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放送大学面接授業『韓国朝鮮の歴史と文化』を韓国映画で知る(その4)

 教材となった4本の韓国映画の最後である。面接授業の最後に、試験、レポート提出で、1本を選んでレポート提出である。
 当日、『国際市場で逢いましょう』の感想文を出した。なんせ泣けた。感動というより、戦後の青年が母と弟、妹を共に生き抜き、家族の支援のためにドイツに炭鉱夫として出稼ぎ、そこで終生の伴侶と巡り合い、商売やベトナム戦争へも参加、負傷などもあり、朝鮮戦争で避難する際に、行き分かれた妹との再会、いろいろ映画として、ほんとに泣ける映画だった。
 それはそれとして、この『タクシー運転手 約束は海を越えて』もいい映画だった。韓国の光州事件、1980年5月18日起きた民主化運動、韓国朝鮮の激しさ、軍の発表で、154~198人の死者。
 私も同時代、1952年生まれで、当時28歳か。隣の国のこと、そんなに深い思いはない。朴正熙大統領の頃、軍事クーデターによる独裁政権、映画で最も悲惨な状況は、反対運動のデモ隊に軍や警察が実弾射撃する場面である。中国の天安門事件も、このようなものかと思う。認識の浅さに恥じ入るばかり。いまのロシアのウクライナ侵攻でも、結局、一個人では、なにもできない。ウクライナ市民も、手探りだろう、指導者に従って、少しづつ少しづつでも戦況改善を図っている。
 ストーリーは、光州事件を取材しようとするドイツ人ジャーナリスト、現地へ赴くのにタクシー利用を聞いた主人公(ソンガンホ)、重要性や危険性を顧みず、現地に向かった。軍や警察が封鎖しており、入れない。それをなんとか光州に入る。デモ隊の乗ったトラックに出会い、デモの現場に遭遇、そこで銃撃戦に会う、多くの死傷者、壮絶な殺戮、通訳となった学生も死ぬ。一度は、封鎖地区を抜けたものの、光州へ戻り、ドイツ人記者を連れ出す。これまた壮絶なカーチェイス、仲間のタクシーも追撃の警察隊を邪魔して、なんとか脱出する。そして世界に、この事件を知らせた。
 韓国映画らしい迫力と息もつかせぬ流れだった。
 これも面白い映画であった、韓国らしい。
 妻は病死、一人娘が一人で待つている。だけど、あのドイツ人を連れ帰り、この事件を世界に知らせてもらう。それだけ、やる!
 ああ、いい映画でした。
 韓国朝鮮、隣の国。ようやく大統領が変わって、日韓関係が正常化に向かいつつある。いいことだ。日本の偵察機にロックオンして、あわや撃墜までいった。そんなこと、戦争はやめよう。
 北朝鮮が喜ぶだけ。
 どっちにしても、韓国朝鮮、日本の隣、なかよくしよう、また行きたい。

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