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中学3年、夏。

中学3年、夏。僕が捧げたのは6人で襷を繋ぐ"駅伝"。自分のルーツを挙げるとしたら、絶対にあの夏の出来事は外せない。それくらい自分にとっては大きな経験だった。

当時、長距離を走るのが好きか嫌いかと言われたら圧倒的に「嫌い」だと思っていた。運動会のリレーで注目を集める短距離に比べたら、同じ「足が速い」でも長距離は地味で苦しい。走り終えるといつも血の味がする。

駅伝のメンバーには絶対に選ばれたくない。陸上部がない中学校に通っていた自分は、毎年一学期の終わりが来るたび候補メンバーが書かれた張り紙に名前が載らないことを祈っていた。

しかし、中学3年生はその祈りもむなしく、候補メンバーに選ばれた。担任が特設駅伝部の担当で、スポーツテストの1500mで速かった自分を誘ってきた。

「木幡、駅伝やるぞ」

やめてくれ、と思った。受験生としてやっと勉強に打ち込めると思った矢先、どうして毎朝6時に家を出て苦しい夏休みを過ごさなければいけないのだ。第一、こんな真夏に長距離を走るなんてどうかしている。

しかし、担任の誘いを断れず、駅伝の練習へ参加することになった。

その夏、自分たちは地区大会を勝つどころか、県大会のラインに掠りすらしない惨敗を喫した。

自分はレースを締めくくる6区を走った。しかし、駅伝本番の数日前に負った怪我により身体はボロボロ。痛みで身体が思い通りに動いてくれず、襷を受け取った時よりも2つ順位を落としてゴールした。

学校へ帰ってくるまで気丈に振る舞っていたが、最後のミーティングを終えて解散した途端、涙が止まらなくなった。自分でも感情が追いつかないほど嗚咽を漏らした。

もっと良い走りができれば。怪我をしなければ。ほかの5人が頑張って襷を繋いでくれたのに。もっとできたはずなのに。

涙とともに、あらゆる感情が溢れ出してくる。

忌み嫌っていた"駅伝"は、ひと夏で心を大きく揺さぶり、その後の人生を形づくるきっかけへと変わった。

もっと走れるようになりたい。

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それが高校で陸上長距離に打ち込み、社会人になった現在でも走り続ける原体験である。

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瀬尾まいこさんの小説『あと少し、もう少し』は、あの夏を鮮明に思い出させた。襷を繋ぐ6人のメンバーそれぞれに、中学3年生だった自分を投影した。

陸上長距離という単調な競技を取り扱っているが、6区間を走るメンバー1人ひとりにストーリーが存在する。彼らは誰もが悩み、焦り、もがいて駅伝本番を迎える。

速い、遅い。先輩だから。後輩だから。そんなことは関係なく、等しく悩む。

そして、その悩みを乗り超えて、スタートラインに立つ。

中学駅伝は1区間3km。たった10分走るだけだ。

しかし、彼らは今ここの"駅伝"に向き合ってきたすべてをぶつける。外の世界の出来事、待ち受ける進路のことではない。襷を繋ぎ、3km全力で走ることが彼らのすべてだ。

その姿は眩しくて、かっこいい。

「走りたい」

本を閉じた瞬間、その言葉が浮かんだ。

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