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そこに関わる人たちの、「絶望」という言葉に対する定義が曖昧である限り、この心理ワークは当てにならない。。


 僕の絶望体験・・

20歳のころ、
不治の病に侵されて、4年間の闘病生活を余儀なくされた。

不治の病なのに、なんで治ったの?・・については以前書きましたが、
今日はちょっと別の話です。


画用紙に絵を描いて、色を付けて診断する心理ワークがありました。

丘の上に小さな小屋があって、入り口があり、窓があり、煙突もあります。
近くには大きな木があります。

そんな絵を描いて、それぞれに色を塗ってください・・ってワーク。

当時の僕は、木を黒く塗った。
真っ黒に塗りました。

今じゃ考えられないですよ、真っ黒なんて。
普通なら、茶色とか焦げ茶色にするでしょ?

そして診断は・・

木を黒く塗った人は、絶望している・・でした。

確かに当たっている。

当時の僕は死の宣告なんかされちゃって、未来に何の希望も持てなかった。
遠い未来はやって来ないって思ってたからね。

だけど、

僕にとって絶望というものは、絶対的にネガティブなことでもなかった。

スポーツ一筋の少年が病によってその道を絶たれて、命さえ危ぶまれていた。
ただそういう事実があるというだけで、それによって僕の感情がどうなるわけでもなかった。

読んで字のごとく、絶望とは・・望みが絶たれるということ。
スゴロクで「スタートに戻る」のところにとまったくらいの感じです。


僕に将来というものがあるのかどうか判らないけど、これからどうしようかな?

今まで信じて来た道は行き止まりになって、他にどんな道があるのかな?

ただ、今の病院での生活は楽しいのも事実。
綺麗な看護婦さん、優しい看護婦さん・・

あっ、そうだ。

同じ部屋の人たちにアンケートを取ったことがあってね、、

「あなたにとって綺麗な看護婦さん、優しい看護婦さん、怖い看護婦さんはそれぞれ誰ですか?」・・ってみんなに聞いて回ったんですよ。

そしたら、、

綺麗な看護婦さんは人それぞれで、
優しい看護婦さんも人それぞれ。

でも、怖い看護婦さんだけはみんな共通だった。(笑)


大部屋の時は、毎日が修学旅行みたいだったし、
1人部屋に移った後も、自由な気持ちになれて好き勝手やってました。

未来のことなど全く考えず、ただ今だけを考えてました。
今を考えることが大事だとか、そんな話ではありませんよ。


絶望、、の解釈がおそらく違う。
僕にとっての絶望は、読んで字のごとく、望みが絶たれただけ。

まぁ、残念には思うけど。


・・っでね、、例の心理ワーク。

絶望している人は、木を真っ黒に塗るってやつね。

確かに当たってますよ。

だけど、まわりの人の解釈は僕とは違う。

根本くんは上辺はポジティブを装っているけど、実はそうとう落ち込んでるんだ・・って。

それがワークの診断結果だろう・・って。


確かに僕の望みは病によって絶たれてしまった。
将来のことは何も考えられなかった。


では、、その時の僕と同じように将来の望みは何もないけど、
決してネガティブな感情は持っていない人が、その心理ワークをやったらどうなるのだろう?


例えば、、
余命宣告された人が、自分の人生を振り返って、

もう先も長くないし、将来に何の望みも持てなくなってしまったけど、
何の悔いもない。
いい人生だったなぁ・・

そんな風に思っている、もうすぐ死んじゃうけど決してネガティブな感情を持っているわけではない老人とか。

そういう人がその心理ワークをやったら、木を何色にするんだろう?
僕と同じように、真っ黒にするのだろうか?



僕が心理学者ならそこまで考えます。

じゃないと、、
木を黒く塗る人は絶望している・・だけじゃ中途半端でしょ。


先ずひとつ言えることは、
「絶望とは何か?」・・が曖昧なんですよね。

絶望という言葉を、読んで字のごとく望みが絶たれるという事実だけで解釈するのか?

それとも、感情がどん底の状態であると解釈するのか?



いい人生だったなぁって思いながら、心穏やかに死んでいきそうな老人が
この心理ワークで「茶色」を選んだとしたら、、

この老人の心理状態と僕のそれは違うという結果です。

老人が選んだ色は「茶色」
僕が選んだ色は「黒」

つまり、僕は表面上で元気を装っているけど、実はどん底だったのかも知れない。


逆に、
この老人があの時の僕と同じように「黒」を選んだとしたら、とても興味深いものになりますよね。

老人が選んだ色が「黒」
僕が選んだ色も「黒」
絶望を感じ、精神どん底状態である多くの人たちが選んだ色も「黒」

こんな結果が出てしまったら、何の証明にもなりませんよ。
木の色を黒く塗った人の精神状態なんて計れません。

でも、心理学者たちはより多くのサンプルを取ろうとするでしょう。

確かに望みは絶たれたけど、別に。。・・っていう人たちをたくさん見つけて、彼らが何色を選ぶのか?


その結果、何かしらの仮説が生まれて、さらに検証が進み、
徐々に信憑性が高いワークになるかと思います。

もしかすると、「絶望」という言葉の新しい定義が生まれるかもしれない。(笑)



この心理ワークに関わる人たちの、「絶望」という言葉に対する定義が曖昧である限り、やっぱり中途半端なんです。


心理学も含めて、現在世の中で「こうである」とされているものが、どういう経緯で「こうである」に至ったのか?

ある特定の何かに偏った経緯で、現在の「こうである」に至ったとしたら、
そんなものは本質的なものではないってことです。

物事にはいろんな可能性があります。
それらの可能性をどれだけ拾えるのか?

それらの可能性を踏まえた上で成り立った何かであるのか?


そうでないものを、どれだけ一生懸命に学んでも世の中の悩める人たちは救われません。


何かを決めつけるというのは、自分の中にある何かに偏るってことです。
だとすれば、可能性がそこで止まるということ。

何かを決断した瞬間、答えを出した瞬間、
未来への可能性が著しく小さくなるってことです。

まぁ、当たり前のことを難しく言ってるだけですけど。

完成度100%であれば、それらを改良するとかそれ以上の可能性なんて考える必要はありませんが、、人のやることや作り出したものに100%はないでしょう。


僕にも強い信念だとか世界観があります。
だけど、それらはいつでもアップデート可能な状態ですよ。

完成度100%だと思っていないので。


生物は進化し続けるものです。
何億年にもわたり、様々な環境や条件にも順応してきました。
われわれ人類もそうやって生き残って来た。

僕も、あなたも、そうでなければいけないと思う。

          


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