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【ネタバレ有】映画「えんとつ町のプペル」を観た感想とこれからの未来

久しぶりにnoteを更新してみました。

映画「えんとつ町のプペル」を観てすっかり感動して、色んな人の批評や感想や動画なんかを観てるうちに、自分も発信したくなりました。

正確には、この気持ちをしっかりまとめておかないと、年末年始にやる予定の作業や勉強が手につかないという切実な理由です。事実この4日間、暇さえあれば延々Twitterでサーチを続けてしまっています。

そういう理由なので、この記事には若干のネタバレを含みます。映画を未だ観ていなくて、内容を知りたくない!という方は閲覧をお控えいただければ幸いです。あらすじなんかも書きませんので気になる方は公式サイトをご覧ください。

全体的な評価

最高でした。点数をつけるのであれば120点、いや160点です。泣きすぎてマスクを外すときにベリベリと音がしました。一緒にいったクールなおくさんもアントニオに泣かされ、最高のクリスマスを過ごすことができました。

映画の内容が100点満点、「西野亮廣エンタメ研究所」のサロンメンバーとして公開までの軌跡を楽しめたのが加点20点、この先の生活や考え方に影響が出そうなところが加点20点、観た後の世の中の展開を楽しめるので加点20点です。

自分が感動したポイントをいくつか上げます。別段映画に詳しいわけではないので、素人目線ですがご容赦ください。

映像について

ビジュアルが良かった。映像美に胸を打たれた。オープニングのプペルの心臓が落ちてくるシーンで「すご・・・クオリティすご・・」と小声で呟きながら泣いてる自分がいました。この辺は制作過程を共有してたサロンメンバーあるあるですね。(映画の前にこれをYouTubeで観ていましたが、映画館での迫力はケタ違いでした)

さらにパンフレットを読んで、この作品を創りあげてきた方々は監督の廣田さんを含め「ベテランの職人技」というよりは「若手大抜擢の挑戦」というニュアンスでの人割が多かったことを知って更に感動しました。どんだけ思考して、勉強して、やり直して、努力して創りあげたのだろう。自分自身がベンチャー企業で身の丈以上の仕事を抱えながら七転八倒していたので、圧倒的な作品のクオリティに生意気ながらも大いに励まされ、自分も頑張らなくてはと胸に刻みました。

音楽や挿入歌

多分サロン記事だったと思いますがミュージカルやディズニー映画で急に登場人物が歌い出すのはなんで?って話を聞いたことがあって、理由は「歌にすることで短時間で物語の背景や感情を説明できるから」だそうです。劇中の挿入歌が入る部分は、そのミュージカル的な部分が多分にあって、友情を育んでいく過程や失意の底での葛藤なんかを、短時間で入り込めるように表現していたと感じています。「この歌の間にすっごい仲が深まったんだね」というのが伝わりました。楽曲自体も実に素敵だし、随所での音楽も凄い良くて、音響設備の良い映画館を選んで本当に正解でした。(友情を育んでいくシーンの挿入歌を貼っておきます)

ストーリーと個人的な投影

ストーリーの内容は自分を投影してグサグサ刺さる部分があって、もう号泣でした。ボク自身が一番泣いたのは、あまり共感を得られないかもって思いますが、次の2つのシーンでした。ちょっと自分の話も交えますね。

ルビッチに
「キミと一緒にいると、みんなが不幸になる!」
と言われたプペルが手を震わせ
「あ・・・・・ああ・・・・」
と声にならない声を漏らすシーンです。
ここで激しく嗚咽しました。

尊敬する人に、同じことを言われた4年前の自分がフラッシュバックしました。ああそうなんだと、あっさりと自分の人生を諦めて、自分がいない方が相手は幸せに決まっていると、納得して。最期にせめてもの償いで大切な人が必要としているものを渡そうとする。そんなプペルは、当時のボクと完全にリンクしていました。そしたら、ルビッチが言ったんです。

「僕の未来を勝手に決めないでよ!」

もう駄目でした。あの日から4年。ずっとずっと、心のどこかで、本当にこれで良かったのかと自問していました。隣で一緒に映画観てくれている最愛の人は、ボクといることでどんどん不幸になっていってるんじゃないか。やはり自分は、あそこで潔く消えるべきだったんじゃないか。

でも、そうじゃなかった。少なくともボクの選ぼうとした選択は、彼女の望む未来ではなかった。なら、決めつけるべきじゃない。そう言われた気がして、救われました。顔が上げられなくなるくらい泣きました。

その後は、他のシーンでも、物語の展開にも、より一層感情移入してしまいました。いつも理想ばかり語って、お前は頭がお花畑だとよく言われてきた。何度も挑戦しては諦めてを繰り返し、いつの間にか人をけなす側に回ってた。同年代の輝いてる人たちから、目をそらし続けてきた。そんな過去の自分が次々にフラッシュバックしてきました。船が上がった空が大荒れだったように、自分の心の中もぐっちゃぐちゃでした。

そして最後には・・・やっぱり、頑張ろう、頑張り続けようって思えました。

YouTubeに上がっていた試写会の感想で、尊敬する前田裕二さんがおっしゃっていたことを聞いてもの凄く納得しました。

「映画は自分を映す鏡。こんなにキレイな鏡はない。」
(該当部分のリンクを貼ります)

実は、高評価の感想で一番多かったアントニオのシーン、あれってボクは泣けなかったんです。どちらかといえば冷ややかな目で観てた。後からなんでだろうなってよくよく考えてみると、ボクは以前に自分と自分の大事な人を傷つけた相手のことを、未だに許せていませんでした。そこに彼なりの理由があることを頭では理解していても、許せなかった。うまくいかない原因を全部押し付けるくらいに。

「今更、なんだよ。そんなことをしたってお前の奪ったものは戻ってこない。許されると思うなよ。」

それがボクの、アントニオに対する心の声でした。我ながら、ちっちぇ奴です(笑)もう四年。そろそろ、整理しなきゃいけないですね。

もう一回観たいなあ。その時には、ちゃんとアントニオを許せるかな。

さて、映画の内容についての感想は一旦ここで閉めますが、自分が色々考えたのはむしろ映画を観終わった後でした。

具現化していた「えんとつ町」

今回、仕事が年末休暇に入っていたこともあり、久しぶりにTwitterの本垢を稼働させてリサーチしたり、ニュースサイトや評価サイト、5ちゃんなどを巡って評価を楽しむということをやりました。そこで、ハッと気づいたんです。

この状況、映画の内容とリンクしてる?って。

「無理だ」「ヒットなんてしない」「西野が嫌いだから観ない」「信者ビジネス」

そんな声がやっぱり未だにあって、寄ってたかって潰しにかかってくる。なかには

「この映画は危険」「説教臭い」「詐欺だ」「ビジネス臭がひどい」「宗教」

なんて声もあって、なんか別に腹は立たないんですが不思議な気持ちになりました。映画のセリフを借りると

馬鹿だ、馬鹿だ、と囃されて、ホラ吹き者だ、と斬り捨てられた。
男が一体何をした?男が誰を傷つけた?そこに理由はありゃしない。
見上げることを捨てた町では、「目立たぬように」の大合唱。
見上げることを捨てた町では、夢を語れば笑われて、行動すれば叩かれる。黒い煙は町を飲み込み、一縷の光も許さない。黒い煙は人を飲み込み、あらゆる勇気を認めない。

まさにこういう状況だなって。

この映画を世界レベルでヒットさせるってことは、知識なんてなにもない煙突掃除屋の少年と、ちょっと裁縫が得意なだけのゴミ人間が、巨大船を空に浮かべて頭上の煙を爆弾で吹っ飛ばすのと同じくらい困難なことなんだ。

でもそれを果たした瞬間、異端審問官の皆様よろしく、全員が仮面を外して上を見上げる。見上げざるをえない。そんな未来を創れるかどうかは、わからない。でも100%不可能だって根拠もない。

だったらまだ、わかんないじゃないか!

こんな胸が躍るエンターテイメントはないじゃないですか。もしかしたら人生で一番かもっていうくらい、これからの展開に最高にワクワクしています。

そして考えます。さて、自分の配役はどこだろうかと。

最初から最後まで支援を続けるドロシー?迷いながらも、いち早く立ち上がるえんとつ掃除屋?否定せずにはいられないアントニオ?現実を見ろと殴りかかる町人A?理由を考えず反射的に叩き潰す異端審問官?自らの正義のもとに封じ込めるトシアキ?

そして西野さんの配役は、夢を語り続け認められないまま生涯を閉じたブルーノなのか。それとも皆に上を向かせることを成し遂げたルビッチなのか。

しっかり目に焼き付けたいと思います。

拍手ってしちゃいけないんだっけ?

最後にちょっと蛇足で、モヤモヤしていた部分を書きます。

映画が終わった後の拍手についてです。

これについて「むしろやらない方がいい」とか「引いた」とか「サロンメンバーに拍手を強制させた」みたいな声がちらほらありました。

もう、すっごいモヤモヤして。なんで?って。エンタメを鑑賞した後の他人の拍手で引くとか冷めるとか思うって、どんな感覚なのか理解できなさすぎて心配してしまったんです。

これは表でも話してらしたので言っていいと思うのですが「映画えんとつ町のプペル」ってエンドロールも含めての作品という構成になっているので、最後まで席を立たずに観るんですよね。そして最後には、拍手がしやすいようにしてある。

内容に感動してて、エンディング曲の伴奏がオーケストラ調で、最後の最後で「製作総指揮・原作・脚本・西野亮廣」からのジャジャジャージャージャジャジャージャージャジャジャージャージャーーーーーーーーージャン!おしまい!ってなったら、ファンなら間違いなく拍手します。(該当部分へのリンク貼りました)

作品から「ここで拍手していいよ」って言われてる。クラシックのコンサートを聴きにいってる時と同じです。その手の文化が馴染んでる外人さんとかめっちゃ拍手しそうじゃないですか。

これは、楽しみ方ですよね。スタンディングオベーションとかしてる人って絶対本人は気持ちいいので。自分の称賛や感動や労いの気持ちを表現した方が、後味は良いに決まっている。ただそれが、今まで観てた映画鑑賞とは違いすぎて感覚に合わないって人もいるのかもしれないけど・・・それはそれで自由だと思う。

だからって、否定されるようなことじゃない。

ボクが観た映画館では拍手してるのは数人だったけれど、全国ではあちこちで大喝采が起きていたそうで、それを強く否定してる人がいるのにとても違和感を覚えました。コンサートや演劇の後の拍手でも同じ感想を持つんですかって。

仮に、制作側がファンの皆さんに「作品を観て面白いと思ったら、終わった時に拍手してくれると嬉しいよ!」と頼んでいたとしたら・・・それって問題なんだっけ?って。

とまあ、色々書きましたが、とにかく今後も楽しみな「映画えんとつ町のプペル」と西野亮廣さんを応援していきたいと思います。

拙い長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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