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清原和博氏の執行猶予が満了。頑張れ!清原!

衝撃の逮捕のニュースから早4年。

ちらほらと噂にはなっていたものの、逮捕のニュース速報が出たとき、”ウソだろ?”その言葉が繰り返し浮かんでいました。

清原和博さんの逮捕。本当に衝撃的だったし、僕自身にも喪失感がとても大きかったのを強く覚えています。 あれから早四年、有罪判決を受けた清原和博さんの執行猶予期間が満了を迎えました。


犯罪行為、しかも自ら手を染めなければ起こしえない薬物という過ちは決して許されるものではないのだと思います。

しかし一方で、わずか16歳から甲子園の大スターとして世間やマスコミに注目され、プレッシャーに悩まされ、打てなければボロクソに書かれ、僕らには想像もつかないような生活を送っていたわけです。

僕は現在30歳です。ですから清原さんが甲子園で活躍されていた頃はまだ生まれていません。物心ついた時には全盛期といわれる西武時代でもなく、ジャイアンツに移籍してからの記憶です。
それでも清原選手は、スター軍団だったジャイアンツの中でもひと際オーラを放ち、そこにいるだけで球場の雰囲気を変えることができるまさに大スター、稀有な存在でした。

繊細に身に付けた打撃は本物中の本物

元々は繊細な性格で気弱で、というようなこともよく言われますがそれは本当にそうだと思います。なぜなら、彼のバッティング技術は繊細さや自分の弱点に向き合う、ある種の気弱さがなければ身につけることができないような技術だったからです。

筋肉のつけすぎで、バッティングが悪くなったという意見もありますが、僕の見方は少し違っていて、西武時代に右肩を脱臼したことがありました。それがかなり後々にまで大きな影響があったのだと僕は思っています。
体が大きくなって急激に筋肉がつく少し前から、バットが遠回りするようになりました。これは筋肉の影響ではなく、脱臼した右肩の違和感なのか痛みなのか、その辺りは分かりませんがいずれにせよ、筋肉よりもそこが原因だったような気がします。

松井秀喜選手が、ヤンキース時代に守備で手首を骨折してしまって、猛烈なリハビリを経験しました。怪我は完治しても、結局引退を迎えるその日まで怪我をする前の感覚に戻るということは一度もなかったそうです。
それくらい繊細な感覚を持って、一流の選手はあの打席に立っているということでしょう。マニアックな打撃の話はこれくらいにしておきます。

スターが起こした事件の重み

僕らのようなキャリアの中盤以降からしか知らない世代の人間でも、彼の起こした事件はとてもショックでした。それを考えると、ずっと彼のことを応援し続けてきた世代の方々にとって彼は裏切り者なのかもしれません。

でも僕は思うんです。裏切られるということは、彼がそれだけ”期待される人物”であったということ。みんなが一度は、遊びやクラブチームで野球をやったとしても、どこかのタイミングで諦めたスーパースターに、最も早く、最もかっこよく昇りつめた彼は間違いなくみんなの憧れでした。
そして僕らは何度も何度も何度も何度も、彼に希望をもらい、勇気をもらい、元気をもらってきました。

僕らが今彼にできることはほとんどないのかもしれませんが、一つあるとすれば、また”期待する”ということじゃないでしょうか。

実際になれるかどうかは置いておいて、人には夢や希望が大切だし、他人の夢を持否定する権利は誰一人としてありません。
高校野球の指導者をやりたい、その思いが彼の夢であり希望であるなら、できるできないは関係なく、”期待する”ということが彼を支えるということなのではないでしょうか。
もう一度彼を”期待される人物”にしてあげたら、彼はそれに応えようと、また凄まじい力を発揮してくれるんじゃないでしょうか?

薬物に手を出す人間性の人に指導者ができるわけない。刺青まで入れて舐めているのか。結局アルコールは飲んでいるし、何も変わってないんじゃないか。確かに否定しようと思えばいくらでもその理由は見つかります。その言葉に対する反論もありません。
逆に言うと、応援する言葉を見つけるほうが難しいのかもしれません。だったら僕は、難しい方をやってみたいなと思っています。

 一生をかけても達成できるかどうかわからない夢があるから人はそこに対して希望を見いだせるんです。

結局、清原和博が好きなんだよ

華々しい現役生活を過ごしていた彼にとって、野球がなくなった生活に希望も夢もなくなっていたのかもしれません。これからも何度も色々なミスをしてしまうかもしれません。

でも僕は結局、彼が好きなんです。

バッティングはもちろん、キャラクターも、生き様も、そして、言葉も。
彼は決して読書家には見えませんし、勉強ができるようには見えません。しかしそれでも彼の言葉には、類まれなる詩的センスがありました。
感性豊かな人間だったからこそ、”心と言葉”の距離が近く、感情に訴えかける言葉を紡ぐことができたのでしょう。 彼の言葉も、バッティングや生き様と同じくらいに大好きでした。

自分の言葉をもって話せる人間は本来、指導者に向いていると思います。
完璧な人しか指導者になれない、という世間の”完璧さん”からの厳しい意見はいつまでも彼にもその周りにも届くのでしょう。不思議なものでたくさんいるはずの完璧さんに僕は出会ったことがないですが(笑)。
僕自身も、これぽっちも完璧ではない人間として、完璧ではない彼を応援し続けたいなと思います。

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