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生粋の奴隷たち

よく「嫌われる勇気」という言葉を耳にする。

私は普段から本を読む習慣があまり無いもので、そこまで詳しく無いのだが…誰かの本でそんなタイトルがあったようにも思う。

私としては、概ね同意だ。

一般人と違うことをしたり、違う振る舞いをして生きていくなら、当然その円環から外れる事になる。つまり、自動的に「変わった人間」ってやつになるのだ。

私から言わせるとそれは「個性」だが、いわゆる「普通の人間たち」からすればそれは「変な奴」だったり、時に「嫌な奴」だったりする。

そして、そんな罵りに含まれる意味合いは99%「嫉妬」だ。もはやその「振る舞い」は、プログラミングされていると言ってもよい。

なぜか皆、「特別」ってやつになりたいくせに、自ら「ごく普通の円環の中」に埋もれようとする。

矛盾しているように聞こえるかもしれないが、事実として己を曝け出す「自然体」であればあるほど、変人扱いされる。

皆、操られるのが大好きなのだ。「陰謀論」などを語っておきながら、心の中ではその事実を受け止め、「俺の人生なんてこんなものだ」と思いながら生きている。

私は色々なSNSをやってきたし、生涯を通して(恐らく)1000万文字以上の文章を書いてきたので、コメントを見ていると特にその様子が手に取るように分かる。

X、YouTube…そこでしょーもないコメントを残す輩の精神は大体、「奴隷」のそれだ。どうやら殆どの人間が「生粋の奴隷」なのである。

ただ、それは当然とも言えるだろう。

だって、それこそが宇宙の摂理なのだから…。どこまで行っても彼らは「その他大勢」であり、たった一匹の精子の受精を助ける為「だけ」に存在している。それはまさしく「奴隷」であり、「生贄」としての特徴だ。

私は「権力」ってやつには一切興味がない。

偉そうに言うわけでもない。

ただただ…この世を俯瞰して、そう思うだけだ。

どうやらこの世では「協調性」というものが求められるらしい。

「従え。屈しろ!」

…どこかから降りてくるその「指令」に、殆どの人間は「イエス」と答えている。

ところがSNSでは仮面を被り、「ノー」とほざく。

無表情で、ね…。私はそれが、何とも恐ろしい。

私は普段からメールなどを友人に送る時は、「自然体」を心がけている。実際に会って話す時と同じ口調で書く、という事だ。

しかし、どういうわけか今現在の知り合いも含め、殆どの人間が「偽りの自分」で返してくる。

「あれ…?普段こいつ、こんな口調で話したっけ?」…そんな違和感を覚えつつ、やりとりをしている。

私の目の前では言えない様な事を、文字だとサラッと入力してくる。態度も基本的に大きい。私にはそれが不思議でたまらない。

尤も、分かりやすくもある。そういう人間は決まってプライドが高く、繊細。ちょっとした言動ですぐ傷つく。

本当の君はどこにいるのだ。

…いや、愚問だったか。私が答えてあげよう。

君よ…あなたは、どこにもいない。肉で出来た「器」に過ぎないのだから。そして、その立場は生まれ変わろうとも未来永劫、続くだろう。君はそう、宿命付けられている。たとえお金を持っても、権力を手にしても、それは変わらない。

虫は無意識で動いている?

いやいや、私から言わせれば人間も同じさ。

むしろなぜ、「人間だけが違う」などと思うのだ?

…昨今のこれらの事実は益々、「この世には私しかいない」という考えを正当化してくる。

私が人間たちから学ぶ事はもう…無いのかもしれない。

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