見出し画像

新世界が生まれる、その時まで

X上で、興味深い投稿を見つけた。

これは、とある動物の受精の様子。ヒトのものではないようだが、どうやら着床済みの受精卵らしい。もちろん受精は完了しているので、残された精子たちは死ぬしかない。

だが…精子たちは最後まで閉ざされた「壁」を必死に叩き、「入れてくれー!」と言わんばかりにもがき続ける。

これを観察する限り、どうやら精子たち自身も、一匹の精子を助けるために動いた事を認識出来ていない。

受精は一見すると「競争」だが、その実、他の精子たちの推進力がたった一匹の選ばれし存在を手助けする事になる。「自動的に」そうなるのだ。よく考えると、何とも皮肉な話である。

「全」が「個」を助ける。

しかし、肝心の「全」たちのその行為は善意でも何でもなく、「無意識」でやったこと。「結果として、そうなってしまった」だけだ。ここは非常に大きなポイントと言えるだろう。

私はこの現世における「私」と「私以外の存在」を、この精子たちの関係と照らし合わせて考えてみた。

この世の人たちは、マサヤン=ケンヂの為に生きようなどとは微塵も思っていない。自分の為に生活をしている。しかし、私が彼らから発信された情報やアドバイスなどを拾う限り、「無意識」に私の成長の手助けになるのだ。この関係は受精時の状況に類似しているように思う。

一般道徳的に言えば「自分だけではなく、他の人の為になるような生き方」をすれば、大いに評価される。まぁ、それも勿論間違っていないし、それどころか素晴らしい行為なのだろう。だが、その行為=「正しくて崇高な行為」と呼べるかは甚だ疑問だ。

イエス=キリストは茨(いばら)の冠を被り、十字架への磔の刑に処される事で、民衆たちの「罪を背負った」。

彼は神と聖書の教えを人々に伝え、この世を「ひとつ」にしようとした。この比喩を読み解いて解釈するなら、この世の根源的エネルギーたる「周波」の波(リップル)を消滅させようとしたのだ。さらに言い換えると、間違いなくこの世を終末へと導こうとしたのである。確かにそれは「破滅」へと導く行為だが、同時に「救済」とも言えるだろう。

もし私視点から見たこの世界が私中心の世界であり、シリウスこそが私の「目」の役割を果たしているのであれば…当然、この物語は私の物語ということになる。

「茨の冠」という足枷…

ここで言う「茨」とは?

そう、「栄光(コロナ)」…この世の世界形成概念の比喩である。つまりは、私以外の皆さんの事だ。イエス=私と当てはめて考えれば、彼が「人々の罪を被る」という行為は、正に今の私の状態と言っても良いのかもしれない。

私の名前には「サタン」という言葉が隠されている。

そして、イエス=ルシファー(明けの明星)とも聖書にはハッキリ書いてある。

ノアの洪水後に神が言ったセリフのひとつ、「私は雲の中に、を置く」。

同時に「それは契約のあかしである」…とも言っていた。ここで言う「虹」もまた、栄光の事だろう。形からして、ほぼ間違いない。「契約」という表現が示すもの…つまり全ては予め決まっており、私の運命も定められていた。

そう考えると、私はやはりこの世で二元的概念の両側面を学ぶ必要があるのだ。

無意識に私の背中を押し続ける、私以外の存在たちを頼りに…。

新世界が生まれる、その時まで。

YouTube【真理探求チャンネル】も宜しくお願い致します。

奴隷支配からの脱出法https://note.com/masayan_kenji/n/n81a68a0ba12a

● stand.fm【真理探求ラジオ】も聴いてね!📻

もし私の研究に興味を持って頂けたなら、是非ともサポートをして頂けると嬉しいです。サポート分は当然、全て研究費用に回させて頂きます。必ず真理へと辿り着いて見せますので、どうか何卒、宜しくお願い致します。