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その29 極論キリギリス(2801文字)


0 はじめの前に

※ 決して、今を楽しむこと、リフレッシュすることを否定するものではありません。

※ 決して、各種ハラスメント、昔気質を助長する考えでもありません。

※あくまで、社会のピントを合わせたいという考えです。

※これからの社会を見据えて、今を正しく生きる教員・子どもを育みたい思いです。

※両極端なことを極端に表現していますが、すべての教育現場を指すものではありません。

1 はじめに

 働き方改革は、何のためにあるのでしょうか?
 どんな目的があって、教育界では働き方改革を進めているのでしょうか?

 「アリとキリギリス」のイソップ寓話を用いて「キリギリス」の姿から考えてみます。

 今回は、
 夏 →   夏休み期間
 冬 →   2学期等の課業中
と例えています。

 また、「食料」のことを「授業や行事の事前準備、子ども理解のスキル等業務を進めるための『よはく』」と例えています。

 『よはく』とは
・ 時間(時間的)にゆとりがもてることで、考え方(精神的)に余裕がもてること。
・ 心(精神的)にゆとりがあることで、同僚(対人的)と肯定的・建設的なコミュニケーションがとれること。
・ 時間的よはくや精神的よはくが担保されることで、計画的(選択的)に仕事を進められること。
(五木田洋平著 『対話ドリブン』参照 東洋館出版社)

等と考えています。

2 アリとキリギリス

 ご存知の方も多いと思いますが、ざくっと言うと、食べ物がふんだんにある夏に、冬を見越して働くアリ。
(訳 『よはく』がぶんだんにある『夏休み』に『2学期』をみこして今を大切にして働く教員)

 これに対して、夏真っ盛り、目の前にある食料をただ食い潰しながら、今を存分に楽しむキリギリス。
(訳 夏休み真っ盛り、目の前にある『よはく』を浪費しながら、今を存分に楽しむ教員)

という設定のお話だったと思います。

 この寓話に出てくる両者は両極端な存在ですので、今回の例えも、もちろん両極端になります。
 今『キリギリス』状態な厳しい現場があることを一つの事実とします。
 では、どうして、このような現場がでてきてしまったのでしょうか。

 それは、権利が過大に主張されても『働き方改革』や『ハラスメント』という盾で守られるご時世であるからだと感じています。

 大事なことが伝承されず、教育者として、的を射なくとも、とりあえずまず時間短縮、行事削減が重要だと考えることで、思考が止まっているようです。
 これすらままならず、1日7時間45分の勤務時間も果たされなくなっています。
 適切に仕事を進めていくための働き方改革なはずなのに。

3 学校現場の姿

 放課後、会議のない日に、1時間の時間休をとる光景を見かけるようになりました。
 柔軟な発想による素敵なことです。

 一方で、学期末であったり、担当校務の行事が近づいてきたりすると、成績処理や職員会議の案件づくり、計画策定等のために、長時間の残業をするなんてことも、よく見かけます。

 普段から働き方改革の名のもとに時間休をよく取得する人に多いのが、学期末等の長時間勤務です。
 必要があって、時間外に勤務しているというより、無計画さにより、そのようになってしまっていることが問題です。
 その姿、表情は悲惨に映ります。

 また、夏休みにおいては、時間休をふんだんに使って、一日の勤務時間を短くするなんてことは、昔からよく見られることでした。
 当日の朝になって、時間休を取得する人が、一人二人でないことも教員ならではの世界観だと感じています。
 これも言わば今の時代でいうならば「権利の遂行」に他なりません。

 このように、先を見据えずに時間休を取得することで、二学期の授業・行事準備、教室環境整備、不登校児童(やその家族)との関係構築、担当校務の事前準備を疎かにする人が、明らかに増えています。
 子どもに戻ったような気分で、夏休みを謳歌しているのでしょうか…。

 朝に2時間の時間休を取った後、出勤したかと思えば、定時退勤の時間を過ぎても仕事をしている…。

 このようなしわ寄せを、管理職が受けいれなければならない教育現場の由々しき現象が嘆かれます。

 また夏休み中に適切に準備をしなかった故に、2学期が始まった途端、数時間の残業…。

 準備不足で行う授業では、学級の子どもに落ち着きが見られず、トラブルが続出して、その対応に追われる教師。
 諸問題を適切に解決できる訳もありません。
 その結果、管理職対応になります。
 そして、組織として誰も成長することのない、また、正しい仕事を知ることのできない悪いサイクルに陥っていくのです…。

 経験の浅い人、特にコロナ禍を経験した若手教員に、このような働き方をする人が、少なくない印象を受けます。
(※学校や個人の資質により、大きな差があります。)

 ほぼ夏休みの間、朝や夕方にそれぞれ1、2時間の時間休を取得したり、毎日半日ほどしか勤務しなかったり、その日の勤務中、思い立ったように(でも頻繁に)時間休を取得したりすることが、マジョリティな学校があることを知り、驚きを隠せずには居られません。

 休みを取得することは「権利」です。
しかし、目的を見失った権利行使ほど、危険なものはないと思うのです。

4 心配なこと

・夏休み明けに長時間の残業をして、心が疲れる・病む。
・準備不足により、学年主任はじめ周囲の同僚、上司に迷惑をかける。
・学んでいないので、成長できない。
・目の前にいる子どもに悪影響が出る。

5 おわりに

 つまり、働き方改革は、手段でしかありません。
 と言える人がどれだけいるのでしょうか。

 働き方改革は、今の時代に合う学校、教育者にバージョンアップするための手段では、ないのでしょうか。
(もちろん多忙を正しく改善するためでもあります。)

 この改革の肝は、『学び方改革』にあるのだと思います。

 150年前のシステムを継承し続ける日本の学校教育。
 今なお講義型一本、教師主体、先生が教える授業を手放そうとしないのです。
 協働的な学び、子ども主体、子ども同士が学び合うことを否定することも少なくありません。

 知識の伝承、受験にともなう点数重視を盾に、伝統的な考えから思考の転換ができずにいるのではないでしょうか。

「困っている子ども」ならぬ「困っている先生」ではないか心配せざるを得ません。

 また、経験が多くない教員が『キリギリス化』するのは、この目的意識が持てないが故ではないのかと感じます。

 正しい教師、正しい社会人、正しい教育人としてあるべき姿を教え、育み、示すことのできる教員、組織風土が求められます。

 仕事を減らす、業務を改善すること、空き時間を作ることは、『学び方改革』という目的を実現する側面であることを認識しなければなりません。

 空いた隙間時間を、ただただ休むことだけに使うのは、とても悲しい事実だと思うのです。

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