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薔薇園の妖怪

薔薇園の妖怪だったのと彼女は言った。
赤い薔薇だけを集めた庭を歩きながら。

薔薇園の妖怪?

薔薇の陰に隠れて泣いていたの。
植え込みの向こう側で聞いた人がいたかも。
誰かが撮った動画に声が入っていたかも。
声はすれども姿は見えない薔薇園の妖怪。

薔薇がきれいで泣いていたの?
あの庭の薔薇がすばらしいのと
誘ってくれたのは彼女だった。

ううん。泣きたくて、ここに来てた。
どうしようもなく辛くなったとき、
うわーって泣いていたの。

春の短い間だけ開かれる薔薇園。
毎年、その季節になると、
涙をためた彼女はここを目指した。
期間限定の薔薇園の妖怪。

都市伝説になっていたりしてね。
ごめんなさい、それ私です。

一人で駆け込んでいた薔薇園を
今日は友と歩いている。

明るい赤。重そうな赤。黒っぽい赤。
大きい赤。小さい赤。
すぼまった赤。広がった赤。
いろんな赤の薔薇が咲いている。

どの辺りで泣いてたの?
あの辺りと彼女が指差した。
そこにも赤い薔薇が咲いている。

伸ばした蕾の向こうにビルがそびえている。
こんな都会の真ん中に
涙を放りに来る庭があったとは。

泣きたくなったら泣いてくれていいよ。
聞こえないフリしとくから。
なんて言っていたけど
ゴールデンウィークの昼下がり。
どこを向いても人がいて
薔薇にスマホを向けている。

薔薇園の妖怪の声の代わりに
スマホがカシャカシャと音を立てる。

ウェディングドレスとタキシードのふたりに
写真家がカメラを構え、声をかける。
目線はこちらに、次はあちらに。

今日は人が多いから、泣けないね。
もう泣かなくていいから、いいの。

いい香りが漂ってくる。
薔薇の香水って、こんな香りだよね。
薔薇ってすごい生命力があるんだって。
じゃあ私、薔薇にチカラをもらってたのかもね。 

薔薇に涙を受け止めてもらい、
生活に戻っていった。幾年も。
いつかの日の自分を
昔の話にできるくらい
彼女は強くなった。

薔薇園の妖怪っていいね。
歌のタイトルになりそう。
このタイトルで何か書けそう。
ほんと? あはは。

いつか笑い話にしたいって思ってたの。
今日、それができて良かったと
薔薇園の妖怪だった彼女は笑った。

赤い薔薇が咲き乱れる蔓を絡めた鐘撞きアーチ。
アーチ越しに見える青い空とホテルの高い建物。
ガラス壁に高層ビル群と空がくっきりと映っている。

何年かぶりに集まることになったランチ会の約束をしたとき、薔薇を見に行こうと提案した彼女。ランチを終えて薔薇園に向かう道で「私、薔薇園の妖怪だったの」。何それ?と笑っていたら、けっこう重たい話で。いろいろあったもんね。

薔薇から香水の雫を搾るように、この日のことをギュッと閉じ込めておきたいと思い、塩漬け常習のわたしにしては珍しく、その日のうちにnoteを公開。すぐさまこもにゃんが見つけて、日付が変わる前にclubhouseで朗読。一夜明けて書き足し、写真を追加。

目に留めていただき、ありがとうございます。わたしが物書きでいられるのは、面白がってくださる方々のおかげです。