見出し画像

短編小説「真贋」③

第三章

「山下先生ってさ、凛としていて、サバサバしていて女として憧れるよね」

「そうかな、私は山下先生が担任なのに、自分のクラスの生徒を見る目が何となく怖いって感じちゃうんだよね」

「怖い?」

「うん、頑張った人を褒めてくれるし、注意すべきところはビシッと言ってくれるから、私のクラスメイトはほとんどの人が山下先生のことが好きなんだけど…」

「理想的な担任じゃん」

「うーん、私は山下先生の発する一つ一つの言葉が、なんだか言うべきときに言おうと思って発してるようにしか感じないんだよね、うまく表現できないけど」

「ははっ担任に厳しいねぇ」

女子高校生2人が昼休みにそんな会話を廊下でしていると、背後で同級生の竹塚が何人かの男子生徒にからかわれていた。

「おいっビク塚。昼休みなのに教室に1人で何してんの?友達いないのか?」

「俺が友達になってやろうか?」

竹塚は何をするときにも、失敗を恐れてビクビクしながら行動することから、クラスの中では『ビク塚』と呼ばれていた。竹塚は小柄でやたら前髪が長いこともからかわれる要因になっていた。

「友達でいてやるには時給が発生するけどな。レンタル友達っつって」

ギャハハっと下品な笑い声を上げながら、竹塚に絡んでいるのは、授業中も私語がうるさい武田と上原だ。竹塚とは異なるクラスにもかかわらず、前の学年のときに一緒だった縁から、昼休みのたびに竹塚を嘲笑しに来ていた。

「また竹塚がからかわれてんの、飽きないねぇ男子も」

「竹塚も竹塚で、なんで反論しないんだろうね、男らしくない」

先程の女子高生がそんな会話をしていたところに、担任の山下先生が昼休み中にもかかわらず、こちらの方に歩いてくるのが見えた。

すれ違う生徒が山下先生と挨拶を交わした後、必ずその後ろ姿を目で追って、挨拶できただけで小踊りする男子生徒もいるぐらい、山下先生の美貌は生徒にも評判だった。

山下先生は、自教室に入ると竹塚の方に近寄って行き、突然現れた山下先生に呆気に取られた武田と上原を尻目に、竹塚に何語かささやいた後、颯爽と去っていった。

山下先生に語りかけられていた間、竹塚は初めは無反応だったが、だんだんと頷くようになり、最後は力強く頷き、山下先生を真っ直ぐ見つめていた。

その竹塚の様子を不気味に感じた武田と上原は、

「山下に何言われたの、ビク塚くん」

と、平静を装ってからかいを再開した。

「・・・するな」

「なんだって?」

「山下先生を呼び捨てにするな!」

それは、武田と上原が初めて耳にする竹塚の大声だった。まるで、獣の咆哮のような竹塚の叫びに、得体の知れない薄気味悪さを感じたのか、武田と上原はそれ以上からかうことを避け、さも関心が無くなったかのように教室を後にした。

様子を見ていた女子二人は武田と上原が何もせずに立ち去ったことより、これまで反抗すらしたことない、竹塚の変化に驚いていた。一体、山下先生は何を語りかけたのだろう。

山下香織は私立高校の教諭として働いていた。田村美咲の死からおよそ18年が過ぎようとしている。

教員として働くようになってから今年でちょうど10年目を迎えようとしていた。

同僚との関係も当たり障りなく、生徒からはどちらかというと信頼されている方だ。

山下が公立ではなく私立を選んだのには理由があった。そして、私立の中で、今の勤務先を選んだことにも。

「今年は何人かな。ふふっ」

周りには聞こえない程度のボリュームで、思わずそんな独り言を放った。

さて、今回はどんな理由にするか。意味深な思考を重ねながら、山下は職員室にはまっすぐ戻らずに、違うクラスの教室に向かった。

一週間後。職員会議当日。後期に行われる文化祭や、修学旅行に関する案件について協議を重ねた後、各クラスの状況報告の時間になった。

教務主任主導で、各担任から前回と変わり映えのしない報告がなされる中、竹塚をからかっていた武田と上原のクラス担任が悲痛な表情を浮かべながら、重い口を開いた。

「昨日、教室内を確認しているときに、机の中に煙草を潜ませている生徒を2名発見しました。これから本人と保護者との面談を行う予定ですが、教頭、並びに校長と予め相談した結果、2名の平常の素行の悪さから、場合によっては自主退学を促す可能性がございます」

笑いを嚙み殺しながら、山下は質問を挟んだ。

「その2名とは誰のことですか」

傍目には、他クラスのことであっても自分のことのように捉える情の熱い教員として映っていることだろう。

「武田と上原です」

その名前が告げられた途端、会議に参加していた教員陣は、その二人なら致し方ないだろうと担任への同情にも似た空気を醸し出していた。

「なるほど、残念ですが、校長、教頭の下す判断であれば、異論はございません」

山下は沈痛な表情を作りながら、そう言い放った。

すぐに周りにはその意見に同調する者が現れ、生徒の今後の人生を左右する案件にもかかわらず、議論はあっさりと終結した。

山下が勤務先として選んだ理由はここにあった。県内の私立高校の中でも、退学者数が最も多い高校。そして、校長や教頭が何年も変わらず、強力な決定権を持っていること。

勤務を始めてから10年目にあたる今年。もう何度目か分からない退学に関する議案。山下の思い通りに運ばない話し合いは一度たりとて無かった。

諸連絡を経て、会議が解散になった後、山下は教頭に校長室に来るよう呼ばれた。

校長室は高校では珍しく職員室とは廊下を挟んで離れたところに位置し、日頃は校長の意図を汲んで常に生徒も中が見られるよう開放されているが、山下が向かうと入り口は閉ざされていた。

3回ノックした後入室すると、そこには両袖机に構えられた重厚な椅子に腰掛けた校長と、笑顔の教頭が立っていた。

「山下先生、今日はあわや反対意見も挙がりそうな案件において、真っ先に賛同の意を表明してくださり、助かりました」

教育者というより、メーカーの営業でも似合いそうな教頭から労いの言葉をかけられた。

「いえ、日頃から校長や教頭の教育方針に共感しておりますので」

そう言って山下は黙礼してその場を立ち去ろうとした。

「どうかね、今度労いも兼ねて食事でも…」

校長に食事に誘われるのは、これで何度目になるかわからないほどだった。

校長は結婚していて、2人の子どもを持つ父親だったが、山下が入職して以来、10年間も一途に言い寄ってくる。

山下に男の噂が立たないのが、そのご執心に一役買っていた。

「いえ、私に関わる人は皆不幸になりますので」

そう言って妖しく笑ってその場を立ち去った。二の句が告げられなくなった校長は、精一杯の愛想笑いで教頭と目を合わせた。

ああいう類の誘い文句には、言葉少なめに断る方が角が立たない。山下はそう考えていた。いや、この仕事や職場に執着が無いことも、自由に振る舞えている理由の一つかもしれない。

18年。山下が計画のための準備に費やしてきた時間だ。山下はこれまで片時も海野警部を忘れた時は無かった。長いと感じることも短いと感じることも無く、全ては計画通りだった。

計画の仕上げとして、この後、とある生徒と屋上で待ち合わせていた。

放課後に、多くの生徒は部活を行うために部室に急いで向かうために階段を駆け下りるか、帰宅するために正面玄関に向かっており、放課後独特の活気が校内に溢れているからか、玄関とは反対方向に歩く山下を見咎める人間はいなかった。

屋上に至る室内階段は、体育館とは離れており、部活の顧問を務める教員や生徒に出くわす可能性は低く、何より、これまでもうまくいった実績が山下を強気にさせていた。

3年生を中心にクラスが割り振られている4階に上がると、いよいよ屋上に至る非常扉が見えてきた。

山下がドアノブに手を掛け、そっと押し開くと、錆びた鉄が擦り合わさった嫌な音が響く。

ここ数日晴天が続いていることもあり、屋上に出ると山下を爽やかな風が包み込んだ。

鮮やかな水色の空に、絵に描いたような白い雲がたゆたう中、前方に目を移すと約束した生徒が真っ直ぐこちらを見つめていた。

竹塚だった。竹塚は半ば不安そうな表情はしていたが、山下は構わず近寄っていった。

「約束通り来てくれたのね」

「…本当ですか?教室で言っていたこと」

「そうね、その前に竹塚君こそ覚悟はできてる?屋上に来てくれたってことは…」

「先生言ってくれましたよね、この地獄から救い出してくれるって!武田と上原にイジメを受けていても、周りの人は見てみぬ振り。入学してからこれまで、ずっと虫ケラのように扱われてきました。特に女子が自分を見るときの蔑んだ目が一番耐えられない!」

「ふふふ、言ったわよ。そうね、来週には武田君と上原君は学校からいなくなるんじゃないかしら」

「えっそれってどういう…」

「まぁ楽しみにしてなさい。それより竹塚君こそ約束は覚えているのかしら」

「確か、卒業後山下先生から召集がかかったら駆けつけ、そこでどんな依頼を受けようが絶対に協力する、でしたね」

「そう、どんな依頼を受けようが…ね」

「ほんとに上原と武田がいなくなるなら、うん、山下先生からの依頼なら。俺、受けます!」

「ふふふ、いい子ね、約束よ。召集がかかるまでは、目の前のことに全力で取り組みなさい。間違っても自分で自分の命を絶つことがないように。もはや、竹塚君の命は私のものよ」

召集をかけたときに役立つ力を身につけられるよう自分の長所を伸ばしておきなさい、そう言い残して、山下は屋上から去っていった。

竹塚は本当に状況が好転するのか半信半疑ながら、しばらく屋上に残り、どういう人材を山下が求めているのか課された宿題について考えていた。

自分にはネットの知識しか無い。その特徴を磨いてみるか。竹塚はそう決心した。

第四章へ↓

第一章へ戻るときはコチラへ↓


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

よろしければサポートをお願いいたします。御恩は忘れません。頂いたサポートは、多くの人材が再び輝く日本にしていくための活動に充てさせていただきます。