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週間レビュー(2022-4-17)_人為起源の物質は、最大限デジタルで非物質化したら良いのかもしれない。

今週からGotohのレビュー方法に変えてみる。

11日
世界を認識するデザインについて講義を受けた。人にはせいぜい半径10m程度しかアイレベルでは認識できないのに、なぜ世界を俯瞰して理解したいと願ってきたのだろうとかを考える。グローバルに世界を見る事は、新たな欲望を喚起する事の様にも思えば、人類の視野を押し広げる平和の為の手段とも思う。この矛盾が解けないので、いっそ人類から眼球を通して外界を認識する手段を奪い取って、世界を構築したらどうだろうと悶々と再び考える。
人間の退廃的な欲望のベクトルも変わりそうだ。まさにそれがX畳半の建築計画の発想でもあるのだけど。まだ自分には、身体の一部を自分で解体する勇気が出ないけれど、いつか世の中に飽き始めたらやりたいと思うのだろうな。

12日
早朝から夜まで大学で過ごす。中庭で寝ながら、暖かい日差しと新入生の声を浴びていると自分の入学当初を思い出したりする。あの時もずっと中庭寝ていたし、意外と今も変わらない。特に新しい場所での人との普通?のリズムで会話が上手くできなかったり、吃りもまだ時々抜けなかったり、対人コミュニケーションが上手ではなのは幼い時から今も変わらないけれど、その時よりは気にしないで話せる友人が増えた。西早稲田キャンパスの晴れた日の中庭はとても気持ちが良い。

13日
やはり今の真っ当な建築家が苦手なのかもしれない。ひとりの非常勤講師に凄く嫌悪感を持たれたりした。自分の「今の社会は建築家の感覚の空間の豊かさを望んでないですよね」という言葉にイライラしたようだった。(確かに言い方が良くないけれど、壇上に立たされると言葉が下手くそになる)自分は住宅をチマチマと豊かさの為に作る理由は分かれど、そこに社会的価値はないと思っている。ある意味磯崎新的な建築の見方なのだろうと思う。会田誠の大林が主催していた都市の展示にインスパイアされる人だから、根っから感性が違うんだろうと理解しているけれど。

──豊田さんは大学でも教えられてますもんね。
豊田 最近は戦略的で打算的な学生が多いので、いつも「上の世代に媚びないでくれ」と言ってます(笑)。本当は先生からよくわからないと評価されるものをつくるべきなのに、コンペに勝つために先生から認められるものをつくろうとしてしまう。すると昔の感性が再生産されてしまうんですよね。もちろん、ぼくらがそういう教育をしてしまっている側面もあるんですけど。
──アカデミックな場で評価されるものが建築の本質ではないというか。
豊田 時代ごとに新しくなった感性やニーズを感じとって変化しなければいけないですよ。いまの学生が勝負するのは20歳上の人ではなくて、20歳下の人ですから。建築界は前の世代の評価を気にしがちなので、そういうムードをひっくり返したいなと思っています。

引き続き、この気持ちや気概を大事にして残り2年間学んでいきたい。


14日
PJTに関連して、悶々と解を見つける企画設計の議論をした。やはりアイデアは計画や設計からは生まれず、数人のセッションから生まれる。そして、生まれたアイデアは沢山あるけれど、与件の中で絞らなければならない。その絞り込みのプロセスほど楽しさの境地だったりする。その後、丹念に磨き込まないと潜んでいる本当の魅力が出てこない。一連の不自由の中と鬱々とした思考のプロセスが美しさを育む。だから何かを作る事は楽しい。

15日
23歳になった。なので、母と色々と話した。4歳から男である認識を持っていたこと(この時点でジェンダーバイアスを持っているのは凄く興味深いと思った)話し始めるのも早かったが、好奇心のままに道端の物を触りすぎてしまう事、なぜか闘争心や反骨心が強かったこと。あまり幼い時から人格的な根本は変わらないように見えるらしい。逆に消えていったものはあるんだろうかと思ったり、人の感情やバイアスの作られ方、発達の原理は面白いと思ったり。

16日
ミュラー邸の抽象模型を作りながら、アドルフ・ロースと歴史を超えて戦う。図面ではなく、立体で理解しようとすると彼の凄まじい空間把握能力に気が付く。CADのない時代で、なぜこんなにも複雑で繊細な形を生み出せたのか、どうやって考えていたのか、真っ当に戦っても到底勝てそうになかった。世の中の建築物は、近代建築以降ほとんど全てが平面レイヤーで切られており、ロースの言う「目的と意味を持った空間」は驚くほど少ない。空間の豊かさは結局のところ経済に飲まれてしまったのだけど、近代に新しい文化を育もうとしていたロースはドミノプランをどう見ていたのだろう。
抽象模型は来週の水曜日に提出する。なかなか面白いと思う。

17日
大学セミナーハウスまで見学に行かなくてはいけなかったが、よく考えたら何度も行ったのでまあいいかと思い見学会をサボった。その代わり設計課題のコンセプトを考えた。
最近、都市のスクラップアンドビルドをじっと観察していると、時間や記憶の地層性は物理的な土地から消され、デジタルに地層化していることに気がつく。それらはデジタルなので、編集性を持った地層だ。iphoneを一度無くしたら、電気が止まったら、時間と記憶の地層は行方不明になる。NFTとかブロックチェーンも同様。電気がないとそれは地層にすらなれない、そういう非物質ゆえの儚さも良い。
最近では、世界の人為物質の非物質化を念頭において都市のデジタルレイヤーを考えているので、今回は、逆に、プリミティブな時間と記憶の地層を空間に取り戻せないか、あるべき人為物質の扱い方は何か、それに解を与えるような建築は作れないかと考えてみる。

私たちは更地に建物を建てる。10年経つ時、土を盛って、次は地下にする。その上に新たに建物を建てる。新たに建てるとき、それが本当に必要なのかみんなで考える。壊してないから地下に眠る建物からこの場所に必要な建物は何かを学べる、考えることができる。過去を知りたければまた掘り返す。それを何ぞも繰り返す。
そうするといずれ、街には山が生まれ、時間と記憶の地層が出来上がる…まるでその地域の死者と対話しながら住むような場所になる。そんな美術館を設計をしようと思っている。
地層をテーマにしたインスタレーションとかもやってみたい。どこかクリスト&ジャンヌ=クロードっぽいけれど。

来週もずっと何かを作らないといけないのだけれど、そうしてないと自分は何していいかわからなくなるのでちょうどいい。頑張ろう。

終わり。

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