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ビジネスも恋愛も相手の目を見ることから始まる

1.相手の目を見ることで安心する

 街中や電車の中で、外国人の異性の方と目が合ったことってありますか。私は何度かあります。これって自分が女性を見ているということなんですよね。そして、相手も私を見ていたということです。だから目が合う。
 互いに目があった瞬間、私は微笑むようにしています。そして、軽く首を傾げたり、あるいは小さな声で「ハイ」と言ったりします。多くの場合、相手も微笑み、何事もなくそのまま離れていきます。こんな瞬間的なアイコンタクトであっても、何となく温かな気持ちになります。これは海外出張で身につけたものです。海外では皆、そうしているということですね。
 逆にいうと、目が合わないのは怖いのです。こちらが相手を見ているのに、相手はこちらの視線を避けている。これは怖い。相手が自分を避けている。つまり、敵視しているというサインです。
 海外でエレベーターに乗っていて、途中階から人が乗ってくる場合、「ハーイ」と言いながら笑顔で乗って来る人が多い。そして、周囲の人と二言三言、話をします。この行動によって、乗ってきた人が安全な人であることが分かり、エレベーターの中は一気に和むのです。
 

2.相手を見ることをタブー視する日本

 日本人は相手との距離、相手との関係をとても重視します。逆にいうと、日本人同士は互いに信頼するというのが、暗黙の了解です。
 互いに信頼しているはずなのに、相手をジロジロと見るのは失礼な行為です。日本では、「眼を飛ばす」という言葉があり、見ているだけで、「何、眼飛ばしてんだ」と絡まれることもあります。あからさまに相手を見ることは、タブーなんです。
 しかし、その常識は日本国内でしか通用しません。日本に来ている外国人にも通用しないので、トラブルを招くこともあります。肩が軽くぶつかっても、相手を見て「ソーリー」といえば、それで済みます。しかし、無言のまま、あるいは舌打ちして遠ざかっていった場合、相手は自分が侮辱されたと思って、全力で向かってくるでしょう。
 日本人が相手の目を見なくなったのは、いつごろでしょうか?武士の時代は、相手から目を外すことはタブーでした。相手が切りかかっても対応できるように常に相手の目を見ていたからです。
 商人も、お得意様に失礼があってはいけないので、常に周囲に目を配り、相手より先に自分が気がつくことが大切でした。そうすれば、単なる挨拶でも相手の先手を取ることができます。
 相手の目を見なくなった要因のひとつは、デジタルコミュニケーションの進化かもしれません。目の前に人がいても、その人の目を見ない。つまり、その人の存在を認めない。電車の中で化粧をするという、昔なら非常識な行為が定着したのも、目と目を合わせるコミュニケーションが崩壊した証拠でしょう。
 

3.ビジネスの基本は個人対個人の信頼

 ビジネスコミュニケーションも、基本は相手の目を見て話します。
 日本では、相手が名の通った会社の社員ならば、多少、目つきが悪かろうと、言葉遣いが悪かろうと、それほど心配する必要はありません。商売の契約は守るでしょうし、こちらを騙すこともないでしょう。
 しかし、海外とのビジネスでは、まず相手を疑うことから始まります。逆にいうと、信用できる相手とめぐり合うことは困難なのです。
 ですから、目先の利益とか、利益率で判断してはいけません。最初の見積もりは安くても、後から高く言ってくるかもしれません。また、相手が自分の会社も騙し、個人の利益を追求している可能性もあります。
 更には、相手がスパイであるかもしれず、こちらをスパイに引き込もうとしているのかもわかりません。
 ですから、海外では会社の名前より個人の信用が重要になります。会社で選ぶのではなく、信用できる個人を選ぶ。これが常識です。
 中国で騙されたという話の多くは、中国に言って日本の常識を振りかざした結果です。最初からこちらを騙す相手を、勝手に信用して、見事に騙されるのです。
 まず、信用できる人を一人でもいいから見つける。現地の人と結婚できれば最高です。他人なら騙しても、親戚になると仲間になるからです。
 結婚しなくても、例えば、相手の息子や娘の日本留学の手助けをしてあげることでも良いでしょう。相手が恩を感じていれば、商売でも裏切りません。商売は商売、プライペートはプライベートという考え方は、日本のように、皆が法律をまもり、約束を守る環境でしか通用しません。そして、そういう国は多くはないのです。
 

4.目が合うことから恋愛は始まる

 実は、プライベートのシーンでも、相手の目を見て話す、相手の目を見て挨拶することは重要です。
 最近の若い世代は、出会い系サイトで知り合い、SNSで話し、オフ会や旅行でリアルなコミュニケーションを取るという順序なのかもしれません。
 しかし、世界で一般的な出会いは、目と目が合うことから始まります。目が合うということは、自分に興味があるということだし、自分も相手に興味があるということです。相手がどんな気持ちなのかは、目を合わせれば大体分かるものです。
 日本では、「何、見てるのよ」と怒られるかもしれませんが、イタリアでは、どんな男性でも美しい女性がいれば見ます。そして、見られている女性も、「見られることは、自分の魅力が評価されていること」と考えます。ですから、誰も見てくれない、誰も声をかけてくれないのは、プライドが傷つくわけです。
 見つめる男性とそれを受けいれる女性という基本的な関係があって、イタリアは恋愛大国になっているのだと思います。
 日本ではどんどん禁欲的になっているので、相手を見ること自体、「セクハラ」と言われるかもしれません。しかし、頑なに異性を拒むことで、何か良いことがあるのでしょうか。
 私はビジネスという観点からも恋愛という観点からも、もっと、相手の目を見る訓練が必要ではないか、と思っています。
 ワークショップのような形で、相手の目を見て挨拶する。相手の目を見て、話をする。相手の目を見てプレゼンを行う等の訓練を積めば、人とのコミュニケーションも変わってくるのではないでしょうか。
 グローバル人材育成も少子化対策もまず、相手の目を見ることから始まると思うのです。

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