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#20 夫婦起業/折谷征晴〜家業を継ぐまで〜

株式会社MASAHARU代表取締役 折谷征晴と
折谷奈々絵です。
創業70年製造業の三代目から50歳夫婦で
起業しました

夫婦で挑む新たなステージの始まりや
新事業の方向性を見つけ出すまでの
ストーリーなど
挑戦者としてチャレンジする日々を書きます。

おはようございます✨
今日もMASAHARUnoteに来て頂き
ありがとうございます✨
みなさまとの出会いに感謝します✨

今日は折谷征晴の家業を継ぐまでを投稿します。
取材・文 豊川博圭
取材協力 金三津幹男 三和亮 折谷征晴


家業を継ぐまで

征晴は専門学校を卒業した後の進路について
祖父や先生に相談した。
学校は商業系だったのだが、
祖父たちは「まずは技術を身につけよ」と
アドバイスした。
技術は若いうちに身につけなければ、
ものにならないと。
最終的に選んだのは祖父から見て四男に当たる
叔父の会社であった。
ここで職人として6年半を送った。

そして満を持して父親の会社に戻る。
その時、すでに会社にいた姉から
妙なことを言われた。
「征晴、他の仕事を探した方がいいよ」
どういうこと?征晴は驚き
そこで初めて父の会社の経営が
まずいことになっていることが分かった。

毎期利益を出し、そこから税金を支払った分を
純資産に積んでいく。
この健全な経営を、二代目の父親は半ば否定していた。
税金を払うなら投資するスタイルである。
バランスシートは当然のことながら
債務超過カツカツ。
その状態で無理筋のPETボトル再生事業に
投資して大赤字を出す。
あっという間に債務超過に陥った。

2人姉弟の再建計画が始まった。
出た結論は2択。
工場を売るか倉庫を売るかである。
倉庫はクリーニング屋の跡地で
売りにくいということ
から工場を売る方に議論が傾いた。
その時に叔父が言った。
「お前が首を吊る時に倉庫だと格好がつかない。
工場を残せ」
折谷一族ここにありである。

言われた征晴の反応がまた面白い。
首を吊るくらいなら社長は継がぬ。
普通はこう考える。
なのに別のことを考えた。
確かに倉庫の細い梁に
縄をかけるより工場の太い梁のほうが
見栄えはいい。
そう結論し、祖父のアドバイスに従った。

征晴この時点で自分一人が職人として生きていく自信はあった。
しかし会社をなくして社員たちを路頭に迷わせるのは耐えられない。
この危機から逃げる気は一切なかった。
父親の跡をついで社長になると
小学生の時から決めていたという。

その意気やよし。
しかし債務超過に陥った会社に運転資金を貸してくれる銀行は
どこにもなかった。
その中で唯一、青和信用組合だけが融資に応じてくれた。
「あの融資がなければ今の会社はない」と
征晴は感謝とともに振り返る。

会社の経営は征晴専務の手に移った。
そこから正式に社長に就任するまでに8年間の時間を要した。

第一の戦いが始まった。
ガイド役は青和信用組合が紹介した税理士や会計士である。
会計のプロの指導のもと、会社は積極投資路線を完全に封印した。
反対に利益を産まない資産をひたすら売却し、バランスシートを
改善した。
征晴の経営者としての最初のテーマは流動資産つくり
純資産つくりだった。

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