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Kwibuka30 ジェノサイドから30年

noteを始める。
ルワンダに来て4ヵ月が経とうとしている。

今日、所属先の職業訓練校で、
Kwibuka30メモリアルイベントが開催された。
Kwibukaとはキニャルワンダ語で、訳すと「記憶すること(to remember)」
すなわちメモリアルという意味だ。

毎年ジェノサイドが始まった4月7日から街にはこの文字が増える。
数字の30は年数を表す。それが起こった1994年から30年ということになる。

(Kwibuka)

ジェノサイドについて知りたい方は、検索をかけたらすぐに情報がでてきます。ある程度内容は統一されていると思う。
映画だと、「ホテルルワンダ」や「ルワンダの涙」が有名。

ルワンダにいるので、ブログを始めたいとは思っていたが、このことについて書くことはないだろうと思っていた。
十分ネット上に情報はあるし、
大好きなルワンダのイメージがそこに固執するのを助長しているようで、なんだか抵抗もあった。

しかし今日私が見たものに関しては、
より多くの人に知ってもらいたい、そう思った。
青年海外協力隊(JOCV)としてルワンダに来ているのだが、ルワンダにいる隊員全員に見てもらいたかった。

(学校に集合する学生達)

午前9時、学生も先生も集まっていた。
全員集まったら、歩いて15分ほどの場所にあるメモリアルへ移動する。
ルワンダには全国にジェノサイドのメモリアルがある。
その地域の住民は毎年そこへ行き、亡くなられた方々のことを想い、二度と繰り返さないことを誓う。

所属先の学校は700人を超える生徒がいて、
今回のイベントは近所の別の学校も合同で行う「学生のためのイベント」であると後で気が付いた。
毎年ではなく30年経った今年だけの特別なもの。

(警察の協力のもと1車線とめて車道を歩いて移動)

それにしても、学生も先生も皆明るくて優しい。
キニャルワンダ語で簡単な会話だが、彼らとの会話は楽しい。
だが道中、よそ者の自分が参加していいのだろうか、そんな気持ちもあり、少し緊張していた。

到着したが、メモリアルの写真は撮っていない。
私は初めて訪れたのだが、きれいな建物の奥に大きなお墓のようなものがあった。
イベントの主催者の方が「先生から中にどうぞ」と言い。建物の中へ。

中に入るとスロープで地下へ下っていく、
電気がついているので明るくてすぐに分かった。
棚に、何十個もの棺が並んでいた。同僚の先生が教えてくれた。
「ご遺体が入ってるんだよ」

下った先の棚と棚の間には、
犠牲となった方の頭蓋骨、手足の骨、髪の毛、が何十人分も展示されていた。

言葉が出ない。

スロープも学生が埋める形で、
全員そろって黙祷。
キニャルワンダ語で、その時起こったことなどの説明もされていたが、
先生は皆、涙を浮かべていた。
ほぼ全ての先生が30歳は超えている。

外へ出る。
生徒、先生、他の学校からそれぞれ代表して献花が行われる。

学校へ戻る。
(メモリアルは、辛くて中へ入れない学生もいた。過呼吸になってしまった子もいた。)

(帰り道)

同僚の先生は優しく声をかけてくれる。
アマクル?(調子どう?) て。
涙を浮かべていたので、目が赤い。
アマクル? ニメーザ(いいよ)は1セットだから、そのやりとりはする。
あとは「本当にありがとう」しか言えなかった。

(学校に到着)

学校に戻ると、前日から準備されていた椅子に座り、第二部が始まる。
今回のイベントの委員会の女学生がルワンダの伝統衣装イミシャナナを着て準備をしている。

始まると、この日のために練習をしてきた学生が会場中央に立ち、皆で歌を歌う。
ジェノサイドについての歌はいくつかあり、3曲ほど流しながら歌っていた。

次に、マイクを一人ずつ交代しながら皆同じ1文を唱えていた。
キニャルワンダ語で分からなかったが、最後の一人が英語で言って意味がわかった。

「どうか私たちを覚えていてください、私たちもあなたを覚えています。」

なんとなくわかっていたが、
メモリアルにおけるKwibukaの本当の意味をここで理解した。泣けてきた。

その後、劇が始まった。
ジェノサイドがどのように起こったのか、そして終わったのか、
委員会に入っている学生がすべての役を、しっかりと演じていた。

(劇の最中)
(劇の最中②)

演じている学生も、観ている学生も、
1994年はまだ生まれていない。
この国が、次の世代をいかに大切にしているかを実感した。

友達が演技をしているから、時たま学生にとっては面白くて、外野から笑い声が聞こえたりもした。
しかし、大人は笑えない。演技自体は真剣そのもの。
民族の違いでどれだけ迫害を受けたか(学生は授業を受けさせてくれない、女性は出産間近でも病院で診てもらえないなど)、どれだけ悲惨なことが行われていたかが表現されていた。若い彼らが演じることにとても感銘を受けた。

歌を歌って、劇は終わる。

そのあと生存者の方のスピーチ、
キニャルワンダ語だったが、その当時どのようなことが行われていたのかを詳しく語っていたのだと思う。

最後、主催の方の閉会の言葉でイベントは終了、解散した。

学校の教室棟へ行き、
いつも通りランチが用意されていたので、
先生数名と食べる。

(学校で食べているランチ)

各々帰路につく。

「マサ!(←私のこと)また月曜日!実習のレシピも月曜に完成させよう!」
先生達は、少し静かだけど、明るく楽しい雰囲気に戻っている。

「また月曜!よい週末を!」

帰り道、イソコ(市場)に寄りウサギのエサを買う。イソコでの買い物は楽しい。
皆「カリブー」と言って、接客してくれる。
この国は本当にアットホームだ。

(近所のイソコ)

改めて、
とても貴重な体験をいただいたことに、
いつも支えてくれている明るくて優しいルワンダの人々に深く感謝しながら家に向かった。

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