希望という名の光が眩しかった完全体“Queendom” Red Velvet @ KCON JAPAN 2024


 〈私自らこの女王国を築きあげた 連なる山々が私の王座(I made this queendom on my own And all the mountains are my throne)〉

AURORA “Queendom”

〈極東の女王 イタミはNo more 支配するこの理想郷〉

Awich “Queendom”

 この世には、素晴らしいクイーンダムがたくさんある。そのほとんどが女性にとっての理想郷を歌い、男性優位社会に屈しない凛々しさが際立つ。そして何より、《強い私》という女性像が前面に出ている。

 そうした雑感を前提にすると、レッド・ヴェルヴェットの名曲“Queendom”は、少々異色と言えるかもしれない。〈We are Queens in the red castle(私たちは赤いお城の女王)〉と宣言しながら、〈Don’t need crown 타고났지 Dazzle(王冠なんていらない 生まれ持った眩しさ)〉と歌い、王座や支配といった頂点に立つ者が抱えがちな要素を前面に出していないのだから。

 そんなレッド・ヴェルヴェット“Queendom”のライヴを、5月10日〜12日に開催されたKCON JAPAN 2024で観ることができた。“Queendom”のライヴ自体は、約1年前におこなわれた『Red Velvet 4th Concert : R to V in JAPAN』でも観た。しかし、そのときはジョイが不在の4人編成でのパフォーマンスで、完全体の“Queendom”ではなかった。
 それだけに、KCONで“Queendom”のイントロが鳴りひびいた瞬間、喜びを隠せなかったのは言うまでもない。この喜びは、曲が終わるまで高まりつづけた。軽快なハウス・ビートと、トランス風のシンセが紡ぐ爽やかなメロディーにあわせて、筆者は体を揺らした。

 KCONでの“Queendom”を観て、レッド・ヴェルヴェットの“Queendom”が一番好きだとあらためて感じた。この“Queendom”には窮屈な主従関係はなく、レッド・ヴェルヴェットと彼女たちを愛する者を含めた《私たち》全員が女王様と王様に君臨しているからだ。〈Cause we are Queens and Kings(だって私たちが女王様と王様)〉など、歌詞の随所で出てくる《私たち》は、彼女たちだけでなく、リスナーやファンも指している。だからこそ、“Queendom”のなかで彼女たちは何度も《君》に呼びかけ、手を取りあう。

 “Queendom”と名づけられた曲で、〈Cause we are Queens and Kings〉と歌われるのは重要だ。いまだ根強く残る、ステレオタイプな女らしさや男らしさといった鎖に明確なNOを突きつけているという意味で。ゆえに男尊女卑の価値観から程遠いところに、レッド・ヴェルヴェットの“Queendom”は存在している。
 こうした側面を強調するように、MVやライヴでのダンスは、マッチョさがまったく見られない。激しさよりも、しなやかさが前面に出ている。その姿はまるで、男性優位社会という土俵で男と対等であろうとするのではなく、その土俵に乗ることを拒んで自分らしく生きようと訴えているかのようだ。

 レッド・ヴェルヴェットは、“Queendom”で〈We are makin' the rules(私たちがルール)〉と歌い、《私たち》を鼓舞してくれる。どう生きたいかは自分で決めることができるのだと。そして、そう考える同志は《私たち》の“Queendom”に多くいると。
 いま生きる社会に居場所をなかなか見いだせない人たちの居場所。それがレッド・ヴェルヴェットの“Queendom”なのだ。そのような歌に歓声をあげる者たちが集ったKCONでの完全体“Queendom”は、希望という輝かしい光で満たされていた。


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