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座談会「市民と保育〜松田道雄を補助線に」文字起こし

座談会「市民と保育〜松田道雄を補助線に」

2023年11月19日15:00〜18:00@京都芸術センター「フリースペース」にて開催された、2023年度Co-programカテゴリーC、京都芸術センター(KAC)、吉野正哲による共同実験、リサーチプロジェクト「Cultural Canal Curriculum 〜文化の運河、あるいは河童曼荼羅」(以下CCC)のクロージング・イベント。(表紙写真 蒼光舎)

登壇者


アサダワタル(司会)
文化活動家兼ドラマー。著書に、『ホカツと家族〜家族のカタチを探る旅』(平凡社、2019)がある。CCC企画アドバイザー。
池添鉄平
京都市北区にある「たかつかさ保育園」の園長。ファンク系ベーシストでもある。
大関はるか(司会補助)
ライフワークとして環境問題の活動をしている。保育園児の母であり、京都市の保育現場の窮状を肌で感じている。
服部敬子
全国保育問題研究会の2020京都集会実行委員長、京都保育問題研究会, 『保育びと』編集委員長を務める。発達と保育の研究者。
和田悠
松田道雄の関西保育問題研究会での活動に関して、本格的に研究している研究者。
吉野正哲(マイアミ)
当企画の企画者。ひょんなことから教育実践記録の収集を始める。本を展示する事で、市民による「知のバケツリレー」が発生する事を期待する。

第一部

企画者による座談会の概要説明

吉野 皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。 
 CCC最後のクロージングイベントを開催させていただきます。
 そもそも、この座談会をなぜ企画したかということをざっとお話しします。先ず最初に、このプロジェクトは「教育実践記録のリサーチ」ということで始めました。せっかく京都芸術センターと共同で事業をするので、ここの場所にちなんだ教育実践記録があったらベストだなということを思ってた時に、上京区で小児科医をされていた松田道雄さんという方が、この明倫小学校(現在のKAC)の卒業生で、この場所で大正自由教育の洗礼を受けた事を知りました。そこで、松田さんのことを調べました。主には『育児の百科』という育児書の著者として全国的に有名だった方で、発行総数180万部も売り上げたといいます。

 その松田さんが関西保育問題研究会の会長をされてた時期について書かれた論文があって「これ、いいじゃん」って思ったんですね。「教育実践って言ってたのに、保育となると、ちょっと、違うのかな」とも思ったんですが、保育も幼児教育と言えますし、「まあ、遠からずだな」っていう事で。
 その論文を書かれた方が、こちらにおられる和田悠さんです。

 この企画をする時に、京都芸術センターとも大変ゆかりの深い、 音楽家の野村誠さんに相談をしました。こういうイベント考えていて、「松田道雄という人が、関西保育問題研究会とかそういうのやってて」とか、「京都市の保育園が補助金13億円カットされて、現場大変とか」とりとめもない話をして、「でも自分でそれちゃんと調べてへんし、市民として俺どうなんやろ」みたいなこと言ってたら、 野村さんから「服部敬子さんって、以前、一緒に仕事したことある人で、今の話と同じような話をしてたよ。服部さんを誘うと、いいじゃないかな」と伺いまして、服部さんに、登壇のお願いのお手紙を書きました。

 池添鉄平さんは、京都市北区にあります「たかつかさ保育園」の園長さんをされていまして、私の古い、音楽仲間でもあるんですど、服部さんと池添さんは元々お知り合いで、とてもご懇意にされているそうです。先日、池添さんに「保育の現場、今どうなってるんですか」って質問をしたら、“幼児期の終わりまでに育ってほしい「10の姿」”(以後「10の姿」)というのがある事を伺いまして、その話も後ほど、鉄平さんの方からお話していただきます。
 大関はるかさんは私の友人で、隣に住んでる生活仲間です。はるかさんは、今、Tくんという保育園に通うお子さんの子育て真っ最中で、京都市の、あの保育園の現場の実情「今、大変なんやで」っていうのを、すごくよく知っていて、肌身に感じてる人です。先日も京都市の方に、保育問題に関する「陳情書」というのを、連名で出されたりとか、そういう活動もされています。はるかさんにはアサダさんの「司会補佐」という役もお願いしています。

 本日、司会をお願いしていますのは、この企画のアドバイザーをしてくださったアサダワタルさんです。アサダさんには『ホカツと家族』という、保育問題に関する著書もある事から、今回の座談会の司会をお願いしました。よろしくお願いします。
 
 こういうメンバーでこれから座談会を行います。

立ち上がって話す吉野正哲
撮影:山見拓


アサダ アサダワタルと言います。元々、演奏したりとかしながら、音楽とか、いろんな文化の活動を通じて、地域に関わったりとか、福祉の現場に関わったりとか、色々やっている立場です。で、マイアミさんから、今回、「文化の運河」っていう、コンセプトを多分、1年半以上前ぐらいから、 ずっと聞いてたんですけど「松田道雄さん」っていう名前が出てきたのがすごい最近で、何人もいろんな人の名前が都度都度出てくるんです。この会場に色々本ありますけど、「最近この人の本読んでて」みたいな参考文献のコピーが送られてきて、「じゃあ僕も読んでみます」とか、本借りたりとかして、一部、僕もちょっとかすってた本とかがあって、「あ、読んだことあるかも」とかっていうやり取りの中で、たまたま京都芸術センターでこの企画をやることになったこともあり、松田道雄さんっていう名前が頻繁に上がるようになって、もうなんか「当然知ってるよね?」みたいな(笑)
 でも僕は、不勉強で知らなかったんですね、全然。知らなかったんだけども、さっきのマイアミ さんが言ってたみたいに、その教育実践記録っていう、さっきの、朗読発表会で読んでたりとかしてるものとか、「文化運動としての保育」っていう講演を、1960年代に松田道雄さんがされているっていうことを、 和田さんがお書きになった論文とか、僕も読ませてもらったりして、確かに、繋がるものもあるし、マイアミさんは、繋がらなさそうなものを、妄想の中でリミックスするってことをずっとやっている。 僕もその感覚「そことそこ、どういう掛け算でこんなことなんの?」みたいな、そういう状況はすごい好きなので、「それは面白いな」って、思ってました。

幼児期の終わりまでに育ってほしい「10の姿」


アサダ で、まずなんか最初に、さっき鉄平さんと話してた、最近文科省が言ってる「10の姿」って、それ、なんなんですか?1から10まで、どんな感じなんですか?鉄平さんに聞きたいです。ほとんど多くの方が知らないかもしんないし。

司会をするアサダワタル(右端)
撮影:蒼光舎

池添 先ほどご紹介いただいた、「たかつかさ保育園」っていうところで園長をしてます池添と申します。
 園長も8年目になるんですけど、それまでは、保育士をしてたり、フラフラしてた時期もあって、今は園長をやらせていただいてます。僕も子どもが3人いて、保育園に預けて、保育園でもお世話になったりしながら、子育てをしながらって事だからっていうところで、「10の姿」の話をします。
2018年に「保育所保育指針」っていうのが、改訂されたんです。「保育所保育指針」っていうのは、厚労省が作ってるやつなんですけど、 現在、子どもたちが最もよく生きるために保育をするんだっていうので、目的とか、色々あるんですけど、何歳児がどうとかっていうので、それを元に、保育を作っていくっていうのが、基本的なところなんですけど、良いこともいっぱい書いてあって、すごく素敵なこともあるんですけど、その、2018年の改定の時に、「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」っていうのが出されたんですね。
 「教育勅語みたい」って言われることもあるんですけど。「10の姿」で、自立心とか、共同性とか、色々あるんですけど、書いてあることは、 1つ1つは間違いではないと言いますか、当たり前のことで、「みんなと仲良くやっていきましょう」とか、そんなことが書いてあるんですけど、それは、別にいいんですけど、僕は、まず、その「育ってほしい姿」っていうこと自体に、すごく違和感があって、「国が、そんな子どもたちの育ってほしい姿に、いちいちケチつけるな」って思いますし、「どんな風に育ったっていいやん」って思うということと、保護者からすると「幼児期の終わりまでにこうなってなければならない」っていう風に、心配される方も少なくないかなと思ってますし。いろんな説明会があったんですけど、「それは、到達目標ではなくて、方向性や」みたいな言い方をするんですけど、言葉だけが1人歩きする部分もありますし、「こんな風に健全な子ども像に育ってほしい」っていうのよりも、子ども観というか、「子どもたちはこんな風だよね、こんな風に見守ってあげたいな」みたいな 広がりがあったらいいなというのは、また後半でお話できたらと思うんですけど。そういう、指針の言葉が出されて、それに違和感があって、もっとその子らしさを大切にして保育したいのに、なんかそういうことが 出されるのはいかがなものかっていうのは思ってて。和田さんもそういう文章を書いて頂いているので、ちょっと補足して頂けたら(笑)

池添鉄平
撮影:蒼光舎

アサダ それぞれなんとなく自己紹介踏まえながら、こうやってポンポン球を渡し合っていただけたら、だいぶ僕は楽できるので(笑)

和田 東京から来ました。立教大学で教員をしてる和田と言います。1回オンラインで打ち合わせしただけですけど、ほぼ初めてで、何を期待して、会場の人が来てくれたのかもわからない中で、嫌味じゃなくて、「やりにくいな」っていうのと同時に、「でもなんか面白いな」っていうのを思っていて。あと、ちょっと先ほど、なんか本の力があるなと思ったんですよ。「松田道雄が私好きなのよ」みたいなこともあったので、会場の方にですね、 松田道雄を、どんなふうに読んだのか、とか、どんな風に感じてるのかなって、聞きたいなと思ったんですけども、自己紹介を兼ねていうと、松田さんって、すごくいろんな顔がある人なので、 知識人でもあるし、もちろん小児科医で、元々最初は小児結核専門家ではあるんですけれども。高度成長の時代の中で、子どもの育ちの問題っていうことに、彼は向き合ってて、彼は戦後、小児科医になったんですけど、自由診療で、保険医ではなくてですね、国に縛られたくはないっていう自由診療の小児科で、しかも京都の街中なので、割合、都市新中間層って言うんですかね、あの当時の京大の先生とか高校の先生、今よりもずっとエリートだと思うんですが、そういうような、いわゆる都市新中間層って言われる人たちの子どもをよく松田さんは診てたので、高度成長が始まる初期の段階で、後で出てくるような母子密着の育児とか、地縁、血縁から切り離された都市の子育ての悩みの問題とか、早く気づくことが松田さんはできた。そして松田さんがすごいなと思うのは、 最初は都市新中間層のこと、母子密着の悩みに対して「お父さんが育児参加すればいい」みたいなところから最初始まるんです。でも、だんだんと、いや、それだけじゃもう危機は深まっていってですね、お父さんが子育てに参加して、「子どもを余裕を持って見守ろうね」っていう世界では済まなくなっていて。そういう中で、彼は自分の子どもを保育所に連れて行ったこともないし、松田さん自身も保育所出身じゃないんだけれども、「集団保育だ」と。高度成長の子育ての問題を解決する上で、子どもも友達がいなくて、密室の中で困っている。そういう中で、「保育所保育」っていうのに着目をしてですね、高度成長の時代に。保育士に専門性があるかないかと、今でもまだ議論されてるかもしれませんけど、高度成長の時は「託児」って言われてたりとか、単なる子どもの子守りみたいなね、そんな時期に、 保育っていう大事な仕事で、「幼児教育」とも彼は言うんですけど、保育は幼児教育であって、子どもを人格として育てる上で、やっぱり高度成長みたいに、家庭だけでは難しいと。これからは 集団保育だっていうことで、彼は保育の世界に入っていって、彼なりの集団保育論を作っていくっていうことがあります。それから、大阪の枚方市の香里団地っていう団地があって、そこで60年代に保育所作り運動が起きるんですけど、それにも松田さんは関わっています。何が言いたいかって『育児の百科』って割合ですね、専業主婦の人も読んだんだと思うんですけど、松田さんって、集団保育にもすごく関心があって、保育論もやってるので、『育児の百科』には、 同じ月齢の子どもで保育所で育った子どもの様子っていうのもそこによく描かれているんです。だから、専業主婦のお母さんたちも、自分の子育てと集団の中で育った子どもの様子と比較しながら、松田さんは意外と保育士には結構厳しいんですけど、子育てしてるお母さんと子どもには非常に優しくて、「こうあるべきだ」って言わないので、お母さんが変な劣等感を味わわないような工夫をしながらも、でもやっぱり、専業主婦向けの本なんだけれども、集団保育の様子がそこで書かれてる。これ、とっても面白いなって思っていて、それは多分、働く母と、専業主婦をつなぐっていうことでもあるし、家庭の保育も大事だから、家庭での保育と集団保育を繋ぐみたいな、そんな眼差しで、多分作られてる本じゃないかな。で、「10の姿」に強引に戻る(笑)そうですね、「10の姿」って、国の側が小学校入学前までにはこういうことができてなきゃいけないっていう、良いことも書いてあるように見えるのが、やっぱり国の側がですね、ある種の子ども像を明確にして提示するっていう意味では、ある種の子ども版期待される子ども像みたいな、ところはあってですね。 こうあるべきだっていう風な、メッセージになってると思うんですね。松田さんは、割合、子どもは子どもで、 そんなこと言ったって、子どもなりに育つんだ、さっきの「天分」っていう風にも多分、言ったと思うと同時に、松田さんはやっぱりある意味では「10の姿」は本当にやるんだったら、「もっと金出せ」と。「10の姿」は良いんだとすれば、「10の姿」をやっていながらそれを整備しない、 そこが問題なんだっていう、そういう議論の仕方を松田さんだったらするんじゃないかなっていう風に思います。
 それは彼が戦時中の結核医の時に、 やっぱり本当に結核を治すためには本当に医療費を増やしたり、戦争なんかせずに、国民の福祉を充実しなきゃいけないんだけれども、戦時中、戦争は遂行する、でも健康な兵士が欲しい、 だから、スローガンとして結核業務を語られることに対して、松田さんには忸怩たる思いがあった。彼はすごくそういう「スローガン」っていうものに対して警戒するところがあるし、スローガンを本当に実現するんだったらちゃんとやれよ、でもやれないでしょっていう、そういうような議論の仕方をすることがあり、なおかつ、やっぱりこう多分励まされるのは、とりあえずあり合わせの物でやりましょうみたいな、そういうメッセージが松田さんにはあって、 そういうのが松田さんの面白さであり、逆に言うと、松田さんって、矛盾だらけの人でもあって、いろんなメッセージ性があるので、 読み解くには難しい人だなと僕は思ってます。ちょっと、取り止めもなくなったので、とりあえず、こんなところで。

和田悠(左端)
撮影:蒼光舎

松田道雄著『育児の百科』


京都芸術センター「フリースペース」に設営された「松田道雄コーナー」
撮影:安河内宏法(KAC,CCC担当ディレクター〕

大関 あの、今日ね、ここで初めて松田道雄さんって名前聞いた人って、どのくらいいます?

アサダ あー、多いっすね。

大関 えっと、じゃあ、聞いたことがある人で、『育児の百科』で知ってるよ、っていう人は?そうじゃなくて、松田道雄を知っている人っていうのは、何をきっかけに知ってるか、ちょっと声を聞かせてもらえますか?

会場から 高田渡っていうフォークシンガーがいて。で彼が京都に住んでいた時に、確か写真集で『個人的理由』っていう本があるんですけど、その中に、松田道雄の診療所の写真が入っていてっていう感じです。

大関 たくさん読んだ方の本の著者だったかもしれないし。あとはどうですか。ここもやっぱり明倫小学校繋がり。

会場から 僕、マイアミさんの朗読ワークショップに参加してー

和田 伝道師みたいな感じだ(笑)ほんとありがたい。私の研究の裾野を広げてくれて(笑)

アサダ マイアミさんが話題にして知ったっていう。

大関 他の方誰かいます?『育児の百科』で手をあげた方は?やっぱり家にあったんですか?育児の百科。あ、お持ちだったんですね。はい。

会場から(吉野の母〕 もう、それ(『育児の百科』〕は日常的に読んでました。

アサダ なんかあったら引くみたいな。
 
会場から(吉野の母〕 もう困ったらすぐ。

吉野 僕の母です。

アサダ 買ったんですか?それとも贈られたとか。

会場から(吉野の母〕 多分自分で買ったと思います。

アサダ 結構高価だったんですよね。当時これ。
 
会場から(吉野の母〕 そんなに安いものではなかった。でも、困った時にこの本は助けになりました。

会場から(Kさん) 私も一緒で子供を育てる時、本当に都会の中の1人で、初めての子どもで、すごく泣く子だったんですね。泣いてばっかりで、どうしたらいいかわからないっていう感じで、松田さんの本を、なんか困ったら、泣いてる時はどうしたらいいんだろうかとか、熱が出たらどうしたらいいとか。仕事もしてたので、保育園に預けるっていう時にも、その保育園に預けるっていうのは、なんかその頃はあんまり、母親の義務をあのサボってるみたいなイメージが自分の中に刷り込まれている中で、松田さんは「集団保育というのはこんな素晴らしいんだよ」っていうことを言ってくれて、「あ、 保育園や!なんとかして保育園に入れよう!」って思って、子どもを預けたら、そこが素晴らしい保育園でした。そして保育園に入った時に、今の保育と比べて、私たちの行ってた時はすごく良かったなって思うんですね。親と保育士が一緒になって子どもたちを育てましょうって言って。その代わり、日曜日は親とか保育士さんが一緒に遊ぶ日や、焼き芋とか、なんかしましょうって言って、多分、休日を割いて来てくださってたと思うんですけど。

会場に並んで座る『育児の百科』で育児をした母たち
撮影:吉野正哲

アサダ うんうん、うんうん。

会場から(Kさん) 家からも距離がすごく近くて。最近、私の友人のお孫さんが保育士になってもう辞めちゃったんです。挫折して。その挫折していく様を見ていると、あ、 全然違う!って思って。何が違うかというと、その保育園だけだったのかもしれませんが、「保育の現場に親が入るな」って言って、 いかに、自分たちは効率的に子どもを捌いて、アレルギーの食の子供の対応とかなんとかってすごいんですけど、きちんとやってるけど、でも、私から見たら「さばいてるんじゃない?」って。親は入ってくるな、お帰りの荷物なんかも親にはさせない、保母さんがみんなする。だから、保母さん仕事いっぱいで、「そら、大変やな」って思うけど、だから、松田さんの理想が今も続いていたらよかったのになって。

アサダ なるほどなるほど、マイアミさんは、ちなみに、今のタイミングで松田道雄さんのことを知って、しょうまくん(吉野の息子)小学生だと思いますけど、もっと小さかった頃もあるし、まず、ザクっと、親として、どの辺に惹かれたってあるんですか?松田道雄さんの言ってる言葉に。「うわ、なんかこれめっちゃ救われるわ」とか、そういう感じがあったですか?

吉野  僕、親としてっていうより、今の時代的に松田さんの言葉がすごく良いなと思ったんですよ。今だったら「クソリプ」が付くような発言を、 理想と希望に満ちた日本国憲法みたいなことを言ってるなって。「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」という、 その崇高な理想と目的を達成しようとしてる感じのことを松田さんは書かれてるんですよね。大きな夢を語る人って、僕は好きで。キング牧師の「私には夢がある」とか。松田道雄さんは、僕にとって「私には夢がある」っていうタイプの人だなって、「夢があるな」って思って。そこがとてもいい。夢がある。

アサダ とにかく夢があるっていう、はい、今、その夢をもう1回、ここで。

吉野 そうですね、非常に真っ当な夢だと思うんですけど、世界平和とか。 真っ当な夢を、まっすぐに語ってくれる。意外とそういうものって読んだことがなかったんです。 当時は結構おられたのかわかんないですけど。

レッジョ・エミリアの幼児教育

アサダ ちょっと服部さんにもお話聞いてみたいと思うんですけど、松田道雄さんをテーマにした保育の座談会に、マイアミさんから登壇の依頼をもらって、服部さんのご研究とか、今までやってこられたことの感じからだと、どんな風に今回は受け止めていらっしゃいますか?

服部 お手紙頂いて、大事に端から端まで読んで、そしたら友人の野村誠さんから紹介されましたっていうキーワードがあって。私は京都で大学出たんですけど、最初に就職したのが岐阜大学だったので、3年だけいたんですけど、そこで野村誠さんと出会って、その間に芸術と保育であったりとか、レッジョ・エミリアっていうイタリアのすごく先進的な保育実践があると、多分2000年頃にニューヨークタイムズで紹介された保育があったんですけど、そのレッジョ・エミリアに行こうと思っていて、2001年か、2002年に行ったんですよね。松田道雄さんも、私自身、発達心理学とか、保育学の専攻だったので、松田さんの本っていうのは、大学の院生だった頃に知っていたりとか、 いくつも手紙に書かれてることが、私がずっと関心を持ってやってきたことが、すごい散りばめられて、すごく関連があったので、予定をなんとかしてでも行きたいと思ってたんです。でも、本当に、初めて会う方なので、1参加者として、皆さんに会いたいから参加するみたいな感じで来たんですけど。
 まず、レッジョ・エミリアに行った時に、愕然としたのが、 もう当時、2000年過ぎには既に、京都市の色々なその保育の制度が、厳しくなってきていた時期で。日本って、やっぱり保育士さんって走ってるんですよ。小走り。やっぱり人も足りないし、いろんなことが起こる。「シャカシャカシャカ」と歩いている。でも、幼稚園の先生って割とゆったり歩いてる感じがあって。で、レッジョ・エミリアに行った時に、保育士さんの配置とか、勤務時間がもう全然違ってたんですよね。日本って今でも1週間で40時間労働にするのが、もう懸命な感じ。まだまだ。でも、当時の2000年に行った時に、週に36時間労働で、そのうち6時間は子どもと直接接しない、明日の保育を計画するとか、教材を作るとか、専門家同士で話をするような、その時間にまる6時間当てられてる。今、日本はそういう子どもと直接接しない「ノーコンタクト会議」とかね、そういうのを作ろうって国は言ってるだけで、全然人も増やさないし、お金も出さなくて、絶対作れへんって思うんですけども、保育の条件が全然違っている。レッジョの保育が素晴らしいっていうのは確かにそうなんだけれど、私が印象に残ってるのは、 保育空間が全然違うというか、広々としていて、園に入ると、「ピアッツァ」っていう広場みたいな、すごい広いところに、子どもたちがそこで出会って、色々話ができる、交流の場みたいなのがあって。建物の作りも、中2階とかがあるんですね。たまたま私が行った時には子どもたちが寝そべって、なんかカタログみたいなのを見てて、日本のガンダムとかアニメのカタログをペラペラみながら「クリスマスになったらこれ欲しいな」って、全然子どもって変わらない。日本でも変わらないし。「すごい保育だ」って、「探求型」とか、「先駆的」って言われたけれども、このゆったりした空間とか時間、 その自由なところっていうのが、やっぱり今の日本では、なかなか確保ができない。レッジョ・エミリアの保育って、元々、共同保育所で始まってるんですよね。だから、本当に手弁当で、ちょっとずつその保育の空間を作っていく事から始まっていて。それは保育の原点で。さっき言って頂いたように、お迎えとかね、「ここまでにしてくれ、もうこっからは私たちが預かりますんで」みたいな感じで、保育の中にも入れられないような状況が、今、少なからずある。もう全部お任せ。サービスとして保育を受けるんじゃなくて、やっぱり保育者と保護者が対等に色々意見を出し合って。どうやったらいいのかと。そういうことが、その松田道雄さんの『育児の百科』の中に実は書かれてるんですよ。私は当然、こういう病気はこういう原因で、こうしたらいいっていうことが書いてあるだけだと思って、最初は大学生の時に読んだんですけど、かなりのページが、集団保育とか、親がどうしたらいいのか、 そして今の日本の保育の現状がすごく条件が厳しくて、改善しないと、もう保護者と保育者が敵同士になってしまう、みたいなことも書かれてて、びっくりしたんですよ。なんとなく私の中のお医者さんって、奥さんは家にずっといときなさい。で、子どもは母親が見るべきものという、固定観念の強い職種だと思っていたので、あ、お医者さんが、この集団保育をある意味、推奨している、家庭保育を補うんじゃなくて、家庭保育と集団保育っていうのを対等に、 どの子にも必要な経験として位置付けてるから、すごく新鮮なんですよ。それまでは、お母さんが働いてて面倒見れへんから、それを保育してもらう可哀想な子みたいな、そういうイメージが私も子どもの頃はあったんですよね。奈良の田舎で育ったんですけど、幼稚園に行く子は、 勉強する落ち着いた子たちで、保育園に行く子たちは、小さい頃から裸足で走り回ってて、なんとなく、やんちゃみたいな。すごく、保母さんと幼稚園の先生っていうのが、 田舎では格差がある。そういう事に、すごくモヤモヤしてた。なので、やっぱりレッジョ・エミリアにも行って、松田道雄さんの本を改めて読み直した時の、先進性というか、そういうところにすごく惹かれて。で、今回、こういう企画で、「え?芸術センターで、松田道雄さんのトークショーっていうか、話ですか?」

服部敬子
撮影:蒼光舎

アサダ トークショーやってましたけどね。めちゃくちゃトークショーやってた人おるけど(笑)

服部 5000年後のね(笑)

「トークショー」
こわい夢でも見てたのかもしれねえな。

 5000年経って、またこの明倫小学校に来てみた松田道雄だけど、 ずいぶん、様変わりしちゃったな。あの頃、あんだけ、なんで俺本書いたんだろう。これ、なんのために本書いてたのかな。もう、あの頃の俺のこと知ってるやつ誰もいねえや。いなくなっちゃったな。俺の理想としていた市民は現れなかったな。5000年経って、こうなったのか。

キーンコーンカーンコーン

懐かしい。芦田松太郎先生。僕の小学校5年生の時の担任の先生だ。ここは雨天体育場だったところだ。あの頃の僕はここを走り回った。
生きてるエネルギーだ。なんの偶然かもう1回命になってこんなとこにきてしまって、 なんでも喋れる、何でも歌える、なんでも学べる。なんでもできる命になっちゃった。

完璧じゃないですか。だけどね、このままじゃ何にもできやしねえ。僕はルソーが大好きだったんだ。ルソーは革命を信じていた。革命をルソーは信じていたのでよかったんですかね?ルソーは革命を信じていた。松田道雄だけど、 日常の革命を信じていた。市民の革命だよ。市民が国家と渡り合って、自分たちの権利を主張して、自分たちが求める社会と求める生き方をこの世界の中でどんどん実践していくっていう、そういう市民がたくさんたくさん増える、そういう未来を夢見て、信じて、たくさんの本を書きましたけどね。忘れられちゃったのかな。もう、僕の本はそんなに本屋では売られてないよ。

あれ。なんでここ、びっくりした。俺の本はほとんど全部あるじゃない。えー!?5000年経ってもこんなに読まれてんの?嘘でしょ?ってことは、この、ここにおられるこの皆さん「理想の市民像」とかを、もしかして心の中に抱えてる皆さんですか?それは期待しすぎか。そんなに都合よくいかないか。そりゃそうだ。僕はね、小児科医やめてから、ほとんど書斎に閉じこもってこの本を書いてましたね。

別にそうやって仲間たちとか、そんな感じの人たちがいたわけじゃないんですよ。ただね、こんな僕もね、 一時期はね、仲間と一緒に活動していた時期があった。あったあったあった。5000年前、 1960年代からね、1970年まで、そのぐらい10年間、私はね、関西保育問題研究会と会長をしてね、保育士さんたちと一緒に、市民運動のようにね、保育のこと考えようっていう、そういう運動をした。

これ、ほとんどの人知らないと思うけどね、実はそういうこと。そういう時代があって、京都の人はほとんど知らないんですよね。

いや、私、これ間違いなくこれは。これ、嘘じゃない。私、これ本当ですよ。この『新しい保育百科』その時の仲間たちと一緒に出した本です。記念すべき1冊の宝物です。そんなに売れなかったですが。私の気持ちはね、ほんと、この中に籠もってるんで、恥ずかしいぐらいだ。もうちょっとぐらいね、話はあるんですけど、でも、今日はこうやってね、なんと、企画をしたっていうことで、みんな集まってるっていうじゃないですか。こんなめでたいことはないです。ほんとに嬉しい。ありがとう。なのでね、この展覧会、さっき、主催者の男が、なんかね、最初から全然うまく説明できてませんでしたけど、まだまだあと3時間ぐらいありますからね。
 
この後は、また座談会がお待ちで。ちょっと長めになるかもわかんないけど、ちょっとこの辺で休憩っていうことで。はい、 この後は、座談会「保育と市民〜松田道雄を補助線に」というコーナー、 このイベント全体の締めくくりのコーナーになりますけれども、そういうコーナーを催させていただきたいと思っております。皆様、どうもありがとうございました。

イントロダクションとして行われた「トークショー」

京都市の保育事情

アサダ はるかさんは、今、お子さん現役で保育園通ってるんですか?

大関 通ってるんですが、多分ね、今の時代、相当珍しいと思うんですけど、 私の実感では、私と私の夫と、保育士で、 うちの子を育ててるっていう実感がすごい強くて。となると、現在のサービスを受けてると思ってる親からしたら、かなりやりにくい保育園。いろいろ言ってくるんですよ。この子どもの発達のために、 もっと早く寝かしてほしい。もっと早起きさせてほしい。朝ごはんはパンじゃなくてご飯にしないと、昼ご飯までこの活動量では持たへんから、ご飯にしてほしいと。夫婦喧嘩じゃないけど、この子どもを真ん中にして結構言ってくることが、 サービスとして利用してると思っている保護者にとって、重たいというか、うるさいというかで、しんどくなってくるっていうか。でも、私からしたら、めちゃくちゃありがたいなと思ってて。こんなあらゆることのプロに、もうこんな歳になって怒られることもないのに、もうちょっと早く寝かしてほしいみたいに言われるわけじゃないですか。そしたら、ありがたい相手だなとしか思わないんですけど、やっぱそこでしんどくなってくると「もうやめたい」とか、もうこんなに頑張ってんのにできてない、みたいな感じになったら、すごいもったいないなって思うんですよね。
 その子がどんな未来を作る人になるのか、どんな社会を作る人になるのかまで考えて、保育士が日々接してくれてるんですよね。そこまで考えてくれるんかっていう。今日が安全に過ごせたらいいって思うんだけど、もっと先を見て、 常に、保育士の中で話し合いをしてるっていうのがわかると、なんかありがたいなーって思うんだけど。

アサダ うんうん。保育士さんが、専門職として保育っていうものを、突き詰めてやっていて、しかも、親と一緒に、保育士と共同で子どもを見るっていう、そのあり方の保育園っていうの、はるかさん自身は、自らそれを数ある保育園の中から、選んだってことなんですかね?

大関 この中で保育園と繋がりがあるっていう人はどれくらいいますか?今じゃなくてもいいです。この10年ぐらいで保育園と繋がりがある人。

アサダ そうそう。それ、聞きたいですよね。

大関 知らない人もいるかもしれないので、うん。あの、京都市の話なんですけど、嘘みたいに、保育園によって違うんですよ。お隣の滋賀県に行ったら、みんな大体同じ給食を食べてる。

アサダ 滋賀県の保育園に通わせてました。その子は今、小学校4年生なんですけど、 大津だったんですけども、京都が全然バラバラやって話はその時聞いて…

はるか 滋賀で選ぶのと、京都で保育園選ぶのはだいぶ話が違って、見に行ったら、見に行っただけ、数があるというか、種類があるというか。で、その上、行きたいところに行けるわけではないんですよね。

アサダ そもそも、入れなかったりしますもんね。

大関 そうですね。希望を6位まで書くんです。で、そこに行けるか行けないかっていうのは、点数がつけられて、自分らが頼れる親がいるかいないかとか、 あるいは、自分の仕事が保育士だったり、看護師だったりしたら、ポイントが高くなるとか。
 いろんな、共働きの具合ですよね、何時間働いてるかとか、そういうのに点数が付けられて、役所に、あなたの子供は第3希望に行ってくださいとか、場合によっては第6希望に行ってくださいっていうことが起きるんですね。だから、 めっちゃ教育熱心な保育園みたいなのも今あるんです。もう早いうちに英語教育だの、字を書かせるだのっていうのもあれば、うちの保育園なんかは、とにかく字は、小学校に入るまで、なるべく触れさせないでほしいみたいな要望をしてくるくらい。ほんとに両極端な園が存在してるんですよ。

アサダ だから、その場合の教育熱心の「教育」って何を言ってるかっていうことですよね。今の話はね。

大関 そうそうそう本当に。うちの保育園やったらドロンコで、とにかく五感を大事に、みたいな。それが1番大事やから、それが、言ったら教育とも言えるかもしれない。そういうスタイル?でも、一方で、お利口に、机の上で何かしようっていうのもあるだろうし。その幅もあれば、入れるか入れないか問題もあって、そうすると、「マッチングされない悲劇」みたいなのがあるんですよね。うちの園なんて 全然入ってくる人がいないから、知られてないから。

アサダ そうなんだ。

大関 第6位希望で入ってくる人がいっぱいいるわけ。そうすると、親は悲劇じゃん。

アサダ 確かに、親にとってみたら、最初からやる気ないみたいな。「どうせ、第6希望だしな」みたいな感じの。

大関 早く、他の園に移動したいから、そのための、1年か2年、ここで我慢するためっていう風にしてたら、もう悲劇ですよ。

「ソーシャリー・エンゲージド・アート」と「レッジョ・エミリア」と「文化運動としての保育」

アサダ なるほど、そっかそっか。ちなみに、京都市の保育園の事情とか、はるかさんの、親としての立場の話とか、服部さんが、 松田道雄さんの「まさか小児科医がこんなこと書いてるなんて」みたいな話もあったんですけど、マイアミさんが言っていた、文化の運河みたいな、その河の流れの中に、松田さんが入ってきたっていうところの、さっきおっしゃってた「文化運動としての保育」ですか?言葉だけ聞くと、なんか、 ワクワクする感じがすごくあって、その言葉って、マイアミさんの中では、どんなふうに、「うわ、なんか、すげえ」っていうか、和田さんの文章とか読んで「文化運動としての保育」って、こんなことが起こってんじゃないか?みたいな事と、一方でそれを専門にして、色々と論文も書いてらっしゃる和田さんと、お2人の「文化運動としての保育」みたいなことの話をすると、なんとなくこう、全体のことと繋がってくるかなっていう気が するんですけど。マイアミさんは「文化運動としての保育」っていう言葉を、受け取った時に、どの辺がこう、「バチバチバチ」ってなったんですかね?

マイアミ  言葉的にかっこよくて「それってレッジョ・エミリアじゃん」みたいな感じやったんですよ。

アサダ なるほど、これね。(展示してある本を持ってくる)

マイアミ 僕、この催しをアートプロジェクトと思いながらやってるんですね。で、その、昨日もお話しさせていただいたんですけど、あちらにおられる、はがみちこさんが、僕が、以前トークの場を含むイベントの企画をやった時に、その感想として話しかけてくれて、その時の話で、「ソーシャリー・エンゲージド・アート(以下SEA)っていうジャンルがあって、社会に深く関与するアートっていう、そういうジャンルが世界的に大きな潮流になっていて、 それって、頭文字をとるとSEAだから、海なんですよね」って言っていて、それでSEAに興味が湧いて『ソーシャリー・エンゲージド・アート入門』っていう本を読んだら、そこにレッジョ・エミリアのことが書いてあって、 SEAを行うものは、レッジョ・エミリアでの実践を参照すると、めっちゃ参考になるぜって、めっちゃ勉強になるぜって書いてあって、そうなんやーと思って。 だからSEAとレッジョ・エミリアは僕の中で同じようなものって事に、その時からなったんですよ。

アサダ (『ソーシャリー・エンゲージド・アート入門』を朗読する)


「レッジョ・エミリア方式の授業は、自発性、創造性、共同性を重視し、 子どもたちはその日の主な活動を決定する役割を担っている。レッジョ・エミリアの教育者にとって、参加とは均質性を作り出すものではない。活力を生み出すものである。レッジョ・エミリアでの活動は、視覚的なもの、パフォーマンス的なものが中心にあり、 ワークショップの先生はそのグループの関心事に注意を払うと同時に、それらの関心事や活動をカリキュラムに組み込む役割を担う。このように、それぞれのグループの学びの体験は異なり、それは知識を共に作り上げるプロセスとして機能し、保護者とのコラボレーションや子どもたちの学習体験のドキュメンテーションも、レッジョ・エミリア方式の重要な要素。」

(『ソーシャリー・エンゲージド・アート入門』フィルムアート社より抜粋)

アサダ この辺ですか?

マイアミ この辺です。ここにある「ドキュメンテーション」ていう言葉の意味って、ちょっと僕わかんなかったんですけど、大切なのかなって、思ったんです。かっこいい言葉だったから。僕の中でSEAとレッジョ・エミリアが結びついた時に知った松田道雄の「文化運動としての保育」っていう言葉は非常に、SEA的なワードだったんですよ。 めっちゃSEAやなって思って。それで、保育を文化運動として行うって、レッジョ・エミリアみたいやし、それってSEAなんじゃないの?っていうことを思ったんですね。だからこのイベント、僕、SEAだと思っていて、だとすると、保育の問題を京都芸術センターで取り上げるのも、それほどおかしなことじゃないなって。だから、やってみようって、そういう発想なんです。

アサダ ちなみに和田さんは、レッジョ・エミリアでの活動についてご存知でしたか?

和田 そんなにちゃんとは知らない。ただ、今の話でいくと、 自発性、創造性、共同性って言った時に、松田の思想のキーワードとも言えるし、創造って言葉は、松田さんにとって、とても大事で、 創造的な人間であるっていうのは、松田さんにとって決定的に重要なことであったっていうことと「ソーシャル」って事例はね、松田さんなりに、例えば保育でも、保育士が目の前の子どもだけ見るんじゃなくて、「巨視的な」っていうのは松田ワードで、 それはやっぱりソーシャルの中に保育があるってことを忘れちゃいけないって言ったらいいのかな。保育って営みを、絶えず社会との関係で、考えるところがあると思うんですよね。ちょっと戻ると、 共同保育の話をされたと思うんですが、松田さんは理想的な保育園として「北田辺保育園」と斎藤公子の「さくらさくらんぼ保育園」を挙げてた。だからね、大関さんからメールをもらったので、服部さん、池添さんに「さくらさくらんぼ保育園」の評価とか、それも聞きたいなって思ったり。レッジョ・エミリアも変に神格化されて受け取られる危険性もあると思ったりも、さっき聞いていて思ったんですけども、少し、その共同保育っていう点では、松田さんは共同保育のこと、とても評価もしているし、子どもを真ん中に、親と保育士が手を繋ぐって、マイアミ さんが言うような、アナーキズムに対する関心ていうことと、共同保育に関心を持つって、松田さんの中では繋がっていることだったんじゃないかなっていう風に、思うんですよね。 もう少しこう言うと、この場でなくても、後でもいいんですけど「サービス」って言葉が大関さんから出てきたと思うし、やはり、松田さんにとって、「人格」って決定的に重要で。

アサダ 人格?

和田 「人格を育てる」と。 保育って、子どもを人格として育てる事だって言うし、でもサービスって言葉が今、出てきてるわけじゃないですか。保育って営みが「託児」じゃなくて、「人格を育てる幼児教育」じゃなきゃいけないって、松田さんの必死の訴えだったのが、もう1度、新自由主義って言われてるような時代の中で、 保育の水準とか質が切り下げられていくってことと、おそらく共同で子どもを育てる事の共同性が、変質してるんじゃないかなっていう風に思ったりもするので、ちょっとその辺あたり、京都の現状も含めて、聞きたいなって思いました。で、1点だけ。マイアミさんの誤読って結構大事なことで、テキストを色々想像して繋げて読むってのはとても大事で、今日、マイアミ さんの「松田愛」にむしろ 触発されて、僕は松田を論じると、どうしても対象として「限界」とか「制約」って言いたくなる中で、 松田愛に溢れてる人と接しているので、松田に対する愛を取り戻してるところですけど(笑)一点だけ、文化って言葉は、多分、時代的に言うと、今だったら松田は「市民」って言葉を使うと思う。「市民運動としての保育」って言い方をしたんじゃないか。当時は今と違って60年代前半って、やっぱり市民運動ってまだメジャーでもない。「市民」って言葉自体に否定的な考えをとるような事を、まだ60年代前半はしていたと思うし、市民運動自体、まだ社会にとって新しい言葉であって、「市民」いう言葉を警戒していた。逆に文化って言葉はポジティブ。今だと文化って、高踏的なというか、ちょっとお高い感じがしますけど、戦後「日本も平和と文化国家を目指す」なんて言われたように、文化って言葉にある意味合いが込められていたと思うんですね。だからやっぱり、文化運動って言葉を60年代の前半は選択をしたと思うんですが、今だったら「市民」って言うんじゃないかなと思うし、それは池添さんが子どもを「市民」として育てるってこととも通じてくるじゃないかなと思いながら。ちょっと色々喋りました。

アサダ なるほどなるほど、そうですよね。文化って言葉もすごい意味広いので。でも、その文化っていう言葉の色々時代を超えた「響き」みたいなものを、エッセンスを、マイアミさんは受け取りながら、いろんなものをつないで、レッジョ・エミリアだったりとか、さっき親鸞の話も出ましたけど。色々こう、繋がってしまって、今日この場が成立している感じですよね。

和田 だから「文化運動として保育」ってつけた松田さんのセンスはすごくて、保育運動に関わった人でもあると思うんですけども、岩波だとか朝日とか、マスコミでも発信する人だったから、やっぱりある種、印象管理というか、自分をどう見られてるか非常に意識もしていたし、ちょっと際どい言葉を使うんですよね。どきつい言葉を。敢えて。それは狙ってる。「文化運動としての保育」って言葉が持ってる、当時でも多分違和感なり、それは多分、狙っていたんじゃないか。で、「文化運動としての保育」ってタイトルだったから、多分このシンポジウムも成立したんじゃないか。

アサダ 「言葉の力」みたいなものが、意味が正しいかどうか超えて。

和田 うん、そうですね。

京都市の保育問題のガラパゴス化

アサダ ですよね。どうですか、鉄平さん。今の話とか伺ってて、現場で色々、実践されてて。

池添 本当にいろんな保育園がある京都市やなっていう風にも思います。共同保育、40年前に保育園が出来始めて、その保育者のパワーっていうか、今から作るぞー!って、保護者の方も一緒になって、そういうエネルギーがすごくあったと思います。
 今も、全くないわけではないんですけど。それはやっぱりこう、社会背景も含めて、まあ「サービス」っていうと、「お客様」になったり。保育所ももちろんそうじゃなくて、巻き込みながら一緒にやっていきたいと思うんやけれども、そこのギャップがいろんなところに出てくるというか、 で、今、「不適切保育」っていう言葉があるじゃないですか。去年、子どもたちに虐待のようなことをしてっていうので、もちろんそれは許されることではないんですけど、やっぱりその前に、保護者と保育園、保育者がいろんなことを話したり、保護者も「どうなってんの?」って言ったり、 保育者もオープンにして見せたりすることがあれば、そういうことはなかったのかなとか、ちょっと想像したりはするんですけど。やっぱりその土台が、保護者との対話というか、そういうことが減ってきているっていうのは、やっぱりあるのかなと思いますし。うちでは「保護者会」というのもありますし、保護者会は敬遠されるところも少なくないし。一応、僕は保護者の方が見学に来たら、「うちは保護者会があります」って言って、 園のことを園だけじゃなくて、保護者の方とも色々お話したり、ご意見を伺ったりして、作っていきたいんやっていうことは、説明をしたりするんですけど。なので、うちは巻き込みながら、できるだけやろうとは思いますけど。白ご飯食べて来いとまでは、そこまで言えてないですけど(笑)僕も、「子育てのパートナー」やと思いますし、応援団やと思いますし、保育園っていうのは、そういうものでありたいなっていうのが1つあります。もう1個、去年の8月の京都新聞に、京都市の子育て世帯、京都市の人口流出が日本一やって言うのが、出たんですけど。

アサダ え!?そうなんや…

池添 子育て世帯もどんどん出ていく。住みにくい。で、それはやっぱり京都市政の1つの結果やと思いますね、で、去年に、 財政赤字やっていうので、さっきも、最初の話にあった、保育園の補助金を13億円減らすっていう話になって、1年経ったら、お金はそんなに財政赤字じゃありませんって言われてるんですけど(笑)

アサダ 何やってんて話(笑)

池添 で、言われたように、京都市の保育園って、ほんとに色々あるんですね。どこでもそうなのかもしれないですけど、若い人ばっかりいはる園もあれば、否定するわけじゃないですよ。ベテランもいれば、若い人もいたりとか、いろんなカラーがあって、それはそれで良いとは思うんですけど、保護者の方からしたら、選びにくかったり、思うところに行けなかったり、ミスマッチがあったりっていうのはあるとは思うんですけど。なので、13億円減らされても、ダメージのあり方が色々なんです。 うちは、割とベテランの方もいらっしゃるし、人件費率がめっちゃ高いんです。だからすごく影響を受けてしんどいんですけど、あんまり影響受けてないところもあるし。うん、それはそれで運動のしにくさというか、声の上げにくさもあったりします。で、京都市は今、その正規職員は 今までそんなルールがなかったんですけど、急に作ったんですね。正規職員は80パーセント、非常勤は20パーセント、 休職の先生が3人いたら3人のうち1人は非常勤でやるとか、11年目までの昇給財源は示すけれども、それ以降は示さないとか、色々ルールが決まってきて。 
 コロナの時でも思ったんですけど、「エッセンシャルワーカー」とかいろんなことがあって、保育所は閉めなかったんですね。それはそれでいいと思うんですよ。で、やっぱり保育園っていうところが、社会の中で「要石」(かなめいし)いう言葉もありますけど、生活の基盤としてあって、そういう大事なものやっていうのがコロナである程度、学べたのかなと思うんですけど、それを教訓とせずに、保育所を減らしたり、処遇を減らしたりする。やっぱり保育園とか、保育士さんっていうのは財産やと思うんです。市民の財産。保育士さんの処遇をあげろっていうだけじゃなくて、保育士さんが続けられることで、地域の保育力もアップすると思うし、信頼関係も生まれてくるし。そういう財産を育てるって意味で、保育所にそういうお金はあるべきやと思います。国のレベルにしても、服部さんもさっきおっしゃってましたけど、保育所の配置基準ってあるんですね。0歳やったら3人の赤ちゃんに対して1人の先生とか。で、4、5歳児は30人の子供に対して1人なんですよね。これって75年変わってないんですよ。諸外国と比べたらもっとね。15人に1人とか、8人に1人とか。ヨーロッパの方とかは、もっと豊かなレベルがあるんですけど、それをやっと変えるって言い始めたぐらいで(笑)75年って(笑)そんだけ歴史が変わって、社会情勢も変わってんのに、どんな事やねんてって思うんですけど。そんな背景がある中での、保育園のいろんなカラーがあって、保護者との、僕は、そういうミスマッチをなくしたり、やっぱり対話をもっと増やしていって、話す場があることが、大切やなって思うんですけど。なかなか、そうなりにくい。保護者の人も、いろんな方がいる。サービスだけを受けに来たっていう人もいるやろうし、うーん、色々あるのはいいのかもしれないけれども、子どもにしたらどうだろうって思うところもあるし。そういう、バリエーションに富んだ時代ではあるなっていうのが、ひとまず。

アサダ 今日、この場自体も、話す場っていうか、話して、皆さん、一緒にっていう感じですけど。 さっき、運動っておっしゃいましたけど、運動のしにくさとかもおっしゃいましたけど、先ほどの、文化運動としてのの「文化」をどう捉えるかもありますけど、 なんて言うんすかね、「親」「保育士」だったりとか、広く「市民」みたいなところで、「語りの場」を設けている感じなんですかね?要は、そういう風な不満があったりとか、鉄平さんに限らず、保育園の活動の一環とは言えないかもしれないですけども、個人的な立場も含めて、市民として、いろんな京都市の中での不満をちゃんと言葉にしていこうよ、みたいな感じが、それこそ保問研って言われる団体だったりとか、いろんな形があると思うんですけど、定期的に、色んな人たちが混じり合って「喋る場」っていうのを継続してる感じなんですか?

池添 いろんな団体があって、保問研も、僕も在籍していますが、あんまり、行けてないですけど…

アサダ 保問研っていうのが、松田道雄さんが以前、会長されていた「関西保育問題研究会」?

池添 それは、研究会なんで。保育のこと色々お話したり、服部さんが講師をしたりしてるんですけど。保育運動の連絡会みたいなのもあって、それはそれで参加していて。学習会をしたり、署名を集めたり、パレードをしたり、 陳情書を持っていったりとか、去年は去年で、京都市の状況がすごくごろっと変わったので、いろんな保護者の方も声をあげてくださって。さっき言った「保育は社会の要石」って、保護者の方がそれを訴えてくれはったのは、すごい心強かったですし。そういう集会も催されてましたし、っていうのが運動としてはあるんですけど、一部です。メジャーではない。

アサダ なるほどなるほど。

大関 知らない人が多いですよね。

アサダ それはやっぱり、「こういうことやってるよ」みたいなことを言っても、なかなか響かない人が多いって感じなんですか?本当に情報自体、全く知られてないみたいなことなんですか?

大関 年間13億円、京都市が保育園に渡してたのをカットって言われた時に、何のことかがまずよくわからないしー

アサダ そのことの意味が、まずわからないと。うん。

大関 保護者としては、「保育料あげますよ」って言われたら、意味がわかるじゃないですか。「え~?それ嫌だ」って。

アサダ 「受益者負担」みたいな感じになりますもんね。

大関 分かりやすいから、いいじゃないですか。「じゃあ、わかったよ」って。でも、その代わりに、市から園に渡した13億円をカットって言われた時に、なんかピンとこないんですよね。で、それは京都市が珍しいのかわかんないけど「プール制」っていって、 それぞれの園で、決めていい。例えば、さっきみたいに、5歳の子で1人で30人見るなんて無理ですよ、人間。だって、誰かが喧嘩するかもしれん、誰かがおしっこするかもしれん、なんかがあった時に、1人で見れるわけがないから、ちょっと人手が必要な、 お散歩行きましょうとか、 なんか食べる時とかには、ベテランの元保育士さんとかに来てもらう、そういう、アルバイト代にそれを使おうっていう風に、園が判断したりとか、なんか壊れちゃった時の改修工事に充てようとか、園庭をもっと充実させるために、なんか作ろうっていう事を決めていいのよ、園が。それはまあさ、いいじゃない。そのシステムは園によって違うから。

アサダ うん。独自性がね、それぞれ出るから、それはまあいいとして。

大関 うん。で、それがカットって言われた時に、さっきみたいに、うちの園では人件費がいきなり「まずいぞ、これは」ってなったりとか、「え、来年改修しようと思ったのに、どうしよう」とか、なんかそれぞれの園で、違うことで悲鳴を上げてる感じになってる。 その上、さっき言ったみたいに、若い先生ばっかり集めてる園は、別に13億円カットだと思ってもあんまり響かない。大丈夫。11年間は昇給するから。でも、11年目に、みんな辞めるってことが想定されてるかのような、システムになってたりとか。調べ始めたり、聞き始めたら理解できるんだけど、 ニュースで「13億円カット」って言われただけでは、なんかピンとこないっていう感じ。

アサダ うん、うん、うんうん。

大関 それが、例えばうちの園だったら「早迎えお願いします」 そういうふうに言われたら、打撃を受ける人っていうのがいるわけよ。

アサダ めちゃくちゃいますね。それは、うん(笑)。

大関 だって、「神戸まで毎日2時間かけて通ってて、早迎えなんて無理ですから」みたいな。で、そうすると、それが、きついじゃないですか。

アサダ うん、時短勤務するしかないですもんね。

大関 その人にとっては、一大事だけど、うちは「早迎えお願いします」って言われたら、 一緒に住んでる人たちが多いので、誰かに協力してもらいます、みたいなコミュニティーで子どもを育ててるから、なんとか対応できちゃう。でも、もっと、それこそ、密室で子育てしている人たちにとっては、本当にしんどい感じになる。
 で、「みんなで声をあげようよ」って言って、実際私も、13億円カットってなった時に、同じ保育園のお母さんたちとは、コロナで全然、本音で話せる関係になれてなかったので、元々のママ友と、今日も来てるおりえちゃん、たかつかさ保育園のママだけど、話しやすい保護者で会って、話し合ったんです。でも、園がいくつもあるから、状況が違いすぎて。なんとか共通項から文章を書くみたいな。

アサダ うん、うん、うんうん。

大関 それが精一杯という。

アサダ それがさっき言ってた陳情書に繋がっていくんですか?

大関 結局、言えることと言えば、「保育士の給料をあげてください」とか、「保育園に下りるお金を下げないで」とか、それぐらいしか共通項がないんですよね。それが、運動のしにくさっていうか、 ともに声を上げにくいというか。その、共通項だけでやるしかないよね。

保育を通して市民になる

アサダ マイアミさん、なんかないですか?

吉野 登壇者間のグループメールで服部さんに紹介していただいたpdfにも、「保育を通して、だんだんと市民になっていく」って書いてあった、その過程を、はるかちゃんも、今、 歩まれてるのかなと。その、市民になることの難しさ。松田さんっていうのは、すごく市民っていう言葉を、めっちゃ使う人で、僕の中で、「市民の人」なんですけど、それまで僕は民衆派で、民衆の人だったんですよ。まあ、憧れとして、民衆の方が好きで。

アサダ 市民より、民衆。

吉野 市民って、魅力が自分の中であんまりない言葉だったんですけど。松田さんはもう市民推しなんですよね。もうゴリゴリゴリと民衆のかけらもないようなところがあって。

アサダ あの辺、民衆コーナーですよね。民衆って言葉がやたら出てきた。

吉野 そうそう、もう「民衆あるのみ」みたいな。でも、松田さんは「市民あるのみ」なんですよ。市民とは何かって言った時に、松田さんは『市民』っていう雑誌の、創刊号2回、あの隔月と月刊とであるんですけど、どっちも巻頭論文を書いている。『市民』って雑誌って、何の雑誌か?って言ったら“市民運動の全国ネットワークのための雑誌”で、今、全国的にどういう市民運動が行われてるかっていうネットワークの場で、市民運動の困難さと、今行われてる市民運動の実践と方法の、共有の場、オープンシェアの場みたいになってたわけなんですけど。松田さんの言う市民っていうのは、市民運動を担う、主体なんですよね。市民運動の主体こそが、松田さんにとって市民であるんです。だから保育ってものを通して、人が市民になっていくっていうのが、松田さんの、ビジョンでもあり、ってことだったと思うんですね。

アサダ 「市民になっていく」

吉野 なっていく。人は、保育を通して、市民になっていくっていう、正に、今、行ってるこういうことで。同時に「市民不足」みたいなのがあって、「市役所はあるけど、市民がいないみたい」みたいな。保育を通して、市民になる機会に、市民になり損ねているということなんじゃないか。

アサダ 京都市民はいるけど、市民はいない。

吉野 そうそう、京都市役所はあるんだけど。

アサダ 戸籍上は京都市民だけど、市民はいない。

吉野 そうそう。松田さん的な意味では。そんな感じなのかな。

アサダ 和田さん、こういったことを通じて、今の社会を、また編み直す可能性みたいなことを、メールでやり取りしてましたけども、そんなこととかも。

和田 服部さんが、保育に関わる中で市民になるっていうのは、僕自身も松田道雄は研究はしてたんですけど、その時は東京都だったんですが、自分自身も共同保育所から出発した、認証保育所に子どもを預けて、そこは0歳児保育からやってて。でも、すごくお金が高かったので、公立の0歳児クラスに4月から移って、子どもだから、生まれて6カ月とかで、そん時に、 共同保育所で、小さなとこで、バザーとかやったんですよ。共同保育所でお金がないので。今、100円ショップに負けそうだけど、それでも、バザーをやる。みんなでいろんなもの出し合いながら、でも、バザーが終わった後に、地元の居酒屋で バザーの実行委員会の打ち上げをやるわけですよね。大体、そこだと、馴れ初めの話とか、それは本当に面白くて、地元で飲むことあんまりなくて、それまで、職場の近くで飲むとかね。だけど、地元で、地元の人と子どもの話題で、子どものことや保育のことや、夫婦の事を話す。このコミューンな感覚っていうのは、保育の一つの多分、醍醐味だし、市役所があって、市民がいないのと、同じように、保育所にただ預けてるだけでは味わえない。この共同性みたいなのを、どう味わえるかってことだと思うし、僕自身も、そんな保護者会とか、最初「めんどくさいな」と思うんですけれども(笑)でも、やっぱり人と人とが関わるって基本なんだと思うんですけど、それはやっぱ面白いですよね、めんどくさくてもね。 松田さんが医者でも、なんで保育のこと言ったかっていうと、人と人とが共に生きるってどういうことなのかっていうのが、やっぱり松田さんの中にあったと思うんですね。だから、高度成長、不安でしょうがなかった。びっくりするわけですね。新しい社会が出てきて、「どうやって人は育っていくんだろう」みたいな。
人と人とが育つってことは、多分、保育のキーワードだと思う。で、ちょっと今、政治の話になってくるんですけど、共同保育所とか、いろいろと頑張る中で、やっぱり決定的にお金とか設備とか結構重要で、要はやっぱお金、決定的に重要ですよ、なんやかんや言いながら。だから、より良い保育をするためには、より良い保母が必要なのかもしれないけど、でも、それだけでは全然、精神論になっちゃって、やっぱりちゃんと政治金出せよって話になるんですよ。だから、保育に関わりながらやっていくと市民が育つんだけど、それは別の言い方をすると、 政治に関心を持つ人々を作り出すことに結果的にはなってくんだっていう風に思うんですよね。それを基本的には、松田さんはやっぱ旧制中学、旧制高校で、帝大なので、エリートなので、僕からすると、もうすでに市民として出来上がってる人で「君たち市民になりたまえ」みたいな、そういうところが、松田さんにはあって。松田さんって割合、断定的なものの言い方を好むところがあって、その世代の知識人ですよね。僕、学生に「諸君」って言えませんけど、松田道雄は「諸君」って言えるような世代なんですよね。 で、やっぱ市民の価値っていうことを基本的には持ってるし、これが市民の価値なんです、っていうふうに、変な話だけど市民の価値を押し付けるみたいなとこ、僕、松田さんに感じるところがあって、「10の姿」とは違うんだけれども、ある種の市民らしさみたいなものを。でも一方で、そう言いながらも、松田さんが活躍していた時代の人々は、民衆はですね、保育に関わりながら市民になろうとしていた。
 そんなことがあるんじゃないかなっていう風に思うんですね。だから僕も保育がなければ市民になれなかったので、逆に言うと、子どもを保育所に預けて、いろんな地域活動もその後やるんですけど、やっぱり 保育に育ててもらった、保育っていう営みに育ててもらったって感じがするし、そこで市民であるってことに気づいた時に初めて松田さんの価値にも改めて気づけるみたいなところが僕なんかはあるかなっていう風に思います。まとまったかな(笑)。

第二部

WE意識〜共に作り上げていくための“わたしたち” 

アサダ 今日、ここに京都市内の方ってどのくらいおられるんですか?ま、多いですけど、でも、そうじゃない方も、いますね。それで、保育園に何かしらお子さんがいたりとか、いなかったとしても、関わってる方もおられるかもしれない。
 さっきの話は、京都市内の保育園のあり方ってのは、全国的にも、珍しいことなのか、全国的にそうなのか、京都市内の保育園のあり方、特徴あるのかとか、その辺りを伺いながら、また別の話も混ざっていけたらな、思うんですけど、ちょっとそこ服部さんに、伺ってもよろしいですか?

服部 京都市の保育園は、すごく幅広い感じで、なんでそんな多様なのかっていうと、やっぱり、京都市は、公立保育所っていうのが、超少ないというか、もう多分、20年ぐらい前から9割以上が民間、つまり、それぞれの私立の園で、公立保育所が本当に1割もないっていうのも、今はどんどん公立が民営化されていって、数園しか京都市にないんですよね。それなので、いろんな多様性があるっていうっていうのは、プラスの面でもあるんですけど、 先ほど言われたように、園によって、しんどいところとか、こう、改善してほしいところが色々なので、保育者同士が一致して、 改善運動していくっていうところの、難しさ、連帯を妨げられるところっていうのがやっぱりある。保育者間にもそれはあると思うんですけど。じゃあ、どういう、保育がいいのかっていうので、先ほど(朗読発表会のテキストの中で)松田道雄さんが紹介してた「北田辺保育園」だったり「さくらさくらんぼ保育園」という、全国的にも有名な保育の系列を引くような園もあるのですけど、じゃあそういう園がずっと最善であり続けるかというと、やっぱり絶対そうではなくて、例えばさくらさくらんぼ保育園とか、カリスマ的な保育者がおられて、そこの保育は「全面発達」っていう、子どもたちの全てのいろんな面、人格を発達させていくと。感覚、五感をこう豊かにしていこう、そういう理念があるんですけど、そういうのも一部だけ取り入れて、リズム運動を繰り返しさせればいいのだ、みたいな風に矮小化されてしまうと、 それが「教条的」というか、「こうあらねばならぬ」になってしまう。それが1番危険で、そうすると、本来、子どもたちの、全面発達は、すごく良い理念だったのに、それが一部だけ取り入れられて、そして「これが最高の保育だ」みたいなふうに言って、それで一律でやろうとすると、それは結局「10の姿」みたいに、子供はこういう風にならなければならないみたいな形で、子どもも親も苦しくなっちゃうと思うんですね。で、先ほどレッジョ・エミリアとか、松田道雄さんって、やっぱり子どもとか、保育者同士とか保護者と「共に作り上げていく」っていうキーワードがさっきあったんですよね。「共に作り上げていく」。
 作り上げていくんやったら運動を変えていかないといけないんですね。やっぱりこう、いろんな、大変さとか、保育士が少なくなったとか、保育って今どうなのかっていう風に、 その時代時代で、やっぱり目の前の子供の姿って、時代によって若干、家庭の状況とか、特にコロナとかもあると変わってくるので、その時その時で、「私たちのやりたい保育はどういう保育か」っていうことが、話し合えてるっていうことが多分、絶対大事で。だから、どんなに素敵な理念であっても、それが「こうあるべし」っていう風に伝わった瞬間に、そこの保育園はすごく息苦しいものになっちゃう。だから、それが多分「運動」だと思うんですよ。
 変わり続けていくっていう事が。やっぱり、保護者同士の活動で、 例えば、うち子ども3人お世話になった園とかだと、子ども同士のトラブルで怪我させちゃうとか、噛みついちゃうとか、噛みつくって保育園利用してない人から聞くと、何や!?思われそうやけど(笑)子ども同士が物取り合ったり、何かちょっとトラブルでガブっと噛んじゃったり、髪の毛引っ張ったり、怪我させちゃった時に、これまでは、とにかく、その子ども同士がやったことで、その場にいたのは保育者なわけだから、保育の責任として、その子どもの責任を問わないっていう方針をずっと貫いてこられたんですね。でも、今だと、誰がやったかっていうのをはっきり親に伝え合って、「謝ってってください」みたいな園も少なくない。
 ちょうど、うちの園は、子どもの親に「誰々ちゃんが噛みました」とか、「誰に噛まれました」っていうことを伏せておいて、 状況を丁寧に説明をして、保育者が謝る。こういう状況でこういう風に防げなかったのは保育所の責任、っていうふうに、親同士、謝らせるみたいなのはしてこなかったんですね。 だけど、私たちの保護者の代で、やっぱり噛んだ子が誰か知りたい。で、謝りたいっていう親もやっぱり増えてきてたんですよね。それをどうするかっていうので、保護者と保育士さんたちが、本当に色々、アンケートとかもしながら、議論をした結果として、必要に応じてというか、全部を全部言ってると、1日に何回も、噛んじゃう子ってやっぱりたまにいるので、もうそうすると、その親が、保育園これなくなっちゃうじゃないですか、だから必要に応じてっていう風に、ルールを変えていったんですよね。だから、そういうことも含め、保護者と、保育者が今の保育のやり方を、ちょっとずつ、その時の、それぞれの子どもとか、親の要求に合わせて変えていくっていう、それが「運動」なんだっていうのは、私は、その時に学んだんですね。

アサダ はいはいはい、

服部 なので、私は、保護者会活動を通して、市民になっていたという風に思いますし。保護者会活動って、バザーとか、行事に休日とかにも駆り出されて、ものすごい大変なので、もう、しんどいっていう保護者も当然出てくるんですよね。だけど、私たちの園は、例えば、全国的な学習会と研修会とかに、学びたい保護者の交通費を出す。交通費を出すために、バザーをして、例えば、納涼パーティーとかやって、そこでの収益を、保育の全国的な学習会とか、研究集会を、学びに行きたい親の交通費を、そこからちょっと出す、みたいな取り組みをしてたんですよね。そうすると、「いや、わたしら行かへんのに、そんなバザーやるの大変」いう人もいるけれども、でも、一緒にやってる中で、あるお母さんが、「私自身が、 そこまで遠いとこまで勉強しに行こうと思わへんけど、勉強しに行きたいっていうお母さん、お父さんがいるんやったら、そのためのお金の、バザーをやろうっていうのは、私はやりがい感じるで」っていう風に言い始めてくれた親御さんがいて。あ、これ、すごいな、と思うんですよ。だから、自分の直接的な要求じゃないんだけれども、誰かがそれを望んでるから、それを私はサポートしたいんだっていう。こういうのが、市民というか、だから、自分だけじゃなくて「わたしたち」っていう、その意識を育むというか。レッジョ・エミリアって「わたしたち」っていう意味の「WE」、その「WE意識」を育むっていうのがすごい大事にされていて。それと対比されるのがアメリカの個人主義なんですね。 アメリカは個人、「私」っていうことを主張できる子どもをとにかく育てていく。
 でも、イタリアのレッジョ・エミリアは、「私」の主張もするんだけれども、でも主張がぶつかり合った時に、やはりその「わたしたち」の生活してる集団とかグループがより良くなるために徹底的に議論をするっていう、そこの大事にしてるところが、アメリカとイタリアはすごい対比されて語られるんですけど。それは私もそのWE意識、「私たちが大事にしたいものは何か」っていうのを一緒に考えていける関係とか、それをね「10の姿」がね、国から下りてきた時に、色んな受け止め方があったんですよ。で、子どもたちに、こういうことをさせたいっていう思いが強い園は、すごく好意的に受け止めていった。わかりやすくなる。入園してから、ここを目標にやっていけばいいんだっていうのが、すごくわかりやすくなった。だから歓迎するっていう園もあったけれども。だけど、「たかつかさ保育園」では、この「10の姿」を、自分たちの園で大事にしてることと、どう兼ね合わせてというか、どういう風に考えていくかっていうことを、結構すぐに議論されたんですよね。私はそれが、どこの園でもやれることじゃないけれども、それをやれた園っていうのは、すごいなって思ってたんで、ちょっと、そこのところを池添さんに。

池添 ありがとうございます。その時に、思い出す言葉があって、大宮先生っていう方がいはって、その方が言ってますけど、「中年の終わりまでに育ってほしい姿」って言われたらどう思う?って。腹立ちますよね(笑)なんでそんなん言われなあかんねんと思うし、よく言うんですけど。それで、そういう、違和感があって。学校教育とかも、違和感あったんですけど。それに向けて、就学のための保育の時間じゃない、っていうこともありましたし、その時に、職員会で「10の姿」に対して、どう思うっていうのを、 話し合ったんですね。先ほど言ってくださったみたいに、うちの園で、言葉を編んだんです。せっかくやし、読ませてください。
 「たかつかさ保育園が大事にしていきたいことっていうので、 遊びと生活の充実こそが、乳幼児期に適した保育と考えます。 それは、具体的に人、物、事が整った豊かな環境の土台の上で、どの子も大事にする集団の中で行われます。そこで、たかつかさ保育園が特に大切にしたいのは、「その子らしさ」です。また、子供たちの感動や、なぜ?と不思議に思う気持ちや、面白いと感じる発見などを介して、保育園職員の願いや、計画も交えて、共に保育を作っていきたいと思います。」
えー、ちょっと飛ばしますね。
 「乳幼児期の保育では、主体性を育むために、子ども自身が考え、選び、生活できるように、保育園職員は子供を急がせず、適切な支援と言葉がけを行います。選択と決定の自由が自分にあるという自覚と習慣がつき、自分で考え、選ぶ、主体的に関わる力を育んでいきます。 そして、やってみたいと思える自分の好きな遊びを見つけ、それに没頭する時間があり、ふと横を見ると友達がいて、同じ興味やまた違う関心事がありながらも共に遊びます。
一緒に給食を食べ、生活する中で、喧嘩や仲直りをしながら、様々な葛藤を通して人との関係を学びます。 また、生活に変化や潤いを与え、それぞれの成長のきっかけを作る教材や、行事があり、友達と話し合い、学び合い、助け合い、一緒に何かを作り、共に活動する中で、生きる力を学び、培っていきます。幼児期の終わりまでに育って欲しい姿と記されていますが、乳幼児期は小学校の準備期間ではありません。保育指針の目標に記されているように、現在を最もよく生き、望ましい未来を作り出す力の基礎を養う大切な時期です。
 保育所保育指針に記されている「10の姿」を否定するものではありませんが、大人の押し付けのような一定の到達目標を掲げて、どの子もその評価基準の物差しでは測られながら過ごすようになることになるのなら、子どもにとっても、保護者にとっても保育者にとってもふさわしいものではありません。 日本国憲法13条では、すべて国民は、個人として尊重されると謳われているように、保育園でも発達、性差、年齢、障がいなどにかかわらず、
1人1人を大切にしています。「みんな違ってみんないい」と認め合い、安心して過ごせる居場所でありたいと思っています。っていうのが続くんですけど、そんなことを大事にしたいっていうので、「10の姿」に対して「10の姿」それぞれのことは、さっきも言ったみたいに、悪いことを言ってるわけじゃないんですけど。よく言うのはおまけやと思うんですね。僕は、普通に遊んだり生活する中でそういうことはついてくるし、おまけやと、それを目標にすると、「そうならなければならない」ってなるし、1つ1つはあっていいんですけど、繰り返しになりますが、おまけでついてくるものっていうようなイメージで、話をしてます。

アサダ 今の文章は園長として書かれたんですか。これは。

池添 最終的には、僕が書いたんですけど。職員みんなでそれに対してどう思う?とか、自分たちがしたいこと、そもそも保育って何?とか、保育園の中で、 そもそもの話がすごい大切やと思う。どこでもそうやと思うんですけど。なぜ保育士になった?とか、どんなことを子供に伝えたい?とか、 今できてるだろうか?僕らが期待されてることはなんやろ?それに対してどうできるやろうとか、そんな話。「10の姿」のこともそうなんですけど、そんな中で、障害ある子はどうすんの?とか、そんな、1つの物差しとか、いろんな言葉が職員から出て、それをまとめたというか。この文章は、「編んだ」っていうのがあって「職員一同」として、この文章を出してるんですけど、また、ホームページで見ていただけたら。
 そんなふうな保育園でありたいたいなっていう風に思っています。

アサダ マイアミさんどうですか?今の話聞いて、僕はちょっと面白いなと思ったのは、「WE」になっていくって話をおっしゃってたところは、ちょっと今日の、市民とか民衆とか、いろんなキーワードが出たことと繋がっているな気がするんですけども、どうですか?

吉野 そうですね、レッジョは誰かが「私がこれをやった」という事よりは、運動体としてどうやってレッジョを語っていくかみたいな事を、 すごくちゃんと考えてて、 今の、たかつかさ保育園の実践みたいな、みんなの声を1つの文章にまとめるというような事をどうやってやるかみたいな、そういう議論を続けるって事だと思うんですけど。それがWEであり続けることだと思うんですけど。そうですね、今回、皆さんとメールのやり取りなんかをしていて、「10の姿」の、「問題のなさの中にある問題」みたいな、そこの、語りにくさをものすごく丁寧に和田さんが、論じておられたので、この話の続きは和田さんに。

創造と想像

和田 WEのところなんですけど、松田さんは、まさに今の話を聞いたら、「それが集団だ」っていうと思う。つまり、 保護者によって関わり方は濃淡がある。けれども、そこに「わたしたち」が生成してる。ただWEって言っちゃうと、なんとなく、それでも 一致団結した「わたしたち」が出てきてしまう感じがするので、言ってるのは多分全然違うこと。保護者の、先ほど言った「自分は行かないけど応援するよ」って、そういう関わり方じゃないですか。 全員で行かなきゃいけないとかね、そういうんじゃないじゃないですか。どうしてもWEっていうとそういう風になりがちなんですけど、それはまさに、松田道雄さんがね、 阻害された子どもを含んでどうやって集団を作っていくのかとか、障害児の保育にも、多分、インクルーシブとかにも関わってくる論点なんだと思うんです。で、ある時期は、少し松田さんは二項対立的に書きがちなんだけど、やっぱり熱心な保育者は、 さっき言った、全ての子どもを集団に溶かしちゃうというか、集団主義的になっちゃうと、もしかしたら、さくらさくらんぼにその傾向がないとは言えない気がしますけど、危険性はあると思うんですけども。松田さんがやっぱり集団って言った時には、多様な差異を含み込みながら、それでもある種の、共同性を考えていたので。1つ、思想的に言うと、マカレンコっていうような、 ソ連の教育理論家が、集団保育の理論的支柱になっていた時代に、松田さんはルソーの『エミール』で集団を語るっていう。『エミール』って家庭教師の物語なので、エミールで集団って面白いんですけども、それが松田さんの、面白さだなと思いながら聞いてた。もう1つは、「10の姿」で言うと、「教育勅語」は悪いことは書いてないんですよ。1個1個読めば。「兄弟仲良くしろ」とか。でも、置かれた文脈にというか、果たした機能っていうことを考えたら、「教育勅語」は 戦後国会で執行決議が上がっていて、僕は当然だと思うんですね。つまり、内容を1個1個だけ取り出してみると、いいこと言ってるように見えながら、それが置かれていた文脈とか、どういう風に構造化されてるかってことを見る必要があるだろうと思う。で、「10の姿」を論文書いて1番びっくりしたのは、雑誌論文をたくさん見たら、「10の姿」を自明の前提にして書いている保育者養成の教員たちが、たくさんいるっていうことに、僕は、ぞっとして。つまり「10の姿」を、与えられたものを、「当たり前」にして議論をして、これが保育者養成の教員で、保育士を育てて行くってなったら、これ「10の姿」は直接保護者に働きかけてる問題性もあるんだけど、保育者養成の教員は、短大とかが多いと思うんですよ、現場の。いや~、これ大学の責任ていうか、大学の養成に関わってる教員が、非常に創造性を失ってるんじゃないのか、なんて風に思ったりもしたんですね。言いにくいとこもあるかもしれませんが、どうでしょうっていうのと。あと、保育士さんね、保育士さん自体も、「10の姿」楽っちゃ楽だっていう気もするんですよね。ちょっとその辺について、今日、「松田道雄を補助線」にっていうので言うと、 「保育士ほど創造的な仕事はない」というのが松田道雄なので。しかし、この創造的な仕事に関わっている保育士自身が 面白さに気づいてるかどうかも知りたいし、養成に関わってる人はどうかな。その辺は後で司会のお2人にどなたかに聞いていただければと。

池添 そうなんです。あの、本屋に行っても、幼児期の終わりまでに、その「10の姿」を育てる保育の本があって(笑)、いかがなものかなと思いますよね。 確かにもう盲目的に国が作ったものっていうので信じてしまう癖が、やっぱり市民としては持ったらあかんと思うんですが、 ありますよね。僕はこの言葉を聞いた時に、すごく違和感を感じたんですけど、感じない人もいるだろうし、捉え方はそれぞれなんかなとは思いますが。今、おっしゃられたみたいに、「想像性」ってすごく大切だと僕も思うんです、保育者って。この子供がなぜ泣いているのか、 こけて痛いのか、機嫌が悪いのか、今日、朝飯食べてへんのか、お母ちゃんの調子が悪いのか、いろんなことを想像しながら言葉をかけるか、かけないか。出てきて、どんだけそのバックボーンを知れるか、想像して伝えられるか。保護者と話すのにしても、 この人は今日、疲れてるのかな?どうかなとか、思いながら話していく。
 で、そういう想像しながら言葉を作っていくし。保育を作っていくっていうところでは、本当にいろんなことを考えると思いますし、保育ってもう生活の全部、遊びの全部が入ってるんですよね。朝ごはん、音楽もあるし、うどん作ったりもするし、もういろんなことが入ってる中で、やっぱりそれをどんな風に生かしていくかっていうところでは、本当に、それが子どもの土台にあって、で、子どもから出てくるものをやっぱり 積み立てていくっていうのが保育者の仕事やと思うし、その想像性を活かして、子どもがどういう風にしたいか、どういうことを考えてるかと。で、後で「子どもの権利条約」の話になると思いますけど、「意見表明権」っていうのがあって、 子どもがどんな意見を持っていて、どういう風に育ちたいと思ってるか、それを支えられるかっていうのが、僕らの仕事だと思うんで、その「10の姿」があるから、これやっといたらええんや、っていうのはやっぱりちょっと違和感もあるし、保育っていうものと保育者っていう仕事をもっと豊かに捉えたいなっていう風に思いますが。

逸脱・脱線・無礼講


服部 この「10の姿」が、元々なぜできたか?っていうと、国が決めてくその最初の会議の議事録とかを見ると、実は保育園の形態が色々増えてきてるんですよね。受け皿を作るために、小規模保育だったり、とにかく日本って、いろんな保育園ができすぎたよね。それで、いろんな保育が増えてるから、小学校のスタートを揃えてあげないと、かわいそうっていう発想が出てるんですよ。「スタートを揃えないと、かわいそう」、確かにスタート一緒の方がいいって、みんな思うけど、 一緒になるはずないんですよね。だって、子どたちって、月齢も1年ぐらい違えば、発達のゆっくりさも、色々あるので、揃うはずがないのに、スタートを揃えないといけないっていう発想が1つと、 あの保育指針が改定される時に、実は、発達に関する記述が削除されたんですよね。それまでは、例えば2歳児っていうのは、こうやって思うように、こう色々こう主張し始める時期ですとか、4歳頃の子どもって色々悩み始めて、出来てたことが思い悩んでできなくなる時期だとか、5歳児ってすごい偉そうになって、保育にも、ちょっとたてつくぞ、みたいな、そういうことも含めて書いてあったのに、 発達の記述はもうなくしていい、なぜなら個人差があって多様だからっていう理由で、その記述はなくしたんですよね。なのに、スタートを揃えようっていうので、「10の姿」で、しかも発達心理学者がメモに書いていたような、こういう子どもに育ったらいいんじゃないの、みたいなメモのものが元になって、「10の姿」が作られたんですよね。だからもう色々矛盾がある。例えばそこに書かれてる「自立心」っていうのが、この「10の姿」で書いてる「自立心」って、他の人にできるだけ頼らずに、自分でできるようになる子どもを生み出すんですよね。でも本来は、人間がどれだけ人に頼れるかが大事だと私は思ってるんですね。やっぱり頼れて、信頼できて初めて自分がやりたい事が出来るようになる。 でも、ここの中では「とにかく自分でできるようになりなさい」っていうのが、すごくある。
 で、2つ目の、「10の姿」の問題点っていうのが、発達がね、直線的に「10の姿」の合格点に向かっていくみたいなイメージになってしまったところなんですよ。以前は、4歳頃って、ちょっとやるとかやらへんとか、色々、わざとトラブルになったりとか、色々あるよねみたいな感じだったのに、「10の姿」を見ると、直線的に子どもたちって賢くなって行くよね、みたいな。なんか、その発達の中でのいろんな矛盾と、葛藤みたいなものが見えなくなってしまう恐れがあるんじゃないか、っていうのは2つ目の危惧なんですね。で、3つ目は、「10の姿」の中の、この姿を育てるためには、こういう遊びがいいですよ、っていう実践集が出てくるんですよ。
ママゴトとかの遊びでも、こういうのを入れると、ちょっと数の概念が育ちましたとか。何が、楽しいかよりも、 その遊びをしたらこういう力がつくよね、っていう風に遊びの本質が、歪められたところが、すごく危険。 やっぱりね、遊びって子どもたちが、楽しいと思うところで、いろんな脱線をしながら、今日のトークショーも色々脱線して、面白いところにばーっと溜まったり、やめたりっていうことで、その時に夢中になるものを探していくのに、でも、筋書きが決められちゃうわけですね。こういう展開をしていくと、おそらく、ここのところで、こういう力が育っていくだろう。そのイメージがすごく怖い。遊びを貧しくするだろうなっていう風に、思っていたので。だから、それぞれの園で、私たちは自立をどう考えるか、とか、遊びってやっぱり何を大事にしたいかというところを、日々話し合っていく。それを、もう自明のね、そこからスタートして保育を考えるっていうのは、すごく日本の保育の豊かさっていうのを、貧しくしてしまってないかなって。

アサダ マイアミ さん、さっきの小学校に行く前の、準備としての保育みたいなこととか、この遊びをやったらこうなるでみたいな、なんかそういうのの、息苦しさみたいなものとかって、なんか日々、感じません?生きてて。

吉野 うん。もう感じすぎて麻痺したみたいな。もはや感性が死滅している。
 学びとか、遊びとか、 それを、強制されたり、あらかじめ「姿」を誰かにイメージされたりするのは、人権侵害というか、それは本当はもっと、個人の持ち物というか、自由なものだと思うので今の話はハッとしました。その「10の姿」の実践本がどんどん出て、その実践者たちが何の抵抗もなく取り入れてるっていう現状が進行してるというのは、この場で共有する事が出来て良かったんですが…あの、ここで、適してるか適してないかわからない、テキストを持ってきました(笑)。先ほど、朗読ワークショップに参加していただいた方々、ちょっとこの辺りにお集まりいただいて、はい、じゃあ、参加者の皆さんに、お配りしている、お手持ちのテキストですが、最初に鉄平さんから教えていただいた、武蔵野市子ども権利条約に関するものっていうのを用意したんです。じゃあ、これから読んでみたいと思います。国連の「子どもの権利条約」については鉄平さんから、 ご紹介いただいたんですが…

池添 日本でも1994年に批准をして参加したってことですね。来年が30周年になるんですね。で、そんな中で、子どもの権利条約っていうのは4つの原則があって、 ユニセフの子どもの権利条約のホームページが結構細かく書いてるので、また参考にしていただきたいんですけど、とても素敵な価値観と言いますか、子ども観を表現してて、4つ原則があって、差別の禁止、2つ目、生命、生存および発達に関する命を守られて成長できることっていうのと、 子どもの最善の利益、よくこれ聞かれると思うんですけど。子どもにとって最も良いことをどうするかで、子どもの意見の尊重、意見を表明して参加できることっていうことで、子どもは、これは0歳から含めて、言葉を話さない子どもも意見があるっていうようなことが話されてるような子どもの権利条約っていうのがあって、で、それを土台に、武蔵野市でも、市民としての、その子どもの権利条約を策定しようっていうので、保育関係者を含め、いろんな市民が言葉を集めて作られた。で、ここの下に書かれてる文章は、子どもの言葉も含めながら、 子どもの立場になって書かれた文章で、なかなか面白いなと思うので、この間、お話してたんですけど、っていうようなところのご説明です。

吉野 今回のこの事業の一環として行った朗読ワークショップの中でも、日本国憲法や、レッジョ・エミリアの、理念を表現している「でも100はある」っていう、詩の朗読も行ったんですね。それで、今回、武蔵野市の子どもの権利条約をあえて取り上げた意味っていうのは、京都市でもこういうことやったらええんちゃうかなっていう、そういう話です。今回のこの機会を機に、そういうことになったらとても素敵だなということで、皆さんと読んでみたいなと思ってます。朗読ワークショップに参加していただいた皆さんに一緒に読んでいただきたいなと。それでは。

(ここから朗読タイムを経て、「なにがなんだかかっぱまんだら」の演奏。アサダがドラムを叩き、池添がベースを弾き、吉野がマイクを持って会場を回り、会場の参加者全員に「なにがなんだか、なにがなんだか、なにがなんだか、かっぱまんだら」を歌って頂いた。)
朗読テキストは以下のもの。

①「武蔵野市子どもの権利条約」
②「損な持ち場」松田道雄著「保育問題研究」38・1・5「関西保育問題研究会とともに」
③「夏季合宿研究会」松田道雄著「関西保育問題研究会とともに」
④「にせマリヤ」松田道雄著 36・11・10「関西保育問題研究会とともに」

②③④は『松田道雄の本1 私の幼児教育論』(筑摩書房)より


CCC公共朗読オーケストラによる朗読発表会
撮影:蒼光舎
朗読の間に演奏のセッティングをする池添
撮影:蒼光舎
「なにがなんだかかっぱまんだら」の合唱
撮影:安河内宏法(KAC)

感無量交響曲としての質疑応答コーナー

アサダ 気分を変えてトークに戻りたいと思います。色々きっと今のも含めて、聞きたいことがたまったんじゃないですかね。

大関 この会場にいる人の中に、これから保育士になろうとしてる人がいて、さっきの質問、まさにその 保育士を育てる場面でも「10の姿」が影響してるんじゃないかっていうので、1人いるから 他にもいる?保育士にこれからなる人?なんでもいいよ。今感じてること。

会場から(Yさん) なんかもう感無量です。保育に関して、これだけ語られてる場があるというのは、やっぱり、すごい仕事なんだなっていう意味で。普段、女子短大生をやってるんですけど、学校で学んでいるのとは全く違う。いろんな、普段疑問に思ってることが「このカリキュラムでいいのか?」みたいな疑問を、同じふうに思ってる方たちがいらっしゃるっていうことに、すごく感動しました。

大関 例えば、どんなカリキュラム?疑問に思ってることって。

会場から(Yさん) これはちょっとなんか今日のお話に出てこなかったんですけど、その「指導案の書き方」 を学ぶっていうのが、1回生の後半からの主な勉強になるんですけど、指導する必要があるのかっていうことに関しては、特に疑問に持たれないままに授業が進んでいくところ。仕方ないんでしょうけどね。そういうカリキュラムなんだと思うんですけど。今私が疑問に思ってるのは、主にその点ですかね。

アサダ 「指導」っていう言葉が、自明のことっていうか。

会場から(Yさん) なんて言ったらいいんだろうなあ。そうですね。「子どもたちがやりたいことありき」じゃなかったのね…、みたいなところですね。

大関 ちょっとしたショック。

会場から(Yさん) うん、知りませんでした。保育園がそういうことをしてくださってるっていうのは知らなかったので。いや、それは、もちろんいい部分もあると思うんですよね。先生たちの思いがあって保育をしてくださってるってことだと、もちろん思うんですけれども。 どうあるべきかみたいなことは、特に語られないままになってるところが。

会場から(Tさん) 今日は本当に感無量です。いや、でもその感無量を、話すとめちゃくちゃ長いんですけど、ちょっとだけ話すと、私、今、 大津市の山中町ってとこに住んでいて、最近「聞き書き」を始めた。聞き書きって言葉も知らなくて始めて。私、看護師なんですけど、全然その人がどうやって生きてきたか知らずに看護をしていて、その地域の老人のことを知りたいと思って、聞き書きをやり始めたっていう文脈があって。聞き書き自体がめっちゃ面白いですけど、その、聞き書きをして、それをどうするっていう、その人の事がわかって、そっからどうやって行くんだろう?聞き書き、私はすっごい面白いんだけど、その疑問があって、それでここに来て。私は遅くなってから、看護師になったから、病院2つぐらい務めて、人間がどんどんそこで死んで、その死に方があまりにも納得できない死に方っていうか。死ぬ時も、生まれてきたのと同じぐらい盛大に送られてんじゃないって。でも、なんか、「こんな死に方か!」って思って傷ついてることがあって、そのことで最近頭がいっぱいで。でも、ここで聞いたことは、初めは「ふーん」って聞いてたんですけど(笑)でもどんどん聞いてったら、それは人間のあり方の話、人間がどうやって尊重されるべきなのかっていう話だった。全部。大人は自由な時期があって、自分の環境とか選べるけど、 年取って老年期になると、どんどん人の選ぶ環境でしか過ごせなくなっていく。それは子どもとちょっと一緒だなと思って。
 でも、その場で、人間は生涯を通じてその権利がある、尊重されるべき存在としていてほしいっていうのがやっぱりあって。それをどういう風にするかっていう意味で、めちゃくちゃ感動したっていうか。その根本のところを、老人もそうあって欲しいっていう風に、すごい思って。でも、尊重される老後とかっていうのは、もう70年も80年も生きてきた人だから、それぞれの人生があって、どういう事が尊重する事なのかわからんですけど。でも、そのヒントとして、子どもの時に受けた、もしいい環境があったとしたら、それは老人にも、 なんていうか、されるべきだって、今日すごい思って。
 そのやり方っていうのは、子どものやり方とはまた別にしなきゃいけないけれど、 そのエッセンスは一緒だと思って。例えば老人は飲み込みを良くするためにすごい発声練習させられるけど、その発生練習は必要だし、機能訓練として大事だけど、人間の歌を歌う、楽しい、声を出す、ってことを、そのような発声練習をさせるっていうことは、権利を剥奪してるっていう風に今日思って。なんか今まで、モヤっとしていたものが、すごいこう入ってきたっていうか、 そういう視点が。 
 もちろん看護とかそういう医療の勉強の中ではめちゃくちゃそれを叩き込まれるので、人権大事だとか。でもそれをできてない。そのことが、すごい、改めてこう入ってきた。ていう感じで聞かせてもらいました。

大関 他に何か今話したくなった人とか。

会場から(Nさん) 今日はありがとうございました。今日初めて参加してみて、 普段、自分がいる世界とか、コミュニティーとはちょっと違う方々のお話とかが聞けたことがまず、すごく面白かったっていうのと、こういうことがアートっていう場の中で開かれてるっていうこと自体が、普段、私は結構アートの文脈だったり、文化の中に割といるんですけど、なんていうか、「かぎかっこ付きの「アート」」みたいなことにずっとすごい違和感を持っていて、本当はもう全部アートって思ってるところがあるので。こういう表現っていうのがこの場で行われていることにすごい共感しています。
 で、その教育っていうところで行くと、ちょっと大学とかのレベルになって、話が飛ぶんですけど、私が2012年ぐらいに大学で「副手」っていう仕事をしていた時に、 ちょうど大学とか文科省とかの体系がちょっと変わって、私が芸大に行ってた時は、学生がもう「野生児野放し」みたいな 感じで。就職活動の話とかしたら、みんな「えっ!?」とかなって、びっくりするみたいな感じの時代の学生やったんで、その数年後に、自分が働いてみると、もう大学そのものが就職率の数でもって存続ができるっていうような感じで、 4回生の就職の決まったか決まってないかを毎月1枚 1枚漏らさずに、その人数の結果を回収し続けるっていうような仕事があって。で、その後、もっと更に、その芸大でさえ、なんか就職予備校みたいな状況に、どんどんなっていってるていうのを、見ていて感じてたっていうところがあって。自分自身も就職とは関係ないような学びも含め、深めていった後に、でも、生きていくためには働かなければいけないってなって。社会に出た時に、今まで学んできたことをどう生かしたらいいかもわからない現場にいたことも多かったので、 その辺の「溝」っていうのは、ずっとこの数年、感じながら、じわじわそれはなんか後から効いてきてるとは思うんですけど、学びは。学校で学んだことと社会との、結びつきにくさというか、特に芸術とかになってくると、それを結構感じたりとかしてたんで。

大関 なんか、あの人の話、もう少し聞きたいとか、そんなんでもいいですしー

会場から(Hさん) 今の話とちょっと通じてるかもしれないんですけど、「熱血教師」って、教育現場においても、最近はあんまりおられないかしら?  自分自身、振り返ってみると、この時代にはこういう先生に出会ったなとか、ちょっと破天荒で、面白い教育してくださったなっていうのを思い返せるんですけど、そういう、ちょっと型を外れた教育って、今はしづらい状況なのかなと思って。その中で、その熱意を持って教育に携わるって大変なんだろうなと思うんですけど、最近は教師の熱意を削ぐような方向で行ってるんでしょうか。どうでしょう、っていうところでちょっとお伺いできればと思います。

アサダ どうですか?マイアミさん。

吉野 教育関係者じゃないですけど、今の、みなさんの感想の広がり方がすごいなと思いました。 僕も、そのみなさんのコメントをもって、感無量となったわけですが、松田道雄を補助線にした保育の話を通して、命や権利の話、学び全般の話に、就職の事も含めて広がったんだなっていうのを、今、皆さんの話を聞いて思いました。

和田 松田道雄研究者としてこの場に呼ばれたのも感無量だったんですが、松田道雄からここまで広がるのも感無量でした。あの、実は、松田道雄の著書には 『安楽に死にたい』とか、最後にあったりしますしね。教育について書いたりとか、やっぱり松田さんは、知識人なので、彼自身がいろんな引き出しを持ってるっていうことはですね、これが単なる一保育研究者とか、教育学者だったら、こんな風になってない。松田さんの広がりを感じました。
 大学の話は、熱血の先生がいなくなるって話でしょ。 今日読まなかったんですけど、朗読テキストの中にある、「文化運動としての保育」の話を読むと、「 働くものの文化なのか、金儲けの文化なのか」って、まあ、わかりやすい対立があるんですが、その背景にはやっぱり冷戦時代なので、資本主義か社会主義かっていう、あるいは共産主義かでもいいんですけれども、そういう対立っていうか、「社会体制の選択の問題」があったって思うんですね。 で、松田さんは社会主義に向かう道は1つだって考えていなくて、おそらく多様にあるとも考えていたし、場合によっては社会主義にならなくても、資本主義の枠内でなんとか資本主義の問題点を改善するって道もあるんじゃないか。それは当時で言うと修正資本主義だって形で、ある人からは痛烈に馬鹿にもされた。でも松田さんにとっては人格と命と権利って、本当に大事なので、それがどう保障される社会になるかってことは、考えていたと思います。
 で、熱血がどうかっていう問題で、やっぱり「社会を変える」、あるいは「今ある社会をどういう風に問い直すか」って視点があるかないかって大きくて。目の前の子どもを大事にすることは大前提なんだけれども、この子どもたちと、どういう社会を将来作っていくのか、生きていくのかっていう「社会の理想像」みたいなものがあるかないかは大きいって思うんですよね。それがなければ学校では単に教科を教えるだけになっていくと思うし。松田さんが考えていたことは、 保育って営みは社会をより良くするっていう、彼はイデオロギーって言い方をしましたけれども、イデオロギーと保育は無縁でありえるのかっていうのは松田さんにとって大きな問いであったし、松田さんはやっぱり保育の問題は、体制選択の問題と無縁ではないと考えていたっていう風に思います。
 そういう点では、松田さんが付き合った保育士は、全てとは言わないですけれども、今日輪読をしたように、非常に松田さんを慕いながら、新しい時代の保育を築こうと思った保育士の中に、単によりよい保育をしたいだけじゃなくて、やっぱりより良い社会を実現したいっていう思いが強くあったと思うし、そこはやっぱり、松田さんから今改めて、学ぶべき点なんじゃないかなっていう風に思います。
 最後に、最近学生と接していて、面白いことって大事だと思うし、大学の教員になりたいなって思った1つは、自分が、大学の恩師と一緒に、いろんなテキストを読んだりとか、テキストを読みながら、議論もすごく面白かったし、終わった後、コンパや、飲み会の議論がすごく面白くて、この学びの空間を、どう保障するかって時に、大学の教員だったら制度として保障されるし、学生と一緒に楽しみながらやっていきたいって思った部分はあるんですけど、今、学生、本当にお金がなくて。 コンパやるにもお金がないしで、ゼミ合宿やるにも学生によって事情が違ったりとか。
 モラトリアムなんか本当に死語で、学生らしく生きること自体が戦いなんだってすごく思っているんですよ。 そんなことを思いました。「なにがなんだか」を聞きながら、松田さんが苦笑してるんじゃないかって。「僕にはわからないけど、君らは君らの時代を作りたまえ」と松田さんは言ったんじゃないかと思いました。

池添 多岐に渡っての話で面白かったです。あの、看護師さんのお気持ちっていうか、話、すごく僕はよくわかるというか、そうだなと思いましたし、老人の方もですし、やっぱり障害がある、ないっていう方もっていうか、 どういう風に考えられるかっていうところで、やっぱり豊かな社会にもっとしたいなと思いますし、「生産性が」とかね、そんなことを言われる世の中に、やっぱり、「 いやいや、そうじゃないよ」ってね、 言いたいなってこともすごく思いました。
 「指導案」の話も、確かに、指導するって、なんか、偉そうな感じしますよね。だから、一応、やっぱり、計画として、発達とか、季節のこととか、色々考えながら、それはするんですけど、 保育の中で、Yさんがイメージ持たれるように、子どもから発されること、逸脱をどうって楽しむかみたいなところも、保育の中でも語られることはあって、子どもの発想をどう生かしてやっていくかっていうところで、それは保育者の力量も問われるな、と思いますし、職員集団がギスギスしてたら、「あの子、あんなことをして」みたいなことになるかもしれんし、そういう形で、試されていくし。
 それは職員集団社会を作っていくっていうことにも繋がっていくなと思いました。ちょうど先日、1歳のクラスが、みんなで絵描いてね。下に紙張ってやってはったんやけど、ばっと次の瞬間僕が通ったら、窓ガラスにみんな絵を描いとって「あ、どうしよっかな、止めようか」って思ったんですけど、そこの保育士はそれを楽しんでて、「床にはつけんといて」って言ったら、それは、子供は守ると、で、後で拭いたらいいかなっていうのも、拭くのも含めて、やってるっていうのを聞いて。僕も止めなくてよかったと思ったんですけど。そういう感触とか、子どもも「やってもいいかな?」って思いながら、ちょこっとやったこととかの感触ってなんかね、そういうことも大切にしたいし。
 逸脱にどんだけ付き合ってられるか、幅広い心を持ってるか、どんだけ、理論じゃないけど、どういう風にね、保育者も語れるかっていうところは、豊かに語り合う時間が必要やなと思いましたし、大事やと思いました。
 「世界平和を保育から作る」っていうのは、本当にそう思いますし。卒園した子どもたちは、これから平和を作っていくパートナーやなんやでって、 この間の卒園式でお話したのを思い出して、保育園にいる時もそうなんですけど、一緒に平和を作っていく市民として、そういう風に平和を作っていく仲間なんやっていうことを、メッセージとして伝えたいなっていうのを改めて思いました。ちょっと、とりとめないんですけど。

服部 本当に今日来て良かったなと思いながら伺ってたんですけど、「指導案書きなさい」って言われた時に、「え、なんでこんなこと書かなあかんのかな」って思える感性がやっぱりいいなと思うんですよね。今、学生でも「これをこうしようね」って言った時に、それに疑問を持つっていう学生は、すごく少なくなってるというか、言われたらやるのが当たり前みたいな。多分その中ではより良いことって出てきにくいような気がするんですね。結局、教える側が教えようと思ってることを伝えるんだけれども、それ以上にはならない。 でも、教えようと思ってるんだけれども、学生の側が、「え?なんでこんなことするんですか?」と、「こうした方が」っていう風な、疑問を持ってもらえると、多分一緒によりよく乗り越えていけるっていう気がしたので。
 そもそも、その指導案、なんでこれ書くのかなって思われたところが、これまでの育ちの中で、「疑問に思っていい」という育ちをされてきたんだろうなって思いました。やっぱり、大人の背中見て、子どもって育っていくので。大人がなんでも従順に、上から与えられた「10の姿」、これ大事だよねって、「はいはい、この10の姿になってね」みたいな。 その従順な姿勢の中で、子どもが大人を超えられないようにやってきたっていうか。やっぱり、子どもたちの未来を変えていく、大人を越えていくっていうのが子どもたちにとって、すごく大事だなと思っているので。
 看護師さんのお話のところで、実は私もあの「武蔵野市の子どもの権利条約」の朗読を聞きながら、大人も一緒というか、子どもだけじゃなくて、みんなに通じることって、ほんと思いながら聞いてたので、とりわけ高齢になってくると、 どんどん不自由さが出てくるところで、子どもと共通する大事さっていうのが出てくる。本当、その通りだなと思って聞いてました。その発声練習っていうのも、やらないといけないから、やらせますだと、子どももこの遊びが大事やから遊びなさいみたいな話と、すごく通じるんですけど、だけど、それをどう、 その人がやりたいと思えるように、仕掛けるかというか、それを実は「指導」っていうんですよ。私、実は大学の時に、「教育指導研究」っていうとこの出身で、「指導」って、すごく悪い意味合いでとられることが多いですけど、でも、指導っていう言葉は、教えたいって思うことを、相手側がそうしたいって思えるように仕掛けるってことが指導っていう風に習いまして。なので、 子どもも、その高齢者に対してもそういう部分って共通してるとすごく思いましたし。
 その中で、多分いろんな遊びの要素が大事になってくると思うので。先ほど、池添さんが言われたように、やはり逸脱というか、「あ、それもありだよね」「それ面白いね」っていう風な、 今、遊び心っていう言葉がすごく保育の中でも再発見というか再認識されていて、やっぱり遊び心がない「遊びがいがない遊び」が増えてきちゃってる。なんか「こうあらねばならない」みたいな、そこに遊び心はあるんですか?みたいな。
だけど、やっぱり、遊び心っていうのの最たるものが「アート」というか。今日も筋書きってだいぶ決まってたんですよね。だから、案もあったんで、指導案じゃないですが。案はあったんですけど、だいぶ色々逸脱してた。 で、その時に「え、こんなこともありなん?あんなこともありなん?」て思いながら、それを楽しんでたのは、時間的にもすごくゆとりがあったし、いろんな人たちが来られて、空間も、こういう、ゆとりがあるところで、遊び心っていうのをすごく楽しめたと私は思います。

大関 私もみんなの話、すごく刺激的に聞いてるんですけど、私もね、ゆとりのこと、すごいやっぱり考えて。 本当に日本はゆとりがないなって。保育士さんの日々にもゆとりがないし、親にもゆとりがない。さっきもちょっと言った、早迎えをね、頼まれなきゃいけない場面というのが、今、私が思い浮かぶ、彼女っていう人がいるんですけど。保育園の保護者の中で、多分最もあの、政治的にも活動する力があるというか、知識がある人だけれども、そんな彼女でも、目の前の保育士に頼まれるわけですよね。「早迎えお願いできない?」と。で、そうすると、目の前の保育士が悪いわけじゃなくて、保育の現場で人がいないことが問題、構造的な問題が起きてるせいで、今言われてるって、頭ではわかってるのに、やっぱり目の前の「明日早迎えお願いできませんか」って言われてる、この保育士に対しての 軽い憤りになってしまうわけよね。で、彼女が1番わかってる。私が戦いたいのはこの保育士じゃない。保育園じゃない。わかってるのに、でも、自分の心が持っていかれるのは保育士に対してであり、保育園で。それが本当に辛いなっていう風に思っていて。もし、ここに、保育士がもう1人投入できるとか、この保育士があと2時間長く働けるだけの給料が出るのであれば、 こんなことが起きないのに、すごく無駄なところに、日々のガーッとした感じとか、もやっとした感じが、 そういう感情が使われていて、それがすごいもったいないというか、辛いなっていう風に思うんですよね。その全体がこの国のゆとりのなさから来ている気がしていて。
 私が見たデンマークとかだったら、 高校卒業してから大学に入るまでに何年ものゆとりの時間があって、自分を探すために途上国のNGOとして、ボランティアとしていくとか、いろんなアルバイトをしてみる。その中には保育士の仕事をする人も、体験的にする人もたくさんいて、これはきっと自分の人生で役立つだろうと思って保育の現場にいくとか。そうやっていろんな仕事をして、いろんな短い期間の学びをして、それで初めて大学に行くっていうような自分を見つける期間を持っている人たちと私たちで、何かがいろんな時に違うなっていう風に感じたりして。ほんと取り留めないんですけども、ゆとりのこと、すごい感じながら、考えながら、この時間、過ごしてました。
 陳情書を先月出して、それに対して、京都市からの返事が、あまりにも寂しかったので、質問をしに私は行ってないんですけども、別の保護者が、みんなで行ったけれども、お返事はやっぱりガクってくるような感じのものだったんですね。で、もうなんか、私の中では、やっぱり市長に代わってもらわないと、もう、この話はそれが1番いいのかなみたいな、すごい頑張っていろんな言葉を考えたり、お話に行ったりしても、「京都市には待機児はいないので、ごめんなさいね」、関係ないねっていう風な扱い方をされると、 あ、なんか、何をしても無駄なのかなっていうような、心が折れるような、そんな場面が続いています。

アサダ 6時ですね。6時になりました。はい。ということで、答えが出る、出すっていう目的の場ではないと思うんですけども、この時間のテーマの中で、保育、民主主義ってこともあるだろうし、人が生きるっていうこと、根本を問うみたいなことまで、いろんな朗読から、トークから演奏まで色々交えて、あと、やっぱり何より、この、空間がそれを触発させる感じが、その手立てがとても、全体で一緒にいれる感じがしました。この座談会がマイアミさんが中心にやってこられた事業の最後になるわけですよね。ちょっとマイアミ さんに最後に一旦マイクを渡します。

吉野 アサダさん、お疲れ様でした。大変な司会の役を無茶振りしてしまいましたが、見事にこの場を操縦していただいて、本当にありがとうございました。そうですね、この後に、 「AMeeT」というウェブサイトにこの事業のレポートを上げるという機会を頂いているので、ここで伝え忘れてるようなことや、皆さんと共有したいと思ってるようなことも、そこにまとめて書けたらなと思っています。僕、あのドキュメンテーションという言葉の正確な定義って知らないんですけれども、この間、調べてたら、様々な情報をすぐに取り出しやすいように整理することみたいな意味があるそうですが、これってどうですか?

服部 レッジョのドキュメンテーションは、子どもたちの活動を「見える化する」っていうことで、だから録音の記録とか、写真、保育士さんたちの筆記記録とかも、全部ドキュメンテーション。それは保育士さんが、後から振り返って「明日の保育をどうしようか」っていうのを異なる専門家同士で話し合ったりするんですけど、それを行うための、あの大事な業務がドキュメンテーションということと、あと1つは、それって貼り出すんですね大体。で、貼り出した時に、保護者が「今、どんな活動をやってるのか」ということを子どもと一緒に見て、保育を語り合えるっていう、その両方の意味でやられてるのがドキュメンテーション。だから、ドキュメントっていう、今起こってることみたいな。

吉野 毎日の教育実践記録ということですね。ここで言うべきことと、言わないべきことと、色々あると思うんですけど、この機会を契機にという風に思うんですね。今回は、京都芸術センターの安河内宏法さんが、担当ディレクターとして、瀬藤朋さんはコーディネーターとして、ずっとついてくださって、ここでも登壇者の皆さんに参加していただいて、、うちの奥さんも様々な連絡係などを手伝ってくれて、その他にもたくさんの方々のお力で、様々な条件が整って、このゆとりが保障されたというか、日本国憲法が僕らのためにそれがあるとして、その権利を行使して、僕も引き続き、このことをきっかけに、 もっとより意味のある場を催したり、活動をしていきたいと思います。カッコつけたこと言ってしまいました。とにかくとても有意義な時間を皆さんのおかげで過ごせたこと、感謝いたします。どうもありがとうございました。

アサダ 最後になにか言って終わります?(隣にいた保育園児のかっくんにマイクを渡す)

かっくん 終わりません!

左から、アサダワタル、大関はるか、服部敬子、松田道雄(写真)
かっくん、池添鉄平、和田悠、吉野正哲、安河内宏法(後ろ姿)
撮影:山見拓
CCC担当ディレクターの安河内宏法(KAC)
撮影:かっくん
読書現場における知のバケツリレーの風景
撮影:蒼光舎


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