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無人島でひとりぼっちの想像

もう何もかも嫌だ、とか
現状に心も体も耐えられなくなった時。

私は想像する。

実際に全てを投げ出して、失った場合のこと。
たとえば「周りにいる人」も「住む家」も「お金」も何もかも無くなって、無人島のような場所にひとりぼっちの自分。


一人でも、生きていける。


お腹が空いたら、食べる。
喉が渇いたら、飲む。
起きていられなくなったら、眠る。

なんだ、これだけで、生きていけそうじゃないか。と思う。


もちろん簡単なことではない。

水や食料が調達できないかもしれないし
知らないうちに、何か小さな虫にでも噛まれて命を落とすかもしれないし
孤独で生きていられなくなるかもしれない。

好きな洋服は着れないだろうし
綺麗な住環境もない。


それでも
お金がない、働くことができない、気を許せる人がいない
貧しい、虚しい、孤独だ、将来が不安だ

これから生きていける自信がない。

…そんな風に思った時に
私は時々、想像する。


なぜなら、大概の悩みは
社会”で生きていく上での悩みだからだ。


無人島にひとりぼっち。
ここには人間の“社会”がない。


“孤独”さえ乗り越えられるのであれば、実際は、一人でも生きていける。
そう思うだけで、少しだけ楽になれるような気がする。

厄介なのは、“孤独”を感じる“心”なのだ。


ひとりぼっちの世界


世間体や将来への不安、現状への不満などの悩みの多くは、
社会の中で生きる自分の、明日や未来ありきのことだ。

大袈裟にいえば
“明日、命を落とすとしたら、必要のない悩み”かもしれない。


もちろん社会で生きていくためには
将来のことや、そのために今できること、人間社会でうまくやっていくことは大切なのかもしれない。


けれど
もしも「生きること」自体に疲れを感じたら

一度「社会」から離れて

“「社会のない、ひとりぼっちの世界」にいる自分が、なんとなく逞しく生きている姿”を想像するだけで、少し自信がつく。

それが「無人島」だろうと
広い空にたった一匹で飛んでいる「鳥」だろうと
砂漠に咲いている一輪の「花」でも、何でもいい。


すると

「仕方ない。社会の中で、生きてやるか。本当は一人でもやっていけるけどね。」

このくらいの気持ちで生きていけるような気がする。


実際に
誰もいない、何もないようなところに行ってみてもいいかもしれない。


“心”と“孤独”


しかし、孤独は大敵だ。

私は、孤独というのは「人」が大きく関わっていると思っている。

“近くに心を許せる誰かがいて、孤独じゃない時の環境や感情をすでに知ってしまっていること”
“目の前にたくさん人がいるのに、一人だと感じてしまうこと”

この2つが特に、孤独を感じるように思う。

物心ついた時から、周りに誰もおらず、ずっと一人が当たり前だったなら、
孤独なんて知らなかったかもしれない。



仮に無人島で生活したとしたら
人との関わりの中で感じる色々な感情は味わえないかもしれないけれど
一方で「天気」や「風」や「五感」など、自然と関わることで感じる色々な感情が増えるかもしれない。

そうなった時にしか、味わえないものがある。


心は
厄介でもあるし
尊いものでもある。

そのバランスをとりながら

必要なものは大切に
不必要なものは手放して

「そばに誰かいてくれたら癒されるな。」とか
「お金があったらラッキー。娯楽に使おう。」くらいの気持ちで

心を自由にしてあげて、生きていけたらいいな、と思う。




2024.3.31

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