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ほとけさまのおしえ「師弟関係」

 先日、プールで「父親と娘さん」と思われる二人がおられました。

 もう数週間も前のことなのに、なぜかその親子が「印象」に残っております。

 それは所謂一般的な親子関係のように感じられなかったからです。

 お父さんは娘に伏し浮きの仕方を教えていたのですが、親子というより「師弟」のような言葉遣いだったからです。

 お父さんは「こうするように」「ここをこうしなさい」と伝え、娘さんは「はい」「わかりました」と敬語で応えていました。

 その様子が「従順」すぎて、まるで先生と生徒みたいに感じたのです。

 学校では先生と生徒がいて、先生は教え、生徒はそれに従って勉強したり行動したりします。

 立場が違う二人がそのように付き合うのは、先生のほうが少し多く生きていて、少し多くの知識があるからです。

 でもそれ以外は一緒の時間を過ごし、同じように食べて寝て息をしています。

 つまり、殆ど変わらない人間であるのに、「立場の違い」で大きく「考えや態度」が変わってきます。

 そしてそれが「大きな違い」であるかのように、お互いが思い込んでいることも多いのではないでしょうか?

 お釈迦様は、多くのお弟子さんに「私の教えの使えるところがあれば使ってくれればいい」 「まずは自分の心の灯明を頼りに生きていきなさい」と諭されました。

 そして親鸞聖人もまわりにいるお弟子さんにも、弟子ではなく「御同行」だとおっしゃられたのです。

 社会には「様々な立場」の方がおられます。

 てもそれは立場が違うだけで、それ以外はほとんど何も「変わらない」はずです。

 そしてそういう私も説法や法話をさせていただく立場に立つこともありますが、そういう時には「押し付け」にならないように心がけていこうと思っております。

 慢心を抱くことなく、聞く方の「心に響くところがあればどうぞお使いください」という心持ちでお伝えしていければ嬉しいのです。


☆今日の一句☆

 みな凡夫
    立場違えど
        みなほとけ

 

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