タイでのエピソード・その85
私とカナヤンはその後、バンコク内のデパート・ショッピングモール巡りをした。
ターミナル21、セントラル・エンバシー、サイアムパラゴン周辺、そしてセントラルワールド…私の思い出を拾いながら、その辺の有名なデパートを回った。
本当は「タイの秋葉原」として有名なMBK(マーブン・クロン)に連れて行きたかったが、いかんせんタイムスケジュール的に無理があった。
3泊4日であり、かつ初日の飛行機は真夜中に到着するという、かなりの弾丸旅行である。故に、パタヤなどの有名な観光地にも連れて行くのは難しかった。
彼は「観光出来なくてもいい。『滞在』といった感じで気楽にいこう」と言ってくれていたのだが…何せ二人とも無計画でぶらぶら歩いたので、まぁこんなもんだろう。
Asok駅前の有名なステーキ店でステーキを堪能したり、パラゴンの地下で高級なタイ料理を食べたり…ともかく、「食」に関しては思う存分、満喫できた様に思う。カナヤンも満足してくれた。
今回の旅行に関しては他に書くことがあまりないので、エピソード85にてまた一旦、このシリーズをお休みしようと思う。
私は今現在関西にいるので、いつでも行ける。Sさんとも相変わらず連絡を取っており、今度は一人でも行くことがあるだろう。その時にまた記事にするつもりだ。
今回の旅行で、改めて感じたこと。
それは…
やはりタイは素晴らしい、ということだ!親日だし、食べ物も美味しい。加えて大麻も解禁となり、マスクもワクチンも必要ない。人生第二の楽園にするにはうってつけの場所と言えるだろう。
正直、住んでいた頃はいちいちタイ料理に手を出そうと思わなかった。辛いのも苦手だったし、何より高いお金を払ってまでレストランに行こうと思えなかったのだ。
でもお金さえあれば、タイ料理も他の国の料理も美味しく食べられる事がわかった。当時は本当にお金が無かったから…。改めてタイ料理の良さを再認識出来たのは、カナヤンのおかげでもある。
それに、なかなか難しいと思っていた健康維持に関しても、「タイの玄米」として有名なベリーライスをはじめとし、多くの食材に恵まれているので問題ない。
私が奴隷から解放された暁には…北海道以外の老後の候補地として、考えておいても良いと思う。
ただ、タイは以前に比べて治安が良くない様にも感じた。
繰り返しになるが、私たちと入れ違いで発生したパラゴン銃撃事件。他にもコロナになる前あたりで、エラワンでの爆破事件などがあった。
何より、タイは結局のところ「銃社会」である。普段は優しい人種だが、熱帯の人たち特有のものとして、キレると加減を知らないところもある。特に夜の遊びメインの男性たちは、風俗嬢とのトラブルに要注意だ。
さらに路上に大量にたむろしている野良犬たち。
彼らは狂犬病のケースが多く、噛まれると危ない。以前、私の友人が実際にタイの犬に噛まれて狂犬病の症状を発症し、病院に緊急搬送された。コンビニのエアコン目的で、よく入り口で寝ている。その存在に気付かぬまま、尻尾を踏んづけて噛まれる…といったパターンもある。
最近は、タクシー運転手と揉めた人がXでポストしていた。値段交渉が決裂し、ドアを勢いよく閉めたところ運転手が腹を立て、ナイフを持って追いかけてきたらしい。
他にも雨季に毎日のように起きるスコール、それによって発生する冠水。
そこらじゅうに電線がだらしなく放置されているので、冠水と相まって感電して死ぬ人が毎年いる。
こう聞くと、「日本の方が良い」ってなるだろう。もちろん、その通りなのだよ。
ただ、ここまで言ってきたタイの欠点全て、お金で解決できる。
逆にタイ旅行、タイ生活を満喫するなら、お金がないと話にならない。もう「リーズナブルな旅行」ができる国ではないのだ。
この記事を書いている2024年2月の時点で、1バーツ何と4.16円。初めて私がタイに来た時のレートは2.5円前後だったので、もう倍くらいになっている。
日本円が死のうとしている。
円が死ねば、日本人は日本から出られなくなるだろう。
そんな日本に外国人が押し寄せ、食われる。
「コロナウイルス」…日本国民がこのウイルスの真の恐ろしさを実感するのは、これからだ。
「この世の歴史は、ウイルスの歴史」と、誰かが言っていたね。
その言葉は半分、合っているのだろう。
…さて、今回の旅行記はここまで。
次回は最低でも一週間以上の休みを取り、のんびりと滞在したいと思う。その際にはまた記事にするつもりだ。
まずはそれまで、目の前の事に集中しようと思う。
再び「常夏」を経験する、その時まで。
—その86へ続く—
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