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育休はパパも育つ

なんだろう。
何か記録に残しておかなければいけない、そんな気がした育休復帰前夜。

自分が何を残したいのか、誰のために残したいのか、そんなことは定かでないが、漠然と「子どもから教えてもらうってこういうことなのか」などと思ったりしている。


23年9月、我が家に第一子が誕生した。
出産当日の凄まじさはこれまで31年間の人生で見たことがない光景だった。壮絶な出産を無事乗り越えた妻には感謝の念が尽きない。

娘は、日々懸命に生きている。成長している。
我が子の成長を感じる度に、「この子の成長をいつまでも近くで見ていたい」と本気で思うし、我が子を見ては「ああ、生命はなんて尊くて儚いんだろう」と思ったりもしている。

僕は既に"親バカ"なのかもしれない。


ただ、恥ずかしながら僕は子どもが産まれるまで、いや産まれた後も子どもの側で日々過ごすまで、”子ども(特に赤ちゃん)は親が機能しないと死んでしまう”という至極当たり前のことをリアルに理解できてなかったことに気づいた。

親が機能するとは、様々な解釈があり得て良いと思っているが、ここでは子どもが生きるための活動(”食事” ”睡眠” ”排泄”など)をきちんと行えるように働きかけること・ちょっとした異変に気づくことを指している。

赤ちゃんは自ら食事を用意して栄養を摂ることができない。そればかりか、首がすわってない時期は寝返りも打てないし、起き上がることもできない。

当然のことだけど、分かり切ったことだけど、そんな赤ちゃんの姿を日々見続けるうちに「この子はまだ自分の力でほとんどのことができないから親がしっかり支えなければ」という気持ちが日に日に強くなっている自分に気付いた。

それと同時に、自分の”親としての覚悟”の不足にも気付いた。もちろん、覚悟をしてなかったわけではない。むしろ覚悟をしていたし向き合っていたと思う。ただ、その覚悟量が足りなかったことに気付かされたのだ。


「そうか、親になるってこういう気付きの連続なのかもしれない。」
早くも子どもから教わった気分になった。


きっとまだまだ僕に不足していることはあるだろう。
これからも多くのことを子どもに教わるだろう。

だからこそ、僕たち夫婦は子どもへ与えられる以上のことを与えていきたい。


そうやって日々を噛み締めて生きていきたい。


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