綴ってみる。



風に運ばれて窓にぶつかる雨のように
自分の力ではどうにもならないことってあるな、と思う。

何かに導かれているような
何か見えない力でも働いているかのような
こういう運命なのだと、割り切るしかないような。

…そんな時、心にどう折り合いをつけてきただろうか。


無理矢理抗おうとしても、なんだか良くない方向に行くような気がしたり
だからといって流されてしまっては、「自分で決めたことだから」と悔やむことなくやっていけるか不安になったりする。


今まで何度かそんな気持ちになったことがあるような気がするのだけれど、あまり思い出せない。

おそらく、どうにか自分を納得させたり
前向きに、諦めたり
時間が解決したりしてきたんだろう。


…行き着く先は同じなんだろうか。


“意思”があると、
その強さにもよるけれど、決断までに時間を取られてしまう。

時間がかかりすぎると、ちょっとずつ小さなストレスに変わってしまう。

その地に足のついていない、ふわふわした感じを、逆に楽しめるようになったら、私は自分が成長したと思えるかもしれない。そんな日が来るのはもう少し先の話になりそうだけれど。

…まあ、でも。
そもそも“自分がここに存在すること”自体、“奇跡”みたいなものだ。


自分の意思で生まれてきた人がいたら、会ってみたい。


とりあえず今は
ただ風に吹かれて、行き着く先がどこだろうと
その結果を受け入れよう。


雨戸に当たって、ポツリ、ポツリ。

水たまりを跳ねて、ポチャッ、ポチャッ。

窓ガラスにぶつかって、トントントン。


「傘」に当たる雨の音。

「屋根」に当たる雨の音。

「地面」を踊る雨の音。


心地よいBGMが止んだので
そろそろ現実逃避から戻りたい。


そういえば小さい頃。
大雨の日に、よく車の中から窓ガラスをずっと眺めていた。

大量の水滴。

夜は
“街灯”や“信号機”の色が水滴を照らすと
満天の赤い星、黄色い星、緑の星に見えた。

街灯が窓ガラスについた水滴を照らした様子


…これが「星空」に見えていた時があったのだ。

今、写真を改めてみてみると
「確かに綺麗かな」とも
「ただの雨の日の窓だね」とも思う。


水滴と水滴がぶつかって、一筋の道になって、スーッと流れていく。

くっつきそうな水滴を発見しては

次はこの水滴とくっつくのかな。
次はどんな道を作って
どこへ流れていくのかな。

…と、水滴を眺めていて飽きなかった。


もしかしたら今、現実逃避しているわけではなくて
もともとぼーっとしている性格なのかもしれない。


それとも単に、気圧のせいかな。




2024.5.7

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