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ルポ在宅介護

僕はタイのシーラチャーに住んでいて、日本の東京にどちらも80歳になる両親がいる。母親は要介護5で特養(特別養護老人ホーム)に入っていて、父親の方は要介護4で、老健(介護老人保健施設)ともうひとつ別の施設を行ったり来たりしている。

今回シーラチャーから僕がやって来たのは、父親を別の施設から老健へ移るまでの2週間、自宅で過ごすサポートのためである。老健は在宅復帰を目指す施設でリハビリを週に6回、と積極的にやってくれるのだがその有効期限は3ヶ月。しかし一度施設を出て、3ヶ月たつとリハビリ回数がクリアされるのでわざわざ施設を出たり入ったりしている、というわけである。

3月18日 羽田着

日本到着。シーラチャーへ引っ越して1ヶ月足らず。バンコクとは違った生活が新鮮で楽しく過ごしていただけに面倒な気持ちが強かったが、チケットを購入する時に覚悟をしたのだ。やると決めたのだ、仕方がない。

いつもとは違うターミナルに到着。初めての場所でのスーツケース受け取り。スーツケースの受け取りなんて時間のかかる場所で年寄や子供だっているのに、ベンチを並べておく設計もされてないなんて意地が悪いよな、というのが日本への最初の不満。外の気温は8度。体がひんやりする寒さで初めて日本へやって来たタイ人だったら喜んだりするのかも知れない。

家につくとネットが解約されていた。姉の仕業だ。まったく自分の都合で何でもやってしまうんだ。まあいい。タイSIMのローミングでやっていく。

午後から新しいケアマネージャーと打ち合わせ。ケアマネージャーとは介護の現場でチームをまとめるリーダーのことで、この人を起点に在宅介護のヘルパーや施設などを繋いで、国のサポートなども紹介してもらえる。我々にとっては頼りにしたい一人の存在であるが、向こうからするとたくさんいる介護者の中の一人。まああまりあてにしないのが良い、というのは母親の時に学んだこと。「人にもモノにも執着しないし期待もしない」これよな。しかしながら、この人を介さないと、これからの2週間父親の介護にかかる費用に保険が使えなかったりする。2週間ほどなので実費でも構わないかと考えていたが、財布にうるさい姉が色々言ってきてセッティング。1割負担になるのだから使わない手はないだろう。打ち合わせをしてみたものの、こちらからの要望はそれほど思いつかず、朝の身支度補助、朝の空気の入れ替え、トイレ、入浴介助、洗い物、洗濯を挙げた。色々と細かいルールがあるようで、身体介助の名目では洗い物や洗濯はできないとのことで最後の2つは除くことに。自分でもやれるくらいのことだと思ったが、30分でも来てもらえると自分の時間ができるので本当に助かりました。

一緒に来てもらった別の業者とはベッドの横に起き上がるための手すり、歩いて移動する範囲にも手すり、トイレにも手すりの設置。これらのレンタルを1割負担で利用することができる。風呂場には母親の介護度が上がってきた時に設置した手すりが付いているので、足りない分の追加をお願いした。電動ベッドを借りることもできたのだが、2階にあったベッドを下ろして使うことにする。これが後で問題になった。

最後に今の施設でやっているようなマッサージを呼びたいことをお願いして、昼や夕方のサポートが必要かどうかは実際にやってみてから、ということで契約完了。

3月19日 テレビの準備

JCOMで契約していたネットとテレビのアンテナを解約したせいでテレビが見られなくなった。父親はテレビを見るくらいしかやることがないし、僕はネットが使えると助かるし、ということでJCOMへ。開設の工事が早くて4月3日。父親の実家滞在は8日まで。さらに2年使わないともったいない、と親切に教えてもらい諦める。その他にもAmazon Fireなんちゃらを買って、ネット経由でティーバーやなんかが見られるようになると教えてもらったが容量無制限のネットがないし、ポケットwifiも即日でないと言うし、そもそも父はティーバーやなんかをスマホで操作なんかしないのでテレビはあきらめよう。

3月20日 介護タクシーの予約

姉に荷物が多いので普通のタクシーではだめだと知らされて、介護タクシーの予約。このドライバーがいい人で介護タクシー割引券について教えてくれ、15,000円くらいかかる場合だったら5,000円くらいになるんだと。後日取得に行くことにする。

日本にも色々問題があるけど、老人へのサポートは厚い。介護保険に医療保険、施設の料金も家の財産がいくら以下になったら割引となったり、上記の介護タクシー割引などなど。たぶん置かれている状況によって探せば色々でてくるのだと思う。誰もが分かるようになってはいないし、先のケアマネが全て教えてくれるわけでもないので、老人問題に限らず困ったことがあったら色々調べてみるのがおすすめです。問題の渦中にいる人にそれらを調べている余裕があるとも思えないが。老人へのサポートを減らして出産や育児や奨学金のサポートにまわすのが日本の未来にとっては良いのは間違いないので、今よりも負担が増えたとしても僕はOK。なるようにしかならん。

落ち着いてから父に電話。施設では風呂は週に2回なので3回に増やしたと言うと「そんなに多いの?」と喜んだのが印象的。テレビはないのでラジオでと。

「荷物もたくさんあるし普通のタクシーでは無理。そんなことも知らないで。」といちいち嫌な言い方をする嫌な姉。「知らないことはその場で知れば済むんじゃないの?」と早々に嫌なムードへ。

3月23日 父親を家へ

12:30に介護タクシーが来てくれて、一緒に施設へ。父親の第一印象は元気そう前と会った時とあまり変わらないかも知れないと思ったが久しぶりに家に帰れることで軽くエンドルフィンでも出ていたのだろう。このあと家で一緒に生活をしてみるとだいぶ弱っていることが分かった。

夕飯は寿司を買って二人で食べる。用意した手すりを使ってベッドから自力で起きていたし、起きられればヨチヨチではあるが自分で歩いてトイレに行けたので何とかなりそうだと確認して僕は2階へ行って眠る。

父親の状態について

ここで簡単に父の状態について。

要介護レベル4の父は頭はしっかりしているのですが、5年前に不運が体を襲いました。夜酔っ払って帰ってきて玄関から足を滑らせ利き腕である右肩と腕を骨折。高い段差のある玄関で頭と足が逆さになったまま動けなくなり、そのままの体勢で夜が明けるまでいたという。まだ軽い認知症だった自宅の2階で寝ていた母親が朝になって父親を見つけて、救急車を呼んで病院へ行ったらしい。父親が電話をさせたのか分からないが、軽いと言ってもすでに要介護2とか3だった母親が救急車を呼べたのは幸いだった。

病院へ運び込まれた父親だが、血糖値の高さとか服薬している糖尿病の薬のせいなんかですぐには手術ができず、粉々になった肩の骨を抱えたまま手術ができる状態になるのを待つこと2〜3日。麻酔に問題があるとかそんな話だったと思う(不摂生はこういうところにも顔を出してくるようです)。

救急車で運ばれたあたりで姉から連絡で事の顛末を知り「お母さん独りで家なんだけど大丈夫かしら?」という質問で、僕は日本行きを決めました。ちょうどその前に母親の認知症の面倒を見るのに2週間を日本で、残りの2週間をタイで過ごすという生活を半年ほどしていたので、母親が独りで家にいるのは無理だと判断しました。

病院へ運び込まれて数日後に手術をした父親ですが、腕が動くようになることはありませんでした。手術室から出てきた父親の腕が紫色で触ってみると血の気が感じられず、目の前にいる先生に「こんなに冷たくて大丈夫なんですか?」の質問になんだかはっきりしない答えが返ってきただけで、医療ミスを訴えて云々なんてやるつもりもないし、適当に選んで入った飯屋がうまくないのと同じように、たまたま救急車で運ばれて来た病院でたまたま担当になった医者の腕が良くないのなんて飛行機が落ちるのよりもうんと可能性が高そうだし、もちろん僕が他の病院を探すことだってできたのかもしれないけど、手術でこんなことになるなんて想像もしてないし、仕方ないよなって言うのなんてしょうもないような気もするけど、そういう風に考えるよりないよなって。先生だって自分の非を認めるわけには行かないんだから、顔や態度は動揺しててもこういうものだ、みたいな答えしか出てこないし、その何日か後には別の病院に移って行って。元々決まってたのか何なのか知らないけど、引き継いだ先生は親身のかけらもないし、僕だって仕事のミスはするし、それが人の体に影響するかしないかってだけで。運ってのは人生を大きく左右する要素だし、なんならほとんどは運って話もあるよね。どういう環境に生まれるか、自分がどういう才能を持っているか、努力できるかどうかすらも遺伝子で決まってるみたいだし。

父親の状態についてはこんな感じ。ともあれ、施設にいるより自宅で過ごしたいという父親の願いを叶えるための在宅介護をしよう、というのが今回の話。

3月24日 日曜日

朝「マサトシー!」というまさに叫び声で目が覚めて慌てて飛び起き下に降りると父がベッドから下に落ちて、床が濡れている。自分では起き上がれずに仰向けで床に倒れ込んでいる。何かあったら携帯にと言っていたのだが電話は鳴ならなかった。

まずは父親を起こしてベッドに一度座らせたいのだが、これが以外に難しい。前から体を持ち上げようとするが、右腕が痛いのでどこを掴んで持ち上げるのが良いか分からず、左脇の下と右側の腰を持って何度かやってみたがうまくいかず、こっちも寝起きで若干パニクったので、ちょっと待ってくれと一度水を飲んで暖房をつけて、どうやるか?と一考。「あ、後ろから周ってベッドに乗せてみようか?」と父親も「ああ、それでもいいな」ということで、やってみるとうまくできた。

布団の上に漏らさなかったのが幸い。むき出しの床と絨毯が少し汚れただけだ。とりあえず漏らした小便の掃除の仕方を検索。新聞紙を敷いておいて商店街が動き始めたら必要なものを買いに行くことにした。

施設に迎えに行った時に、施設の人から夜はパンツタイプのおむつをつけていると聞いたが、父親はもうしばらく使っていないと言う。本当は使っていたのかも知れない。心苦しいところはあるが「おむつ使う?」と相談。床が濡れるのは困るしやむなしと承諾。しかし尿瓶があればなんとかなるというので、近くの薬局に行くが、いやぁな感じで対応されたので、「あ、そ。」と残して店を出る。JCOMのように良い対応してくれれば、こちらも「そうですか。ありがとうございます」ってなもんだけど、良くない対応をするってことは、良くない対応されても良いんだから。そうだろ? ネットには薬局に尿瓶が売ってるって書いてあったけど近くの薬局は3つ全滅で、処方箋のでかいところにならありそうと思って行ってみると、あいにくの日曜で。結局商店街の奥の奥の薬局まで行ってようやく手に入れた。

ベッドから自力で起き上がるのはどうも無理っぽいと言う。「昨日はできたじゃん?」と聞くと「うん、昨日はできたけど、もう腕に力がはいらない」と。自動ベッドにしておけばよかった、というか今からでもと言うが、父親はどうせ2週間だからもういいと。遠慮もあるのか何にでも首を横に振るから、こちらの決定でやってしまうことがあっても良いかも知れないが、電動ベットでお越しても起きられないから意味がないと言う。仕方ない。僕が起こしてやるよりない。

電話を見てみると4:30頃に着信記録が2度あった。しかし試しにもう一度父親の電話からかけてみると「ピッ」と音がして切れてしまう。その後しばらくしてかけると通話ができた。IP電話だからそんなもんだろうか。叫び声が聞こえて起きたのが7:00頃なので、4:30からのあの体制でいたと思うと心が痛い。夜中じゅうつけていた暖房も自動で消えていたし。ずっと続く寒さも厳しかったろう。

明日からはヘルパーさんが来てくれる。

3月25日 ヘルパーさん

朝9:30にヘルパーさん。10:30にマッサージ。14:00にお風呂。ヘルパーさんが来てくれると1日の中で2時間だけは任せて良いことになる。と言ってもたったの2時間。介護、簡単じゃないよな。

ヘルパーさんのいる間に区役所へ。介護タクシーの割引券の申請と受け取り。

親にとって子供はいつまでたっても子供であるというのがあるけど、同じように親も子供にとってはいつまでも親であるわけで。親でない80歳の人を見ればほとんどはいかにも老人であり、客観的に見ればウチの父親は十分に老人なんだよな。歩くのもままならないし、手もプルプルと震えているし。助けてやらないと。

3月27日 母の見舞いに

ほとんど寝ていた母だが、目を開けたところに顔を寄せていくと分かったのか何なのか、たまに口を動かした。認識できる言葉としての音はでてこない。しかし確かにじっと目が合った感覚がしばらく続いた。母親と目が合った感覚。しばらくすると、目の位置は変わらないが、すっと力がなくなってそのまま眠りに戻っていった。会話ができたように感じて、このままこの感覚に身を寄せると涙が止まらなくなりそうだったので「そろそろ行く?」と父親に。母親とのことを考えるのは、もう少し先になってからで良いだろう。

「よく喋っていますよ。長野のことを話しています。」と施設のおばさん。ウチと長野なんてなんか関係あったっけ?と思う。「長野は関係と思いますよ」と父。施設のおばさんは間違えたことを悟られないように務めて笑顔で「別の後藤さんでした」だって。別の後藤さん、本当にいるのかね。笑顔の仮面をかぶる施設のおばさん。

帰りのタクシーで運転手に「そこのちょうど今人が歩いているところ辺りが家です」と伝えると「人は動いてるから」と。「は?」動いてたって関係ないだろう? そこに人は一人しかいなくて、ちょうどそこが家なんだよ、難しい説明してないだろう。話をややこしくするな、バカタレが。

父の口が臭さが度を越していて、歯磨きをしてもらう。

3月28日 老健への移動日が決まる 

次の施設である老健から「4月3日から部屋が用意できたんでいかがですか?」と電話があって、当初から8日を希望だが、空いたら早くお願いするかもというのは聞いていたので「父親と相談する」と切って、父親と話す。僕が大変だろうから3日でいいよ、と言う。僕も疲れてきてはいたが、そう言われると条件反射で「俺はいいんだけど」なんて言ってしまう。じゃあ、こうしようと「3日は風呂があるし、水曜だからお母さんのところにもう一度行って、4日に移動でどう?」。老健は簡単に外出できる施設でないのと、僕もタイに戻るし仮に年に1回両親の顔を見れるとしたってあと何回見れるのよって話だし。

老健からは父親のいびきがうるさいから個室にしてくれって言われて、個室と4人部屋だと3倍位値段が変わるから、なんとか1ヶ月だけは4人部屋にして欲しいと話すと了解してくれたので、アマゾンで5千円くらいする軌道を空けるスプレーを買った。

とにかく息が臭い。寝ている部屋いっぱいに気分の悪くなる匂いが充満する。これは薬のせいであろうか。朝12錠、夕10錠。漫画太郎が何かで2錠以上の薬を混ぜて飲ませるのは、どういう作用を起こすか分かっていない、とか書いてたよな。医者も理解してないとも書いてあったけな。

父が寝たので、夜のトイレの前に晩飯へ。通り沿いにあるアパートのでっぱりに座っているおじいさんがいて、こんな時間におじいさんが一人で座ってるのもおかしいんで「大丈夫ですか?」って声かけると「いやぁ、ちょっと腰いたくなっちゃって」って言うんで「何か手伝いますか?」って。「いや、大丈夫。少し休めば」って言うから近くのスーパーで夕飯の買物することにして、帰る時にまだいたらもう一度声かけてみようと思ってたけど、帰りにはもういなくなってたから良かった。

3月29日 昨晩から強風と雨

朝起きると割と暖かかったが、ネットが繋がらなくなっている。DTACのローミングはSoftbankの回線を使うので、この強風で何かおかしくなったのだろうと考えて父親のかんたんケータイみたいなやつからポケットwifiを10泊11日でレンタル。明日の午前中には届くはず。

結局夜になってもDTACは繋がらず。久しぶりにネットの全く繋がらない状態。そわそわしてしまう。

介護の合間に仕事もしてて、ウェブの仕事だからやっぱりネットはたくさん使っちゃうんだよ。DTACの12Gなんてすぐなくなっちゃって。ESIMも初めて試してみたけどすぐなくなって、はじめからポケットwifiをレンタルすれば良かった。DTACのSIMのローミングは14日12Gで599バーツ。今回ネットだけで40,000円くらい使っちゃったよ。バカバカしい。

3月30日 イライラ

午前中に届くようにしたポケットwifi。11時を過ぎでも届かないので、今のうちに買物を済ませておこうと11:30に戻ってくると不在届が。クソッ。ちょっとくらい遅れるかと思いきやここはタイではない日本だ。再配達の枠が14:00〜16:00。クソッ。父親のために買ってきた昼はお腹が空かないから要らないという。なんだよ、と思うが、これで夕飯の買い物には行かなくて済む。しかし、介護をやっていると自分の思い通りにはいかない。こういうのが積み重なるとそれが怒りに変わるのは容易に想像ができる。色々重なって今回はじめてイラッとしたが「あと少し、がんばれ」と言い聞かせる。まだやれる。

ケーキが食べたいと言うので、自分でも食べようと思って2個買ったんだが、僕の分はまだ食べずに置いておいたら、夕方冷蔵庫を覗いて「まだケーキもあるの?」と父。「ある」と答えると、「あれは食べちゃったほうが良いよな。」と。何だその言い方。2人でいて、1個食べたんだからもう1個は相手のものだと考える気がなくて卑しいなと思うが、やるよ。俺はいつでも食えるのが実際だし。そういやあ、母親の認知症が診断されて、ひどくなる前にって父親と二人をタイに連れて行った時にカオニャオマムワンを二人で1皿で十分と言って注文し、ほとんどを自分で食べたあと1/10くらいを残して母親に渡したのを見て、なんだこいつは? と思ったのを思い出した。そうだ、こういう卑しさを持っているんだ、忘れてた。というか、俺はこの人みたいになりたくないと思ってやってたんだ。そんなことまで思い出しちゃったな。だめだ、腹が減ってるんだ。何かを食べよう。それに昨日からネットに繋げられなくて仕事もできてないし、スマホも見られてなくてイライラしてんだ。はぁ。あと数日。頑張れ。

3月31日 夜中に目が覚める

夜中に目が覚めて覚醒した。昔インドに行った時のことを思い出して、と言うより旅の中にいるような気持ちになり、というか夢を見ていたのかも知れないが、どう言うわけだか今の自分をものすごく肯定できた。やっていこう。

4月1日 深い眠り

父の風呂の時間は1時間あるので、ヘルパーさんがいる間に少し仮眠をしようと横になると、今寝たばかりだと思ったらもう1時間経っていて、ここ最近はあまり眠れてなかったことに気付く。初日の事件以来眠っている時にも気を配っているのだと思う。

それにしても父はコーラをよく飲む。コーラを買ってきてくれと350mlのペットボトルを買ってくると、1日に1本を飲んで、あとは朝と昼に入れてやるコーヒーを飲んで、夕飯時にお茶だけを飲む。僕はだいたい水かコーヒーしかのまないので、コーラばっかり飲んで砂糖を取り過ぎでは?と思ったりもするが、もう飲みたいものを飲んでやってくれればいいと思って、冷蔵庫の中のコーラを切らさないようにしていた。それを聞いたヘルパーのおばさまに「あら、ファンキーですね」なんて言われてまんざらでもない顔をしている父親。80歳になってもそんなもんよな。

ヘルパーさんは日替わりで5,6人が来てくれたが、どの人も努めて明るくやってくれて助かりました。前のケアマネージャーってのが意地悪なおばさんで嫌な思いしたけど、相性あるからな。

4月2日 限界を知る

坂口恭平のツイートで子供を褒めよう、どんなささいなことでもいいから褒めようとあって、いいなあ、そうだよな、と思って、さっそく父親に実践しようと、今日母親の見舞いに行くのに、着ていく物の用意は昨日から終わっていたのだが、「もう服の準備できてるの?」「うん、そこに」「おお、早いねぇ」と言ったり、「うんこは出てるの?」「うん」「そっか、よかったね。昨日いっぱい食べたしね」と前向きな言葉をかけるようにする。

施設から家へ移ってくるときは自分でも期待もあったしやる気はあったのだろうが、いざやってみるとベッドから起きることもできなくなって、漏らしてしまったり心を砕かれたのだろうか、と想像する。まあ、いつものことではあるけど、また自分の殻にこもって家にいるのに寝てばかり。おそらく施設に居るほうが良いと自分でも思う部分があるのではないだろうか。施設の人は優しく、それこそ子供の相手をするように声をかけてくれる人もいるし、周りには自分よりももっと老化の進んだ人がいて、いくらか優位な気持ちでいられたりもするかもしれない。

もう一度母親の面会に。僕らが帰る頃にちょうどおじさん(母親の弟)が来てくれて、受付で会った。ありがたい。冗談の好きなおじさんで子供の頃、僕はなぜこのつまらない家に生まれて、おじさんの家に生まれなかったのだ、と嘆いたことが蘇る。

僕自身はそろそろが限界。いちいちイライラするようになってしまった。もうだめだ笑。僕が愛想よくやれるのは1週間までだと分かったのは成果である。次にやることがあるとすれば1週間でやろう。

今日は寝る前にあと1度トイレに行かせて終わり。
タイ帰国まであと1週間っ!!!

4月3日 台湾で大きな地震

台湾で大きな地震があったよう。嫌な感じ。

自分の意地の悪さが出ているように考えてしまうが、そういう風に考えるのはやめよう。やれることは十分にやっている。3週間の日本滞在、父親が家で過ごすための準備、滞在時に発生する全てをやっているのだ。僕にはこれが精一杯だし、これは十分なことだ、と考えるようにしよう。

4月4日 老健への送迎

朝9:30にいつも通りヘルパーさん。11:00にマッサージ。14:00の入所に向けて、13:30に介護タクシーが家に迎え。

父親の「色々とありがとう。また電話する」の言葉に感動。昔は絶対にこういうことを言う人ではなかったから。もう弱ってきているのかもしれない。しかしこういう言葉で救われるのだ。「ごめん」じゃなくて「ありがとう」。使っていくこと。

夜は王将の天津飯と餃子を一人で食べたあと、部屋に戻って暖房をつけて床で横になっていたらそのまま力尽きて眠っていた。

4月5日 片付け

なかなか太陽が出なかったが、雲間から明るさが見えた時にかろうじて布団を干す。ふわふわというわけにはいかないが、やらないよりは良し。

在宅介護をやってみて

ゴミ捨てに行くと隣に住む親戚のおじさんとおばさんとばったり会ってしばらく立ち話。おじさんはこのまえ母親の面会でも会っていたが、二人も今は二人だけで住んでるから何かあったらどうなるか心配だと言っていて、じゃあってことでIP電話の番号を教えて「何かあったらかけて。6時間で来れるから。」と伝える。

同じ日の昼に、今度は反対のお隣さんと道でばったり。「帰ってきてたの?」「そう、もう2週間くらい。家真っ暗だったし、人気がないと思っけど、いたんですね」「いたよ、電話してよ」といった会話。

で隣の隣で同級生がやってるイタリアレストランにも顔を出して、奥さんと子供やバイトの学生とパスタの残りをもらいながら話す。

父や母とも会ったり、家の周りにこれだけ話す人がいるってのはいいもんだなと思う。仕事の充実感や自分の人生をやっているのはいいし、これまでやってきたけど、自分の家族を持つのもいいのかもしれないなどと思ったりもして。ま、一人は気楽だし寂しさにも慣れてる部分があるし、なかなか家族をつくるみたいな考えによっていかないけど、そんなことを考えたりして。

大変ではあったけど、自分の人生のたった3週間という限られた時間を、地元で親のために時間を使ったってだけのことだから。父は「テレビがないと気が紛れない」なんて言ってたから次回はテレビを用意して、もっとあったかい時期に少し日にちを減らして、またやったるか。


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