オホーツク海の魚が旨いわけは?
何故オホーツク海の魚は世界的に抜群のうまさを誇っているのか?
2023-10-16 北海道旅行―6
2024.3.31 記 石河正夫
1.知床半島博物館見学とオホ-ツク(10月15日)
オシンコシンの滝については見学の様子は既に説明済みであるが、その後近くの海岸沿いに知床半島博物館があり、約1時間近く見学し、知床半島に関する基礎的な地理的知識及び、気候風土に関する豆知識を頭に入れることができた。
以下に博物館内説明ボードの写真を掲載する。
海岸沿いに急斜面 断崖が多い地形が一目で分かる。
知床半島のプロフィール
上述した厳しい地形と自然が逆に原生的な半島内の自然を守ってきたとする説明も説得力がある。
断崖や急斜面が多く、農業に適さず、知床半島は、要するに人間の住むところでないという印象を与える。例えば、ワシなど鳥類が下の図の如くのびのびと飛び回っている。
しかし神様は、オホーツク海側から知床半島にむけて魚が集まる豊饒の海を用意していたのである。
その魚は人間様が頂くわけであるから、神は「知床は人間の住むところで無い」との印象を与えつつも、神は高い視点から見れば少数の魚種を大量に人間に与える環境を用意しているのが分かってきた。
2.知床半島のオホーツク沿岸側での豊富な漁獲高
しかし、知床に旅する機会を得て、筆者の最大の疑問であり、関心事たるテーマは「何故オホーツク海で撮れた魚(鮭やホタテガイなど)が特別のおいしさを誇っているのか?」であった。
今回の旅行で、車窓から沿岸漁業の実際を見ることができなかったが、北海道のオホーツク沿岸では、少数の魚種(ホタテ貝、サケ、スケソウダラなど)が大量に漁獲されていることが統計で示されている。
最近のオホーツク沿岸周辺の漁獲高は年間約30万トンで約850億円に上る。そのうちホタテ貝とサケだけで約20万トンに上るというから驚きである。(東京農業大学の千葉 晋 教授)
3.では、なぜオホ-ツク海側がサケなどの魚にとって魅力的なのか?
(1) 暖流と寒流との衝突
オホーツク海の暖流と寒流がぶつかる知床半島の沿岸の海流の動きが、実は、オホ-ツクの高い漁獲生産力を支える要因となっているのだ。
千葉教授は次の如く要約している。
「オホーツク海には春から対馬暖流が強いが、秋から翌春にかけて東樺太から流れてくる寒流の東樺太海流の勢力が強くなる。この季節的に勢力を変化させる2つの海流がオホーツクの基礎生産力に関係しているのである。」
(2)植物プランクトンと鉄分の生成
11月ごろから強まる寒さによってサハリン北部で海氷がつくられると、冷えて密度の高くなった表層水が沈み込んで氷塊となり、海流に乗って知床半島オホーツク側に運ばれる。
すると、そこには、豊富な栄誉物資が含まれており、来るべき「植物プランクトン」の大増殖の源になるという「自然の妙」が仕込まれるわけである。
まさに地形という幸運も重なった場所が知床半島のオホーツク海側になるのだ。
更に、アムール川からオホーツク海へと運ばれた鉄分が一旦海底に堆積するも、潮汐によって海底から巻き上げられた鉄分が、オホーツク海中層(200~800m)を南下する。
千島海峡域は水深が浅く、潮汐が大きいため中層の鉄分は広い層に再分配され生物生産に利用されることとなる。
(以上、北海道大学低温科学研究所の江渕、白岩研究員の研究成果を参考にした)
全く「自然の妙」を感じさせられる。
また、オホーツク海凍結前の寒気による海氷などによって運ばれてくる砕クズ物の影響で植物プランクトンの繁殖に必要な栄養塩が豊富に存在していることも、
これまた漁業資源の宝庫となる幸運な「自然の妙」ではないかと感心させられる。(2008年及び2012年 大島、清水研究員の研究成果を参考にした)
(3)知床半島の付け根にあたる知床斜里町で夕食
知床半島のプロフィールで上述したようにオホーツク海側で獲れたホタテ貝やサケなどの刺身を予約してあった日本料理店にて当たり前のように口に運び、舌鼓を打った。
恥ずかしながら食べるのに忙しく、写真を撮る余裕はなかった。
近くのホテルでTVのニュースを見ながら床に就いた。
天皇、皇后両陛下が15日、国民文化祭の開会式に出席するため、石川県を訪れているとのニュースが流れていた。
4.10月16日月曜日 網走までの典型的な風景
今日は旅行の最終日である。朝早く6時半には飛び起きた。自由にメニューを選べる形式で朝食をとり、出発の時刻8時過ぎには、満腹で重くなった体をせかしつつ、網走迄借り上げているバスに乗り込んだ。バスは列車と比較して揺れも大きく窓ガラスも透明度がやや低くなかなかいい写真を撮るのに手間取った。
進行方向に沿って左側の席で網走までほとんど下記写真の如く草原が続いており、景色の大きな変化は見られなかった。農業が基幹産業でジャガイモが産地である所らしい。
遠くに見える山は名勝天都山かな?バスの車掌の説明はなかった。
網走に着いて待ち受けている「ひとめぐり号」に乗り込んだ。ここから、札幌まで鉄路でずっと北海道を横断することとなった。374kmの旅が続くことになる。
網走より北見方面へ列車は走る
北見市駅に到着し歓迎された。
乗客は多くの人が駅名を知っていた。何故か?
カーリングで強いロコソラーレのチームの町であるからだ。
この豊かな自然と広大な大地に恵まれた日照時間も長いことからスポーツに適した環境だとして人気があるようだ。
更に、このチームは練習後にオホーツク海の食材を使った美味しい食事が食べられるとの評判であり、内外から注目されているそうだ。
遠軽町付近。石北本線の典型的な景色である。全国の町村で第2位を誇る緑豊かな街であり全国の駅でも珍しいスイッチバック駅としても知られている。
石北本線は湧別川の清流に沿って深い山間部を縫うように走っていた。
丸瀬布と川上町の間の車窓から撮影したもので、まさに車窓からしか撮れない貴重な画像となったと思います。
車窓からでなければ見られない景色。旭川近辺の湧別川の清流。
旭川市は人口32万.札幌に次ぐ都市で大雪山からの豊富な水に恵まれている。
耕作地の近くには写真の如き立派な倉庫が建てられていた。
石北本線には線路を横切る川も多かった
石北本線標高600メートル前後の耕作地で熱心に農作業をしてきた跡が読み取れる。
田園風景が続く石北本線旭川近辺の農場。これだけ広い農地を管理するのも大変だとの印象を持った。
石北本線にはこれまで回った北海道の中では農地や農産物用倉庫が多く標高もやや高くとも耕作に適しているのかなとの感想も抱いた。
このあたりから眠くなり写真を撮ることができなかった。
札幌駅に着く2,30分前に妻に起こされて目が覚めた。
札幌駅には午後4時ごろ到着し、同駅で「ひとめぐり号の団体客は解散した次第。
以上で長く続いた北海道紀行を終わりといたしたい。
今回の北海道紀行について、全体的な印象や感想については、このブログの第1回目(北海道紀行その1)(2023.10.30 記)に書いているが、最後に、特にお世話になった方々には妻とともに感謝の念を捧げたい。
今回のひとめぐり号の旅行ではJALのスチュワーデス数名が応援隊としてアテンドしてくれたところ、何くれとなく航空機ファーストクラスレベル以上のサービスをして頂いた。
更に、ルーティン以外の問題(忘れ物の処理及び車内における昼食弁当を頂く際、背もたれを倒さないようにするなど必要最小限のエチケットの徹底など)についても、応援隊のチーフ(小林千秋氏)が迅速に対応してくれた。
更に、札幌駅で解散後も私たちが千歳空港からのルートで羽田に帰ると知るや、同様のルートで帰るJAL関係者(若い男性)を紹介して頂いた。これまでの長い海外生活で小林氏ほど機敏で臨機応変の仕事が出来る人は珍しいと妻とともに深く感心した次第である。
この様な親切で好意的なアレンジメントが北海道旅行を楽しい思い出にしてくれている。
(了)
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