TAKASE MASAHIRO
突然ですが、あなたに質問です。 貴方は今幸せですか? もしくは毎日、心配事や後悔、恨み、不平不満などを感じている時間が多いですか? 『今とても幸せです』と答えられる人は、目の前のものやことに触れ合い、感謝や喜び、自分の好きなことをたくさん感じておられる人なのだと思います。 そうではないという人は、触れ合いの無い幻想の世界に入り込んでしまっていることが多かったり、 過去のパターンを繰り返して幸せに感じられない現実を繰り返しているのかもしれません。 そういった時は
今、都内の気に入っているスパ施設に来てこの文章を書いています。 自分は広いお風呂や広い空が見えるのが好きで、そういった場所に身を置くとアイデアやインスピレーションが湧いてきます。 他にも洗練された物・空間は琴線に触れますし、静かな場所にいるときはそれだけで心が研ぎ澄まされます。 ◼︎ 最近、改めて自分が何が好きなのか、どういうことに心地よいと感じるのかを明確にしているのですが、自分の『好き』が自覚できていることって本当に大事だなと思うのです。 微細に見ていくと、
一人で電車に乗れること 料理ができること など、 大人になった今となっては当たり前のことでも、 小さい頃はそんなことでもできたら周りに褒められたりしました。 いつしか、大人になってくると 何か特別すごいことをしないと褒められたりすることは 少なくなってくるかもしれません。 『当たり前』になっていることばかりですからね。 私自身、以前はかなりの完璧主義者でしたから 自分へのハードルが高かったのですね。 それはつまり他者に対しても同じように厳しかったです。 尊敬や
誰かを責めてしまう時ってありますよね。 それを人にぶつければ争いごとにもなりかねないし、 自分を責めれば自己否定に陥ります。 あまり心地よいものではないと思うのです。 そして責める思考をすればするだけ、味わうのも自分ですから それをやめるしかないのです。 誰かのせいにしている限り、終わりませんよ。 ではなぜ責める思考をするのか。 一度冷静に見つめてみるとその理由に触れられるかもしれません。 自分のことをわかってほしいだけだったり 見てほしいだったり
人と話していると、その人からいろんな思考が垣間見えます。 ヒーローをやるストーリー 悲劇の主人公をやるストーリー それが楽しい話ならこちらも聞いていて楽しいのですが、 深刻なストーリーや悲劇の主人公のストーリーを聞くと 「嫌ならそのストーリーやめなよ。」 と思ってしまいます。 こちらは色々なアドバイスや提案もしてきたのですが、変わる気配もない人はそれがやりたいんだなと思って最近は必要以上に言うのもやめました。 どうせなら自分も周りも各々が笑顔で輝いているストーリー
今が幸せではなくて、 今を否定して、 キラキラ輝いた夢の世界に惹かれて、 そこに入れれば幸せになれるとその世界へ入る。 しかし、そこに入ればそこが日常になります。 そこで見るものは結局全て自分自身なので いつかは認めなければいけません。 「誰々がこういうことを言うから」 「誰々がこんなことをしてくるから」 そこに見るものが貴方自身だと言うことです。 外側のせいにしている限り、何も変わりません。 これは直面し認めた人からそこから抜けられるものです。 その時
エネルギーに敏感な私は混雑している電車が苦手なのですが、 友人と会うためにいつもは乗らない時間に通勤電車に乗る機会がありました。 乗り換えをする大きな駅に止まった時のこと。 多くの人が乗り降りをするなか、ドアの真ん前の通路となるところに突っ立ったままスマホをいじり続けている男性がいました。 幅が狭いところをその人を避けて降りる人もいましたが、リュックで半ば体当たりして無理矢理通り抜けようとする人も数名。 その場にはイライラの気が充満していました。 それにも「我関せ
人間関係で悩みや不満を持つことってありますか? 人によって価値観や生活が違いますから、行き違いや思い違いが起こることは当然なのかもしれません。 だからこそ、私はなるべく進捗や事態の報告をして情報共有するようにしています。(例えば予定を立てる時とか) 仕事なら皆さんもしていることだと思いますが、友人関係や近しい間柄になると手を抜いてしまうこともありますよね。 私はここに、人間関係でうまくいかなかった思考があることを見つけました。 ▪️ かれこれ20年近い付き合
無価値感や劣等感に襲われることってありますか。 もしかしたら、大半の人はそれを消そう打ち破ろうと幸せになろうとしているのかもしれません。 それは分離意識からくるものだと思うのですが、別にあってもいいものかなと思います。 ただそれが動機で動いている時はあまり幸せではないですよね。 劣等感や無価値観、それらは本当は幻想で無いものです。 自らが作り出している錯覚です。 ここで例をだして、私自身のケースを基にお話を進めていこうと思います。 これは私自身の思考だったの
新年度が始まって少し経ちますが、いかがお過ごしでしょうか。 自分自身が特に変化していなかったとしても、身内や近しい人が新しい環境に入っていったという方はいるのではないかと思います。 我が家でも甥っ子(次男)が小学校に入学しました。 その学校にはすでに甥っ子(長男)が通っているので、次男坊は一緒に通える存在がいるのである程度は心強いのかなと思います。 ですが、ここ数日高熱を出して休んでいたそう。 次男坊の意識をリーディングしたところ、やはり体の内側ではかなりのスト
桜が満開になりつつある。 近所にある都立公園でも桜が大いに花開き、土曜日ということもあって花見客で賑わっていた。 そんな中を散歩していてふと思った。 「桜は桜であり続けているだけなのに、こうして花開いている時にだけ見てもらえるのはどうしてなのだろうか?」 おそらく答えは、「桜の花が咲いたのだから見に来た。」だと思う。 しかし注目するというのは、結局人間側の勝手にしていることである。 でも、桜は花を散らした後に見向きもされなくなってもそこに居続け、栄養を蓄え、そして
昨今リモート化も進んだりはしていますが、日常生活の中で人と接することは避けては通れないものです。 地方の自然豊かな場所ならまだしも、都会では人がいないところがありません。 そんな中だと人疲れしてしまうことってありませんか。 私自身は人といるだけで疲れてしまいます。 人混みや満員電車はもうしんどいレベルです。 色々見えてしまうのもどうなんですかね……。 また接客業や直接対面する仕事の方は、不特定多数の人と関わることが日常だと思います。 私自身も以前に接客業をして
「やりたいことがない。」 今でもたまに耳にします。 頭でっかちになってしまう学校教育で育ってきた我々世代は、やりたいこと探しにぶつかった経験がある人は少なくないかもしれません。 そういうときは世間体を気にして選んでいたりとか、 これをやれば成功できそう稼げそうとか、 親が仕事を継いでくれるよう期待しているからとか、 それっぽい理由をつけてその道を選んでしまうかなと推察します。 まあ、私自身もその迷子をしていた事があるのでわかります。 やりたいことはやってきたつもり
『本音を知る』 今までも何度も書いてきました。 ですが、やはり意外とこれを無視している人が多い。 自分の心の声を無視してゴリ押ししていると、やはりその歪みは現実にトラブルとなって現れてくるから結局自分で喰らってしまうわけで。 それを解決しようと人は現実と闘うわけですが、原因はそこではないわけです。 それができないのは自分や相手を無意識にジャッジしてしまっているのだと思います。 わかってほしい、がいつまでも暴れ続けるのだからそこから抜けられないのでしょう
タイトルを見て、そんな当たり前のことと思うかもしれませんが、これについて考えてみたいと思います。 自分ではちゃんと考えて決めたと思っていたけど、それでよかったのかと後々になって後悔したり、その場の雰囲気で返事をしてしまって間違った選択をしてしまうことってありませんか。 例えば、我々の日常生活の中でも小さなことで言えば、脳への刺激で物を買うように促されていることは非常に多くあります。 大きなことだと、最近だと詐欺や煽り商法にもみられることではないですかね。 本人はちゃ
うまくいかない恋愛が続いて 「次の人となら幸せになれる!」と相手をただ変えたり、 うまく行かせるためにテクニック的なことに頼ってみたり、 相手の気を引かせようと他の人と遊んでみたり、 自分を『悲劇の主人公』ぶってみたり、笑 そういったことってあるのではないでしょうか。 もちろん、相手を変えてうまくいくこともあります。 相思相愛でいられる相手を選択できていれば それは円満に過ごしていけるでしょう。 ただ、それにはあなたの持っている思考が変わっている必要があります。